僕は仏教徒であるが、神の存在など一切認めない。
僕はあらゆる宗教を否定する。
おかしいんじゃないかって?
いやいや少しもおかしくはない。
ゲオルク・ジンメル(1858~1918)は「仏教は救済の教説であり、宗教ではない」と看破したし、テーラワーダ仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老(1945~)もまた仏教は宗教ではなく、それは実践によって検証されるべき心の科学であると述べている。
釈尊の教えは、細かく探求していけば、きりがないほど複雑微妙であるが、きわめて単純に言うこともできる。
ひとことで言ってしまえば、「怒るな」という一語に尽きるのだ。
これは簡単なようでいて、実は非常に難しいことである。
極論すれば、自分を殺そうとする者に対しても「怒るな」ということになるからだ。
まぁ、そこまでいかずとも、普段の生活の中で一切怒らないでいることは、ラクダに乗って針の穴を潜り抜けるほど困難なことといえよう。
しかし自分の今までの人生をふりかえって思うに、怒って得したことは一度もないと断言できる。
怒りを爆発させると、そのときは一時的に溜飲が下がる思いがするのだが、あとあと必ず損をする。
怒るのはバカだ。
そう自分に言い聞かせている今日この頃である。
僕はあらゆる宗教を否定する。
おかしいんじゃないかって?
いやいや少しもおかしくはない。
ゲオルク・ジンメル(1858~1918)は「仏教は救済の教説であり、宗教ではない」と看破したし、テーラワーダ仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老(1945~)もまた仏教は宗教ではなく、それは実践によって検証されるべき心の科学であると述べている。
釈尊の教えは、細かく探求していけば、きりがないほど複雑微妙であるが、きわめて単純に言うこともできる。
ひとことで言ってしまえば、「怒るな」という一語に尽きるのだ。
これは簡単なようでいて、実は非常に難しいことである。
極論すれば、自分を殺そうとする者に対しても「怒るな」ということになるからだ。
まぁ、そこまでいかずとも、普段の生活の中で一切怒らないでいることは、ラクダに乗って針の穴を潜り抜けるほど困難なことといえよう。
しかし自分の今までの人生をふりかえって思うに、怒って得したことは一度もないと断言できる。
怒りを爆発させると、そのときは一時的に溜飲が下がる思いがするのだが、あとあと必ず損をする。
怒るのはバカだ。
そう自分に言い聞かせている今日この頃である。
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