吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

韓国旅の風景 三十七

2006年05月29日 12時53分27秒 | Weblog
韓国旅の風景 三十七

 呑気な両班  その二
 A氏は両班では名門中の名門、慶州の安東(アンドン)が本貫のA氏であるから、こと両班話となると鼻息が荒い。同じ文化財委員のなかでも両班の毛並みは一番で、文公部のK氏りもずっと上、身分はK氏は文化財研究所長の高級官吏だが、A氏は失脚して浪人の身だが、伝承展で陶芸家のB氏のお役に相当立っていたので、なんとか食べて行ける状態である。彼は私が訪韓すると必ず空港に、出迎えて嬉しそうに手をあげる。B氏は前に述べたように全くの下戸で宴会などで時々、無理に杯をつかまらせられて、ウーンと卒倒してしまう。するといち早くなぜか柿をママが剥いて持ってきてB氏の口にねじこむと元に戻ると言う不思議な癖を持っていて、柿のない真夏には、水をかけるほかはない。
 私がやってくると待ってましたとばかりA氏は側を離れない。B氏は飲めないから食事の時も麦茶ですませるが、A氏は世話になってる浪人の身分なので、アルコールは望めない。普段は文化財や旧文公部の連中にたかり飲みをしている。
 私はお昼でも遠慮なく自分で自由にアルコール類といっても麦酒(メッチュ)専門だがA氏は日本酒専門だから、普通の食堂には贅沢になるので置いてない。そんな時は真露で我慢する他はない。
 いつか国立博物館前でラッシュにかかり、タクシーガなかなか拾えずに業をにやして…Y先生!歩こう!そのほうが早い!と太平路に向かって歩き始めた。
 彼はなぜ急ぐのか、たまさかその日、ソウル市内はマイナス十度、アルコールに一刻も早くありつきたい一心で、しかも行きなれた明洞(ミョンドン)の松屋という日式料理屋にはヒレ酒があるのだ。たしかに旨い!正真正銘の焦げの香ばしい熱燗はたまらない。先月一月に来た時、彼は経験済みである。
 いつも悠々と両班気取りで歩く癖に、その日はまるで人が振り返ってみるほどの早足で、二十分たらずで店に着いた時の嬉しそうな顔はほんとに無邪気である。

韓国旅の風景 三十六

2006年05月29日 05時54分54秒 | Weblog
韓国旅の風景 三十六

 呑気な両班
 A氏はそののんびりした態度、事に動じない器量、歩き方まで現代人とはかけ離れている。前にもふれた金浦空港文化財審査室長のT氏もよく似たタイプの両班気取り屋である。 両班気取りと言えば韓国人はどうしてこれだけ肩書きを名刺に刷り込むのだろう。曰くなんとか会長、なになにの理事長、どこそかの専務、何とか会の会長…などなどあらゆる肩書きをならべてすってある。(中身に怪しいものがある)
 ちょっとした会社の事務室の課長の机上には来客にみえるように螺鈿を施した横五十センチ、幅七センチほどの板になんとか課長とかなになに部長と、華麗というかとても派手な看板?と言うと叱られそうだがどっしりと構えている。
 A氏は八八オリンロックを目前にして、鐘路二街の小さなビルの二階に陶磁器販売の店を開いた。資金はゼロ…友人の陶芸家、B氏の応援で青磁、白磁の作品をぎっしり棚に並べ、応接室の(いったい誰がくるのか?)皮張りソファも立派である。
 開店の日、入り口に、なになに後援会長、なんとか文化教室長など見るからに偉そうな花輪がぎょうぎょうしく飾られている。
 文公部(文部省)文化財研究所長のK氏、民俗村長のM氏など立派な客も招待した。
 A氏の後輩らしい青年がいてA氏はどっかとソファに腰おろしてしきりに…U専務(チョンム)Uチョンム!と呼んで威張っている(両班みたいに胸張って…)
 応接室のテーブルの上にスルメを山盛りした大皿をしつらえ、真露の瓶が二十本ほどにぎやかに林立して、いかにものんべぇのA氏らしい。応援した陶芸家のB氏は苦虫を噛んだ顔して、文化財の面々には頭が上がらず、隅の椅子に腰掛けて青い顔だ。
 呑気なA氏にせがまれて、伝承工芸展にいろいろ配慮をしてもらっている関係で貸した作品代の回収が心配に違いない。
 A氏始め文化財の面々は超の字がつく酒豪ぞろい、B氏は一滴も飲めない。
 いったいA氏はこんなビルの一室で誰に陶磁器を売るんだろう…私は外商なしでは殆ど売れないのでは…と思っていた。A氏はオリンピックで外国の観光客が民宿して、その時に大量にウリナラ(わが国)の陶磁器皿や碗を使うから…とあてこんでいるのである。
 私が言う呑気な両班とはこのことである。格好だけはいい。中身が?である。
 案の定、それから三ケ月後、店はつぶれてしまった。