吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

韓国旅の風景 五

2006年05月04日 12時23分28秒 | Weblog
韓国旅の風景    

 初めての大地  五
 天幕(テポチプ)は日本で言う屋台店である。車つきの屋台は移動式だから所定の場所に夕方引っ張ってきて天幕を張る。
 まだその頃は市場の場所割も日本と同じようにボスが区割りをして整理していた。
 昔の三越百貨店は今、名前を新世界百貨店(シンセーゲぺファジョン)として歴史は一番だが近代的なロッテ財閥のロッテ百貨店には適わない。
 すぐ目先に南大門市場をひかえているが品質と名前で勝負するわけだ。
 一階の宝石売り場の水晶のネックレスは日本円で一万はするが市場の地下街にある宝石売り場では値引きしだいで三分の一くらいで手に入る。
 新世界百貨店から百米ほど離れた市場に続く道の片側は天幕が十数台並んでしきりに煙をあげている。
 とても美しいアジェモニーが長い金串にやきとり肉をつきさして手際良く焼いていた。 にんにくの串ざしもある。
 酒はOBビール、焼酎は真露の二合瓶のラッパ飲みで、会社帰りのサラリーマン逹が真露片手に興奮して喋っていると言うより議論していた。
 韓国人はどうも議論好きらしい。そんな風景はどこの飲み屋でもみかけた。明堂路地の入り口の水槽に蛸がへばりついているそばで若い青年が文字どうり口角泡を飛ばしてしゃべりあっていた。
 天幕屋台の柱に門迎春夏秋冬福と刷った短冊のような紙が斜めにはってある。
…一年中福がたくさんですね…と下手な韓国語が通じてアジェモニーは嬉しそうに昔端山(忠清北道)の両班でしたョと胸張って答えた。
 一般的に門柱や玄関や天井にこの種の紙片を貼るが…立春大吉、国泰民安などが多く、これはどの家庭でも立春に奉春するのだ。

韓国旅の風景 四

2006年05月04日 08時18分34秒 | Weblog
韓国旅の風景    

 初めての大地  四
 明洞(ミョンドン)はソウルで一番の繁華街、世界のフアッションのほとんどここに集まる街、いつも群衆であふれる街、若者がこんなにもいるのが不思議な街、日本の渋谷、新宿とは違った雰囲気にみちている。
 私は入り組んだ明堂の路地を探索しながら歩いた。ネオンがないので東京とはちがって繁華のわりに落ち着いている。電力事情でまるで黄色い明るさのなかにしみついたように申し訳なさそうなネオンが数か所点滅していた。
 十二時近く、戒厳閉鎖時間が近いので露店はすでに閉店支度、私は路地の小さな食堂で皿から逃げ出す生きた蛸足を面倒なので手で摘みながら真露(焼酎…チョンノ)を二本もあけたので酔い歩きしながら天主堂広場近くのLホテルに急いだ。
 三十階のホテルの部屋から太平路をみおろしているど、十二時になった途端、ぱったり人通りが消えた。警察官がバリケードをたちまちセットして交通を遮断、生憎、帰りが遅れた人々…それも数人程度…は近くの地下道に逃げ込むのだ。
 しかし見事なものだ。あっと言う間に群衆が消えてしまうのだ。
 日本ののほほんとした社会風景から考えられないこの国の軍事緊張を感じた。
 少し前には三十八度線の地下壕を越境して韓国軍部隊に変装した北朝鮮兵士が閔山(ムンサン)街道を南下、ソウルの大統領官邸まで侵入し、警察でこれを察知、銃撃戦となり、警察署長が殉死したが軍が出動して全員射殺する事件も起きていた。
 市内から三十八度線近い釜谷窯に行く途中、道路の上に数か所の鉄筋橋梁がある。
 これは北朝鮮の戦車部隊を阻止するために、ボタンひとつで数秒の間に鉄筋橋が落下して道路を遮断する装置である。
 少年の頃、国語読本で見た…朝鮮の田舎…は釜谷釜周辺でいまも昔と変わらぬ風景をみせてくれる。ゆったりと流れる小川、朽ちた木橋と農家の荒縄で縛った藁屋根、キヌタを打って洗濯する白のチマチョゴリ姿、黄牛がよだれを垂らしながら尻尾をふりふり歩いている。これは数百年の時が一瞬にして変化する光景なのである。