吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

韓国旅の風景 十三

2006年05月10日 08時00分47秒 | Weblog
 韓国旅の風景  十三

 蹴る
 南大門市場の通路で若い兄さんが一組、蹴毬ならぬ銭蹴り遊びをしていた。
 お昼時だった。
 相対したまま、紙にくるんだ硬貨を器用に蹴り合っている。一、二、三…八、九回ぐらい大きさが二センチほど、くるんだ紙の上はひねってあるので羽子板の羽と同じ動きだが、若者は足で斜めに蹴りあげていた。
 中央博物館内の李朝民俗を示す銭蹴り人形は子供二人が赤、黄色の縞模様の服を来て蹴り合う人形だったが李朝の農村での子供遊びに違いないと思ったが、今、目の前で遊んでいるのは若者だ。
 最近でこそ日本もサッカー人気でサポータ逹のブームをひきおこしたが、韓国のサッカー熱は日本より古く、そして熱狂的サポータ逹の姿を見る。
 蹴る遊びとして日本でも中国から伝来した民俗遊びは平安貴族の間でさかんに行われていた。しかもそれが盛んになるにつれ、蹴鞠の流派までできていた。
 古代朝鮮時代に、韓国にも蹴鞠遊びの習慣が中国の隋から唐にかけての時代に移入したに違いない。
 十七世紀の李朝時代、市場の発達にともない通過経済の発展がみられたが、常平通宝 (サンピョントンボ)もそのひとつで、市場のアニキ逹のこの銅通貨を葉銭(ヨプチョン)と呼んで紙にくるんで蹴りあう遊びが流行した。銭を遊び道具に使った所を見ると、日本の江戸末期の天保銭のように今風に言えばインフレマネーだったに違いない。
 蹴ると言えば、六世紀に百濟から伝わったやきもののロクロ…それを蹴って回転させる…文化も蹴り文化のひとつで蹴りについて韓国は先進国といえよう。
 李朝時代…葉銭のような奴…といった蔑称として言われていた。