韓国旅の風景 三十九
呑気な両班 その四
李氏朝鮮王朝の科擧試験の文字は勿論、一四四六年に訓民正音として制定されたハングル文字ではない。当時もっとも難しいとされた漢字である。
金両基(キムヤンギ)の『ハングルの世界』によれば…十年勉強、南無阿弥陀仏…とあるが、十年勉強してもなにも得られず、ナムアミタプルと言うわけである。
科挙試験に合格することが官吏、役人として出世の道であった。
しかも科擧試験を受験できる資格というものがあり、常民や勿論、賎民は生涯、科擧試験を受ける事がない。つまり出世はおぼつかないのである。
すでに朝鮮半島では新羅時代から李朝の階級制度の繿觴(らんしょう=物事の始まり)として、第一骨、第二骨、第三骨と呼ばれ、出身の氏族によって詳しく五階級に分をわけられた。それは高麗仏教文化時代にも継承されて、李朝になって両班、中人、常民、賎民の四階級制度になった。
人間というものは釈迦時代もそうだが身分が高いとつい尊大になる。
それは現代でも同じで、あの家は代々身分のある武士の家柄だ!とか、公家さんの出とか…二十一世紀の今日もそんな話が通用する。まして今から五百年もの昔のことだ。身分に執着する人間の欲望はとどまるところを知らない。
希少価値というものがある。希少であるから値打ちがあるのである。
ところが両班は時代とともに当然、増えてくる。つまりインフレになってくると、難関の科擧を突破してもなかなか任官できない両班浪人もでてくる。
そこから生まれた党派の争いは延々と李朝の末期までくりひろげられた。
勢力のある党派に属する事がいいにきまっているのだ。
現在の日本の政治家を皮肉れば結局似た要素があるではないか。
こんなインフレ両班でも対面だけは守らねばそれこそ先祖様の沽券にかかわる。
沽券なんて若い人には必要ない言葉かも知れない。
もとは土地の売り主から買い主に与える証文だが、それから、人の値打ゃ体面をたもつ意味に転じた。
私はそんな両班を揶揄した諺で、
両班は溺れても犬かきはしない。
両班は溺れても藁はつかまない。
この二つにはいつも感心し、笑いがこみ上げてくる。
呑気な両班 その四
李氏朝鮮王朝の科擧試験の文字は勿論、一四四六年に訓民正音として制定されたハングル文字ではない。当時もっとも難しいとされた漢字である。
金両基(キムヤンギ)の『ハングルの世界』によれば…十年勉強、南無阿弥陀仏…とあるが、十年勉強してもなにも得られず、ナムアミタプルと言うわけである。
科挙試験に合格することが官吏、役人として出世の道であった。
しかも科擧試験を受験できる資格というものがあり、常民や勿論、賎民は生涯、科擧試験を受ける事がない。つまり出世はおぼつかないのである。
すでに朝鮮半島では新羅時代から李朝の階級制度の繿觴(らんしょう=物事の始まり)として、第一骨、第二骨、第三骨と呼ばれ、出身の氏族によって詳しく五階級に分をわけられた。それは高麗仏教文化時代にも継承されて、李朝になって両班、中人、常民、賎民の四階級制度になった。
人間というものは釈迦時代もそうだが身分が高いとつい尊大になる。
それは現代でも同じで、あの家は代々身分のある武士の家柄だ!とか、公家さんの出とか…二十一世紀の今日もそんな話が通用する。まして今から五百年もの昔のことだ。身分に執着する人間の欲望はとどまるところを知らない。
希少価値というものがある。希少であるから値打ちがあるのである。
ところが両班は時代とともに当然、増えてくる。つまりインフレになってくると、難関の科擧を突破してもなかなか任官できない両班浪人もでてくる。
そこから生まれた党派の争いは延々と李朝の末期までくりひろげられた。
勢力のある党派に属する事がいいにきまっているのだ。
現在の日本の政治家を皮肉れば結局似た要素があるではないか。
こんなインフレ両班でも対面だけは守らねばそれこそ先祖様の沽券にかかわる。
沽券なんて若い人には必要ない言葉かも知れない。
もとは土地の売り主から買い主に与える証文だが、それから、人の値打ゃ体面をたもつ意味に転じた。
私はそんな両班を揶揄した諺で、
両班は溺れても犬かきはしない。
両班は溺れても藁はつかまない。
この二つにはいつも感心し、笑いがこみ上げてくる。