吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

韓国旅の風景 二十九

2006年05月22日 13時35分46秒 | Weblog
韓国旅の風景  二十九

 金胴弥勒菩薩半跏思惟像
 京都広隆寺の木造半跏思惟像と兄弟と言ってよい。
 一般に、釈迦仏滅後、五十六億七千万年ののち、再び弥勒がこの世に現れて釈迦の説法からもれた衆生を救うと言う信仰である。気の遠くなる昔、五十六億と言えば宇宙科学では地球の誕生以前の話であり、現世信仰の比喩でもある。
 国立中央博物館の仏像展示室の一隅に、黒の玉石を敷いた木製の台に鎮座しているそれは柵に張ったロープから一米ほどの距離で、結跏した右足が手に届く距離にあった。隅に腰掛けていた制服姿の守衛に頭を下げて、私はそっと手でほっそりした足指を撫でた。
 日本の国宝、広隆寺のそれは二米ほどの高さに鎮座して、とても手の届くどころではないし届いたとしても触れることなど絶対にできないだろう。
 韓国はなんと言うおおらかさなのだろう。もっとも私のように手で触れようとする人間などいるわけもないだろう。
 冷たい感触に…これが鋳造された新羅時代の歴史知識が一瞬、脳裏をよぎった。
 永遠の時間が凝縮された一瞬、私は頭が真っ白になった。
 こうして、博物館からアメリカの三国時代巡回展に出品して韓国をはなれるまで、正確には昭和六十三年までの計、三十数回にわたって訪韓の都度、半跏像の足指にふれたことになる。
 アメリカ巡回展を終えて帰国した仏像は、別の展示室のそれも、三米ほどの高い所に安置され、再びふれることは永遠にできなくなった。
 もし、私の行為を見て見ぬふりをしてくれた守衛さんはきっと信仰のあつい人間性豊かな方にちがいない。

韓国旅の風景 二十八

2006年05月22日 08時58分15秒 | Weblog
韓国旅の風景  二十八

 漢江で一番丈夫な橋
 漢江は西海(黄海)にそそぐ韓国第一に長い川である。
 かってこの川の潮の干満差のために李氏朝鮮王朝の水軍が大勝利を得たことがあだとなって欧米諸国の先進文明の採択が遅れ、ひいては日本の朝鮮併合の悲しむべき事態になるのである。
 日本は英、仏、蘭、スペインなど四ケ国の海軍砲撃を下関海峡で受け、西欧諸国の国力を認識してより早く、軍事、教育などの文化招来を計ったが朝鮮は漢江の潮位の差によって座礁した欧州海軍を撃破したことで欧州諸国を見くびったためにその文化招来をおくらせてしまったがこの日本との認識差が十数年に及んだためにこのわずかの年数がその後の両国の近代化に大きな影響を及ぼす事になった。
 日本の近代化の速度に朝鮮は大きく遅れをとり、ひいては前述の日本に併合される悲運を受ける結果となった。
 ソウルを貫く漢江には当時、十五の橋梁がかかっていた。
 そのなかでも歴史が最も古く、かつ大掛かりな鉄橋は漢江大橋である。この鉄橋はソウル中心部から京釜線にそって南西にのびる国道をむすぶ橋梁で、大正初期に朝鮮総督府によって建設され、漢江にかかる鉄橋で最も古いものである。
 ここを通過する度に、友人のK氏は…この橋は日本が建設したのでとても丈夫で今でもびくともしない!とその都度、同じ言葉で日本の技術を称賛する。訪韓は百数十回をこえるが、漢江にかかる橋梁は二十をこえるので、この鉄橋を通過したのはまだ、七、八回だが彼は通過する度にそんな自慢?をするのである。
 たまさか、数年前には、工事の手抜きで橋梁が落下崩壊する事故があった。