韓国旅の風景 十一
一千万の大都市、ソウルに大自然そのままの庭園がある。
韓国の李氏朝鮮王朝の歴史を秘める故宮、景福宮、昌慶苑、徳寿宮、宗廟、などの李王朝の建物(一部は任辰倭乱…イムジンウェラン…秀吉の侵略の役にて焼失)群のなかで昌徳宮は李氏朝鮮王朝の一四〇五年に景福宮の別宮として建造され、もっとも李王朝の名残をとどめる建物で、中の仁政殿を含めて一八七二年に景福宮が再建されるまでは王と王妃一族の住まいであった。なかの楽善斎にはなくなった李方子(閑院宮家から朝鮮王朝最後の皇太子、李殿下に嫁いだ)と嫁女のジュリア夫人が住んでいた。そのことを説明する公務員ガイド(日本語、韓国語、英語と入場者は分けられる…私は体験のため、知らぬ顔で韓国のおのぼりさんグループへ混ざった)は秀吉の侵略についての説明には悲憤的な表情で厳しい口調になった。
秘苑(ピウォン)はひろびろとした宮内の一角に大自然そのままの小山のほとんどが落葉濶葉樹で秋には楓、栗の木の紅葉が眼にしみるほと美しい。檪(クヌギ)柏の木のしたにのんびりと白と黒の朝鮮烏が人なれして目の前をあるいている。春には桜が咲き、夏には緑が眼に染みて秋には紅葉。こんな大自然の摂理のままに庭園の自然を徹底的に守ったのが秘苑である。
私は市内に滞在する時は、必ず秘苑か、景福宮の博物館を訪れて李朝の昔をしのぶことにしている。
秘苑はその広さに比べて、なかの建物の比率はわずか一パヘセントにすぎず、四十数棟が建つだけで生い茂る樹木の影にやっとその姿を垣間見る。
緩い坂道を登ってゆくと栗林のした、栗がころころ割れて散乱している。
秘苑は日本の室町時代に発展を遂げた庭園の人工美と比較することはできない風雅にみちている。
一千万の大都市、ソウルに大自然そのままの庭園がある。
韓国の李氏朝鮮王朝の歴史を秘める故宮、景福宮、昌慶苑、徳寿宮、宗廟、などの李王朝の建物(一部は任辰倭乱…イムジンウェラン…秀吉の侵略の役にて焼失)群のなかで昌徳宮は李氏朝鮮王朝の一四〇五年に景福宮の別宮として建造され、もっとも李王朝の名残をとどめる建物で、中の仁政殿を含めて一八七二年に景福宮が再建されるまでは王と王妃一族の住まいであった。なかの楽善斎にはなくなった李方子(閑院宮家から朝鮮王朝最後の皇太子、李殿下に嫁いだ)と嫁女のジュリア夫人が住んでいた。そのことを説明する公務員ガイド(日本語、韓国語、英語と入場者は分けられる…私は体験のため、知らぬ顔で韓国のおのぼりさんグループへ混ざった)は秀吉の侵略についての説明には悲憤的な表情で厳しい口調になった。
秘苑(ピウォン)はひろびろとした宮内の一角に大自然そのままの小山のほとんどが落葉濶葉樹で秋には楓、栗の木の紅葉が眼にしみるほと美しい。檪(クヌギ)柏の木のしたにのんびりと白と黒の朝鮮烏が人なれして目の前をあるいている。春には桜が咲き、夏には緑が眼に染みて秋には紅葉。こんな大自然の摂理のままに庭園の自然を徹底的に守ったのが秘苑である。
私は市内に滞在する時は、必ず秘苑か、景福宮の博物館を訪れて李朝の昔をしのぶことにしている。
秘苑はその広さに比べて、なかの建物の比率はわずか一パヘセントにすぎず、四十数棟が建つだけで生い茂る樹木の影にやっとその姿を垣間見る。
緩い坂道を登ってゆくと栗林のした、栗がころころ割れて散乱している。
秘苑は日本の室町時代に発展を遂げた庭園の人工美と比較することはできない風雅にみちている。