吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

韓国旅の風景 二十三

2006年05月15日 12時02分38秒 | Weblog
 韓国旅の風景  二十三

 長柱(チャンスン)
 三十年ほど前に始まったセマウル運動(農村の近代化運動)によって農村の暮らしが近代的に生まれ変わった。それまでは村のどこに行っても藁葺き屋根に牛小屋の農家ばかりだったが一九八〇年頃にはすでに半数の農家は煉瓦建て、オンドル部屋、テーブル式食堂、近代的な応接間などになってすっかり昔の面影は消えた。
 それまで村々の入り口に建っていた長柱はしだいに減って、今ではソウル近辺の村には見る事もできない。
 長柱は主に木、それも松の木で荒削りした柱の上部に両班帽に吹き出しそうに歯を剥いてぎょろ眼をした人面を描いて胴部には東方青帝大将軍とか、西帝地下大将軍の文字がかきこんである。
 長柱には木と石製の二種類があって、石製で有名なのは濟州島のトルハルバン像で、これもぎょろっと剥いた大きな目玉が特徴で黙って見ているだけで笑いが込み上げてくる。 女性にとってはお産信仰としての人気が大きい。石柱は本来、トルチャンスンと呼ばれていたが、その姿がハラボジ(爺さん)に似ているのでトルハラバンとも言われた。
 ちよっと見には歯をむき出して眼はかぁーと大きく開いて、いかにも恐ろしい形相に描かれているが、かえってそれがおかしく、見れば見るほどふきだしたくなるのである。
 女の顔立ちのチャンスンには、地下女将軍の文字がかいてある。全体に平均して赤い色をぬってあるので、いかにも怒りの形相を…と思ってもなんとなくおかしいのである。
 チャンスンは村人にとって守護神であり、村に病魔や悪鬼が入らぬようにしたのがはじまりだった。
 この柱の建て替かえには、陰暦の一月十五日の夕刻と昔から決まっていた。
 そして建て終わると村人一同は盛大に鉦や長鼓(チャング)を打ち鳴らして踊りまくるのである。