吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

韓国旅の風景 二十二

2006年05月14日 12時46分25秒 | Weblog
 韓国旅の風景  二十二

 乙支路(ウルジロ)       
 明洞、鐘路、乙支路、仁寺洞、はソウル市庁前広場から東に乙支路、一、三、四街、北に鐘路三、五街と続き、仁寺洞(インサドン)の骨董街,美術画廊、毛筆、陶磁器、古家具屋、古本街、がびっしり続いている。
 鐘路二街の路地奥にいつも私が行く小さな日式料理屋がある。ここはT大学の教授、学生の溜まり場で、文化財の酒豪逹がよく使う店だがその理由は大関、白鹿などの日本酒が結構そろっているからだ。
 真路(チョンノ=焼酎)ばかりの日々、たまには、といった連中が日本酒を飲みにくるのだ。乙支路の名前は高句麗時代の名将、乙支文徳(ウルジムントク)からとった名で、将軍は巧妙な作戦で隋の三万五千の大軍を撃破し、ついに隋滅亡の因を作った。この記念碑は金浦空港から東に漢江を渡った橋の袂にある。
 一昔前の乙支路は道路の舗装もままならず、一雨降れば道は泥濘と化した有様だった。そんな詩をうたったのを思い出した。
 わがふるさとの匂がする
 ぬかるむ停留所の広場をわたり
 暖炉もない冷え冷えする待合室
 鼻髭につららを下げて震える老人が
 わかって見ると
 隣りの薪尼面(シンニミョン)
 これは韓国の有名な詩人、申康林(シムキョンニム)の若き日の詩であり、わずか二十年の歳月がソウル大都市に変貌した様子が伺える。乙支店路の路地にはそんな匂が籠っていた。