韓国旅の風景 二十二
乙支路(ウルジロ)
明洞、鐘路、乙支路、仁寺洞、はソウル市庁前広場から東に乙支路、一、三、四街、北に鐘路三、五街と続き、仁寺洞(インサドン)の骨董街,美術画廊、毛筆、陶磁器、古家具屋、古本街、がびっしり続いている。
鐘路二街の路地奥にいつも私が行く小さな日式料理屋がある。ここはT大学の教授、学生の溜まり場で、文化財の酒豪逹がよく使う店だがその理由は大関、白鹿などの日本酒が結構そろっているからだ。
真路(チョンノ=焼酎)ばかりの日々、たまには、といった連中が日本酒を飲みにくるのだ。乙支路の名前は高句麗時代の名将、乙支文徳(ウルジムントク)からとった名で、将軍は巧妙な作戦で隋の三万五千の大軍を撃破し、ついに隋滅亡の因を作った。この記念碑は金浦空港から東に漢江を渡った橋の袂にある。
一昔前の乙支路は道路の舗装もままならず、一雨降れば道は泥濘と化した有様だった。そんな詩をうたったのを思い出した。
わがふるさとの匂がする
ぬかるむ停留所の広場をわたり
暖炉もない冷え冷えする待合室
鼻髭につららを下げて震える老人が
わかって見ると
隣りの薪尼面(シンニミョン)
これは韓国の有名な詩人、申康林(シムキョンニム)の若き日の詩であり、わずか二十年の歳月がソウル大都市に変貌した様子が伺える。乙支店路の路地にはそんな匂が籠っていた。
乙支路(ウルジロ)
明洞、鐘路、乙支路、仁寺洞、はソウル市庁前広場から東に乙支路、一、三、四街、北に鐘路三、五街と続き、仁寺洞(インサドン)の骨董街,美術画廊、毛筆、陶磁器、古家具屋、古本街、がびっしり続いている。
鐘路二街の路地奥にいつも私が行く小さな日式料理屋がある。ここはT大学の教授、学生の溜まり場で、文化財の酒豪逹がよく使う店だがその理由は大関、白鹿などの日本酒が結構そろっているからだ。
真路(チョンノ=焼酎)ばかりの日々、たまには、といった連中が日本酒を飲みにくるのだ。乙支路の名前は高句麗時代の名将、乙支文徳(ウルジムントク)からとった名で、将軍は巧妙な作戦で隋の三万五千の大軍を撃破し、ついに隋滅亡の因を作った。この記念碑は金浦空港から東に漢江を渡った橋の袂にある。
一昔前の乙支路は道路の舗装もままならず、一雨降れば道は泥濘と化した有様だった。そんな詩をうたったのを思い出した。
わがふるさとの匂がする
ぬかるむ停留所の広場をわたり
暖炉もない冷え冷えする待合室
鼻髭につららを下げて震える老人が
わかって見ると
隣りの薪尼面(シンニミョン)
これは韓国の有名な詩人、申康林(シムキョンニム)の若き日の詩であり、わずか二十年の歳月がソウル大都市に変貌した様子が伺える。乙支店路の路地にはそんな匂が籠っていた。