裏甘×辛 ドラマ、映画の感想

最近は映画の感想が多いです。
あとYouTubeの宣伝とか。

「青空のむこう」アレックス・シアラー

2005-07-22 07:16:35 | お勧め
「やり残したことがあるんだ」

交通事故で突然の死を迎えた子供。ハリー。
「彼方の青い世界」へ行くために、もう一度「生者の国」にもどることにした。
幽霊として。



「チョコレート・アンダーグラウンド」を読んで、どうしても他の作品を読みたくなっていた。
特に気になっていたのが、この「青空のむこう」
表紙は真っ青な空。そこに小さな男の子が、まるで飛び降りるように写っている。
書き出しはこうだ。

「人はみんな、死んだらあとは楽になるだろうって思うらしい。だけど、絶対そんなことない」

いきなり興味を鷲掴み(笑)

ここには神様も悪魔も天国も地獄も出てこない。
あるのは「生者の国」と空の上にある「死者の国」と「彼方の青い世界」



子供の目を通して、生と死をシンプルに、時にコミカルに、それに怒りや悲しみや、ちょっぴりの感動を付け加えて考えることが出来た。
大人だけじゃなく子供にも読んでもらいたい素晴らしい本だと思う。

最後に、1番ココロに残った言葉を1つ。

「汝の怒りの上に日を沈ましてはならない」

ASIMO

2005-07-21 10:59:58 | つぶやき
ASIMO

本田技研工業が、2000年に発表した二足歩行型ロボット。
1980年代から秘密裏に研究開発され、1996年に「P2」型が発表された。
発表時点で専門の研究室等を遥かに凌ぐ性能を持っており、世界中のロボット開発・研究者が驚くことになった。

予測運動制御によってZMPや身体の重心をコントロールして歩くことができる。
あらかじめ設定した動作に対して、自由に行動が可能。
人との歩行、障害物の回避、音声認識と返答、何よりも階段の上り下りを自在にできる。

この「下る」という作業が実は二足歩行の難しいことで、なおかつ四足歩行よりも優れている点だ。
人間はどんな状況でも二足歩行することができるために大きく発達した脳をもつことができた。
フリーになった両手で物をつかんだりすることも、それを使って自由に行動することもできる。
そして、本田技研工業のASIMOは人間の形により近づけたおかげで同じような動作を可能にしている。
相似器官をもつ極めてヒト型に近いロボットという点で進化論的にいえば収斂という現象に近い。

いずれ、この機能を各パーツごとに人に応用できるようになるだろう。
歩けなかった人も、人工の足で自由に歩ける日が来るのではないか。






ちなみに、今現在、俺がASIMOに負けているのは進化の遅れじゃない。

ヤッター!

2005-07-20 04:15:12 | つぶやき
ヤッターとラッキーは微妙にニュアンスが違う言葉だ。
FMくしろの佐藤さんとテーマについて話してた時に「それはヤッターじゃなくてラッキーだよね」などと選別していた。じゃあ、ヤッターとラッキーの違いってなんだろう?
「ラッキー」は「Lucky」であり、元々は英語だ。意味は「運」が妥当なところか。ひじょうに神頼み的な他力本願な言葉(笑)
「ヤッター」は自分で行動を起こした結果、得られた嬉しさって感じ。やり遂げた達成感や、その対価。
どちらも嬉しい結果には違いない。人との出会いなんかはラッキーの範疇だし、そうなると人生ではラッキーが左右する部分も大きいといわざるをえない。
ただ個人的には、自分が精一杯やって手に入れた幸せがよかったりする。幸運だって、自分の力で呼び寄せたと思いたい。
ようするに俺は、いつも自分中心で自己主張が強い「ガキ」だってことだ。

歩み

2005-07-19 06:53:33 | つぶやき
両足をしっかりと地面につける。
左足に体重をかけ、足の裏全体に力を込める。
右足をゆっくり引き付ける。
左爪先に力を入れ、踵を離す。
身体をやや前へ。
引き付けていた右足を前へ。
右足踵から着地し、足の裏全体でしっかり地面を踏み締める。

左足でも同じように繰り返す。

「歩く」という動作は複雑だ。
地面は平とは限らないし、障害物や階段、上り坂に下り坂もある。
健常者である俺達は、「歩く」ことに疑問もなく不便もない。せいぜい、疲れたと贅沢を言う程度。

想像はついても実感できないことが、普段の生活の中でいかに多いか。
この機会に、あらためて自分の身体をゆっくりと検証してみよう。運動力学も意外と面白い。

ちなみに今の社会に必要なのは、バリアフリーだけじゃなく、相手を思いやる人のモラルだ。

朝焼け

2005-07-18 05:23:45 | つぶやき
窓の外が、うっすらと明るい。淡い雲の向こうで、オレンジ色の太陽がゆっくりと上っていく。
時折、光の束が何本か地上を照らす。
緑がざわざわと息吹、水面が柔らかに波紋を広げる。
夕焼けとは違う空の色。
夜の深い蒼と朝日で焼けた雲の朱が混ざって作られた深紫の空。

柔らかい朝。

目を被うような朝より、こんな朝焼けがいい。
じんわりと力を溜めていくような、昨日までの澱を掬い取るような。

静寂の中に訪れる、休日の朝。

2005-07-17 04:08:05 | つぶやき
ここ数日、なんとなく花を見る機会が多い。
窓辺の花を眺めながら、名前はなんだろう? とか花言葉とかあるのかな? とか。
こういう時に、ネットに繋げないのは実に不便。すぐに本屋とか図書館に行けないのも不便。近いのにねえ(苦笑)
花の命は短い、などと言うが、本当に短いんだな、なんて今更。
どんな花が咲くか解らない蕾から、見たこともない花が咲くのはワクワクと楽しい。
花なんて、女性にあげることはあっても、自分が貰うことは殆どなかった。だから沢山の花を貰って、ちょっと新鮮な驚きがあったりする。
うん、悪くない。
今年は大好きなラベンダーを見に行けそうにない。
かなり残念だったけど、新たな発見もあったから我慢しよう。思い通りにいかないのが人生だ。

花の事典って高いかな?

失われた半身を求める

2005-07-16 10:59:04 | 人気の記事
昔々、神話の時代、人は三種類だった。
今のように、「男」と「女」ではなく、「男男」と「男女」と「女女」の三種類。
二人の人間が一対になって「一人」だったわけ。なんとも奇妙だけれど、最初から二人だから寂しくないし、相手を選ぶことが出来ないけど不満もなく皆仲良くやっていたらしい。
自分の左手を嫌って交換したりしないでしょ? きっと、そういう感じ。
ある日、神様が全ての人間を大きな雷で真っ二つに引き裂いてしまった。
地上に残されたのは「男」と「女」だけ…
全ての人間は引き裂かれた雷の痛みを胸に抱えたまま、失われた半身を探し続ける。
そう、今でも。

一人でいるときに、ふと、左右どちらかが寂しい感覚に捕われたりしませんか?
誰かと一緒にいるときに、左右どちらかが「落ち着く」ことはありませんか?
それはきっと、引き裂かれた半身の思い出。
かつて愛し合った人との別れの痛みは、雷で引き裂かれたときの痛み。

これからもずっと、ココロに痛みを抱えたまま、失われた半身を求めてさ迷い続ける…
「選択」という「罪」と「自由」という「罰」を与えられ、それでも二度と引き裂かれることがないように願いながら…

2005-07-15 04:35:33 | つぶやき
一人の女性の特別な恋が終わった。

細かく内容を書くような野暮は止めよう。
特別な恋の、ありふれた別れ話しだ。

彼女は号泣していた。

悲しい時、嬉しい時、悔しい時、色んな時に人は涙する。
古今東西、時代が違っても、涙は人間らしい感情を1番あらわすものとして扱われている。
なんだか不思議だ。
言葉なんて通じなくても、涙は万国共通で人の心を揺さぶる。

涙なんか、眼球を埃などから保護したりするための機能にすぎない。
どうして感情の一つとして機能しているんだろう? ともすれば泣き腫らした状態は疲れ目などの要因になるはずだ。これでは本末転倒じゃないか。

なぜ涙がでるんだろう。

泣くことで相手に感情を表したい?誰かに解って欲しい?
よく考えたが、やっぱり解らない。

それでも、彼女の気持ちを考えたら、少し泣けた。

誰にも気付かれず一人涙して、やっぱり理由は解らないなと思った。
ただ、涙だけがこぼれている。

誠意

2005-07-14 04:14:27 | つぶやき
誠意ってなんだろ?

「誠意ってカボチャかね?」
こう言ったのは菅原文太だ(笑)勿論、大根でもなけりゃ鮭でもない。

物欲と拝金に支配され、現実的には資本的社会主義国家である今の日本。
会社の名刺さえあれば、利益優先で義理人情まであっさりと売り渡す奴ら。

そこにあるのは、誠意ではなくテクニックだ。

言葉巧みに書類と統計で未来を皮算用しようとし、勝手な「当社の基準」で全てを掌握しようと排他主義を貫く。
話し合いをする気は毛頭なく、一方的な主張を繰り返すばかり。
だが今回は相手が悪かった。

俺だ(笑)

勝手な基準や交渉のテクニックで負けるわけがない。自他共に認める「自分勝手」な男を、甘くみてもらっては困るのだ。何よりも力を振りかざすものに噛み付くのが癖だ。
義理人情を通し、誠意を尽くしてくれれば…たったそれだけのことが今の日本では難しい。
つくづく思い知らされたのは、知識や意見をもたない弱者は徹底的に喰い物にされるという、今の歪んだ社会の在り方だ。
自分の手の届く範囲だけで生きていけるとは限らない。戦って勝ち取らなければ、僅かな自尊心すら刈り取られてしまう。大切なものを守りたいなら、自らを鍛え、揺るぎない信念を持たなければ。

外国の言葉にはない表現を持っているはずの日本人。失われゆく美しい言葉と共に、「誠」という日本人独特の精神も忘れていくのだろうか。


「誠」の一文字。言葉と心が一致して違わず。偽りなく、本物であれ。

ソリッド

2005-07-13 01:53:19 | つぶやき
人間が生きていると、いろんなものが増えてくる。
それは物であったり、経験や記憶だったり、関係やシガラミだったり。肉体的な問題で贅肉もそうだ。(これが1番切実だ)
時にはこういったものの中から、その時「無駄」だと感じたものを削り取り、削ぎ落とす作業が必要になる。人生の節目というか、タイミングは大切だ。

ソリッド感。
とでも言おうか。鋭利な感覚。研ぎ澄まされた感じ。肉体的にも精神的にも削ぎ落とす作業を始めると、決まってこの感覚に陥る。
不思議なこの感覚なんだけど、意外と心地良かったりもする。

人生に無駄や余裕も必要だ。そこに文化や芸術が生まれるから。
ただ、ものには限度がある。そして無駄にも鮮度があると思う。
だから機会があれば削ぎ落とし、また新たな無駄(余裕)を求める。

今は、そういう時期だ。