東大寺二月堂の修二会は最終盤を迎えた。十一面観音に供える香水(こうずい)をくむ「お水取り」を控えた12日夜には、籠松明(かごたいまつ)が二月堂へ。2万4千人の参拝者が夜空を焦がす炎に見入った。

 午後7時半。鐘の音が響く中、60キロ以上という籠松明をかついだ童子(付き人)が、11人のこもりの僧をそれぞれ誘導。火の粉を振り散らし回廊を駆けた。

 お水取りは、13日未明に営まれる。須弥壇(しゅみだん)の周りを駆ける「走り」の行、躍動的な炎の行「達陀(だったん)」が14日にかけて夜遅くにあり、春待つ祈りは15日の明け方に満行を迎える。

ログイン前の続き■神々との深いつながり

 まもなく満行を迎える東大寺二月堂の修二会。行法のいくつかを取材して感じるのは、神々との深いつながりだ。

 「春日の大明神、布留(ふる、石上〈いそのかみ〉)の大明神、大和(おおやまと)の大明神……」。14日間の修二会では、毎晩必ず「神名帳(じんみょうちょう)」を読み全国522の神様を呼ぶ。緩急やリズムは決まっていて、平らに「だいみょうーじーん」と読む神様もあれば、「だいみょおーじん」とふくらませるように抑揚をつける神様も。点呼のようでもある。

 法会の別名になった「お水取り」も、神名帳にまつわる伝説が起源とされる。752年に修二会を始めた実忠(じっちゅう)が神名帳を読み上げたのに、若狭の遠敷(おにゅう)明神は釣りをしていて遅れた。おわびに香水(こうずい)を送った――。

 11人のこもりの僧には、密教や神道の作法を担う咒師(しゅし)という役がある。

 日に6回の祈りのうち2回で、神名帳とは別の作法で仏法を守る神々を招き、祈りの場を清める。とんがった帽子をかぶり、腕を高々と掲げて鈴を振る所作が戸帳に浮かぶ。今年の咒師は、上司永照(かみつかさえいしょう)さん(53)。テノール歌手のような声明を響かせる。

 本行入りの前日に幣を振っておはらいする「大中臣祓(おおなかとみのはらえ)」も咒師が務める。

 神道のつながりをひもとくと、かつては神職も修二会にこもっていたという。

 東大寺の鎮守社、手向山八幡宮の上司延禮(のぶひろ)宮司(51)によると、明治の神仏分離の前には、食事などを担当する「大膳(だいぜん)」として宮司が参籠(さんろう)していた。今はこもりこそしないものの、宿所のかまどのお清め、祈りの場として結界するためのしめ縄にさす御幣の用意、小観音の厨子(ずし)の見張りなどをする。

 「大仏建立にあたり、聖武天皇は九州から宇佐の八幡神を呼んだ。法会に際し『神様の力を借りましょう』という考え方は、今もあるのだろう」と上司宮司。大膳の日記は研究者の手で解読が進められているといい、先祖が担った役割の解明に期待を寄せる。