フォト散歩

ブックマーク下の「後藤正治ホームページ」をクリックするとホームページにつながります。

フォト歳時記  ”イラン”(4)

2019年06月15日 | シルクロード

イラン北道 ”キャラバン・サライ”(隊商宿) (2003年撮影)

キャラバン(隊商)の一日は早朝ラクダを放牧して隊員は昼頃朝食を摂る。

午後野営地を出発して約30キロ行進して夜遅くキャラバン・サライに到着する。

キャラバン・サライは二階建てで下はラクダ、二階は隊員が泊まる。

キャラバンは一人が20頭のラクダを受け持ち全体で300頭位が一編成になる。

隊員は往路はラクダに乗ることは出来ない。(乗ることが出来るのは隊長とコック長だけ)

[長澤和俊著「シルクロードを知る辞典」より]

 

イラン北道(マシュハド〜テヘラン) ダームガーン付近 (2003年撮影)

イランはアーリア系ペルシャ人が住み宗教はほとんどの人はイスラム教シーア派。

 誇り高き民族で遠来の客を歓待する習慣があるが〜・・・安倍首相の場合は〜・・・?。 

 

 

 


フォト歳時記 ”イラン”(3)

2019年06月14日 | シルクロード

シラーズ付近(2000年撮影)

洗濯する遊牧民カシュガイ族の女性

 

ヤズド 鳥葬の”沈黙の塔” (2003年撮影)

ゾロアスター教では死者を鳥葬にする為に”沈黙の塔”と言われる山の頂上に遺体を置いた。

またゾロアスター教は”拝火教”とも言われ”火”をご神体とする。

”火を拝む”考え方は後の仏教、キリスト教に影響を与えたとも言われている。

 

バムから約100Km付近 ”ミル・イ・ナダリ”塔(2000年撮影)

イラン南道パキスタン国境近くの町ザへダンに向かう道中に直径3m、高さ15mの塔がある。

夜塔の上で火を焚き移動する隊商の道案内をするため11世紀に建てられた。

 

 

 


フォト歳時記 ”イラン”(2)

2019年06月13日 | シルクロード

イラン イスファハン (1999年撮影)

イスファハンは16世紀末サファヴィー朝の首都だった。

町の美しさは「イランの真珠」と言われている。

 

イラン マシュハド  イマーム・リダー寺院にて (2003年撮影)

マシュハドはトルクメニスタンとアフガニスタンの国境近くにありイスラム教徒の重要な巡礼地となっている。


フォト歳時記 ”イラン”

2019年06月12日 | シルクロード

NHK TV 19:00 ニュースより

安倍首相が最新の政府専用機トリプルセブン ダッシュ 300(777-300) でイランに出発した。

お昼のニュースでは滑走路から飛び上がる絵を放送していた。

今までのジャンボ機より飛行する姿は美しかった。

おまけ

イラン バム城(1999年撮影)

2003年 ”バム地震”によって死者4万人以上、日干し煉瓦造りの世界遺産”バム城”は崩壊した。

イラン ケルマンの父娘(2000年撮影)

およそ100前日本がロシア帝国に勝ったためそれまでロシアから”いじめ?”を受けていたイランは親日国になった。

トルコも同じ理由で日露戦争後、親日国に。

 

 

 


フォト歳時記 ”蟷螂生ず”

2019年06月11日 | 日記

第二十五候(6月5日〜10日)”カマキリ生ず”

カマキリの赤ちゃんが歩き回る頃と思ってこの一週間、庭で探したが残念ながら見つけることが出来なかった。

仕方なく今日はてんとう虫の赤ちゃん?を〜・・・一枚パチリ。

 


フォト歳時記 ”時の日”

2019年06月10日 | 日記

今日6月10日は”時”の日とか。

”時”と聞けば時計を思い浮かべるが私にとってはなぜか”鐘”が浮かんでくる。

小学生の低学年の時、終礼はベルではなく”鐘”で知らせていたからなのか・・・。

あと”鐘”で思い出すのは冒険スパイ小説”八点鐘の鳴る時”だろうか。

”八点鐘(はってんしょう)”と普段では聞きなれない言葉だが日本を含め世界の海軍で使われている言葉である。

船上で当直に時を知らせるために30分経つと「カン~」と鐘を鳴らす。

「カン~カン~」で一時間経ったことになる。

甲板当直は4時間交代なので鐘が8回鳴ると交代(終わりの意)になる。

その事を”八点鐘”と言うのだが・・・私の”八点鐘が鳴る時”はいつのことであろうか。

今日の写真はネジバナを時計の中心に見立てて上から一枚パチリ。

 

 

 

 

 


フォト歳時記 ”ロック”

2019年06月09日 | 日記

今日6月9日はゴロ合わせで”ロック”「鍵を見直すロックの日」とか。

しかし私にとってはアールで始まる”ロック”の方である。

私の一日の始まりは賛美歌を歌ったり般若心経を唱えたりしないでエルビス・プレスリーのスローバラード”ブルーハワイ”を聞くことから始まる。

彼は教会のゴスペル聖歌隊の出身だったので彼のロックの歌の中には私は苦手だが”愛”、”博愛”の心があると言う音楽評論家もいる。

上記の写真は机の上に置いてある”エルビスのCD”の歌詞カードである。

おまけ

Mちゃん(2才4ヶ月)が遊びに来てくれた。

二週間ぶりに会ったがその間の成長ぶりに驚いた。

また午後にはM少年も私に会いに来てくれた。

今日はお利口で将来が楽しみの二人のMちゃん、M少年に会えて幸せな一日だった。

 


フォト歳時記 ”梅雨寒”

2019年06月08日 | 日記

中国地方は気象庁の発表ではまだ梅雨に入っていないが小雨が降る寒い一日だった。

この寒さでアジサイの花は少し震えているように見えたが少しずつ色づき始めて来た。

アジサイの花言葉はいろいろあるがその中から「家族」が今日の写真に合うかナ〜・・・。


フォト歳時記 ”五月雨”

2019年06月07日 | 日記

深夜から早朝にかけて激しく雨が降ったが山陰地方は梅雨には入らず関東甲信越、東海北陸、東北南部が梅雨に入ったとのこと。

庭の花はバラからアジサイに変わりつつある。

白っぽいアジサイはこれからどのように”アジサイの七変化”になるのかナ〜・・・なんて雨に濡れながら一枚パチリ。

 タイトルを”五月雨”と付けたのは今日が旧暦の5月5日なので・・・。

 

 

 


フォト歳時記 ”オドントグロッサム”

2019年06月06日 | 日記

温室の中でランのオンシジュームの仲間である”オドントグロッサム”が今年も咲いた。

冬の温度と湿度がチョット大変だが病気に強いので栽培しやすいランかも知れない。

花の形は楽器のサックスやクラリネットの指を置くところ(キイ)のように見えるが・・・?

楽器と言えば今日6月6日は”楽器の日”とか。

6歳の6月6日に楽器を習い始めると上達すると言われているらしい?。

私は今年73歳になるのでもうズット手遅れだナ~・・・なんて思いながら気軽に一枚パチリ。

 

 


フォト歳時記 ”芒 種”

2019年06月05日 | 日記

今日6月5日から6月20日までは二十四節気の”芒種”(ぼうしゅ)「稲や麦など穂が出る植物の種を蒔くころ」になる。

今日の写真は愛猫”ハッピー”の草です。

種を蒔いてこの大きさになるにはふつう2週間かかるが今回はまだ一週間余りなので少し成長が早いような気がする。

きっと今週の月曜日から明日の木曜日までが”大潮”なのでその関係かナ~・・・なんていい加減に考えながら一枚パチリ。

 


フォト歳時記 ”あの日”

2019年06月04日 | 日記

30年前の今日、お隣の大国で事件が起こった。

その年の6月の中旬から東京新宿で私の写真展”西域”を開催するためにお世話になった数人のウイグル人を招待していた。

しかし東京に向けて出発する前日にあの事件が起こりその結果出国出来なくなってしまった。

その後のことをいろいろ書きたいが”ブログ”の性質上この辺で止めておく。

平和な日本では今日の日付の”ゴロに合わせ”で”ムシ”の日とか。

30年前の外国の事件のことを思い出しながら庭にいる”団子ムシ”を一枚パチリ。

(どこに団子ムシがいるか探して下さ〜い!!!)


フォト歳時記 ”梅の実”

2019年06月03日 | 日記

庭にある梅の木に数個の実がなった。

梅酒を造るには今年は数が足りないナ〜・・・なんて独り言を言いながら一枚パチリ。

あと数日で第二十七候(6月16日〜20日ごろ)”梅子黄”(梅の実 黄ばむ)になる。

 


フォト歳時記 ”開港記念日”

2019年06月02日 | 日記

今日は横浜港の開港記念日だとTVで言っていた。

私にとっての横浜港の原風景と言えば氷川丸、横浜マリンタワー、山下公園、旧シルクホテル屋上庭園から見る大桟橋になる。

今日は以前に大桟橋から撮った氷川丸、マリンタワーの写真をパソコンに出して当時を懐かしく思い出した。

余談だが横浜港が見えるベストポジションは”神奈川県民ホール”のレストラン!!!

”ハンバーグ”が美味しかったで~す!!?(数年前の情報ですので・・・)


フォト歳時記 ”自写像”

2019年06月01日 | 日記

今日6月1日は”写真の日”!!!

1841年の今日、日本で初めて写真が撮られモデルは島津斉彬、撮影したのは上野俊之丞になっているが最近の研究ではそれよりも早く写真が写されているらしい。

”写真と私”との出会いは私のホームページのプロフィール「私の写真のDNA」に載せてあるので今日は詳しくは書かないが・・・。

私の写真の恩師”植田正治”先生(フランス芸術文化勲章受章)の先生である”塩谷定好”氏と私の母方の祖父横川泰作ペンネーム”横川武”は”アルスカメラ”誌昭和7年3月号で顔を合わせている。

その後植田正治氏も”アルスカメラ”誌で祖父と会っている。(生前植田正治氏と私は確認済み)

余談だが”アルス”の編集長”高桑勝雄”氏のお嬢さんと私の母は世田谷区S学園と吉祥寺のM学園の某小学校から高校まで同級だったとか・・・。

人の縁って♬不思議なものですネ♬

ホームページ:http:/www.dialand.co.jp/public.html に

またはパソコンでご覧頂いている方は右上のブックマークの下にある”ホームページ”をクリックしてください。