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水戸の見て歩き

水戸の旧町名石碑散歩(3)

2017-11-11 21:56:00 | 水戸

 城東の旧町名です。多くは武家地のようですが、街道筋や河岸は町人地になっているようです。今回は順路を考えないで番号を付けてしまいました。

 

 ①三光町(さんこうちょう) 明治末に明星ヶ池脇に家が3戸建築されたことにようそうです。

 

 ②明星町(めいせいちょう) 町のほとんどが水戸城の堀の一角をなしていた明星池だったそうです。昭和7年に埋め立てられて宅地になったそうです。

 

 ③北三軒町(きたさんげんちょう) 三軒の武家屋敷があったからだそうですが、昭和9年に本町の三軒町と区別するために北が付いたそうです。

 

 ④一ノ町(いちのちょう) もと内川崎と呼ばれた地域の一部で、武家地だったそうです。

 

 ⑤渋田(しぶた) 渋田沼の南にあった、江戸時代に3-4軒の武家地があった地だそうです。

 

 ⑥浮町(うきまち) 中世の「宇喜郷」の地といわれ、藩政初期に武家地になったそうです。

 

 ⑦細谷門前(ほそやもんぜん) 細谷村にあり、天保14年(1843)まであった宝鏡院の門前ということだそうです。

 

 ⑧宝鏡院門前(ほうきょういんもんぜん) 北側に宝鏡院があったことによるそうです。

 

 ⑨二ノ町(にのちょう) もと内川崎と呼ばれた地域の一部で、武家地だったそうです。

 

 ⑩荒神町(あらがみちょう) 三宝荒神があったためにいわれたそうですが、後に三宝荒神(今の竃神社)は七軒町へ移され、名前が残ったのだそうです。

 


 ⑪三ノ町(さんのちょう) もとは外川崎といわれた地域の一部で、藩政初期に武家地になったそうです。

 


 ⑫川崎町(かわさきちょう) 蒼龍寺という寺があったそうです。武家地だったそうです。

 


 ⑬代官町(だいかんちょう) もと外川崎と呼ばれた地域の一部で、江戸時代初期に代官職の屋敷があったそうです。

 

 ⑭馬場(ばば) もと川崎と呼ばれた地域の一部で、江戸時代初期に馬場がつくられたそうです。

 

 ⑮赤沼町(あかぬまちょう) 赤沼という沼を埋めたててつくられた地で、武家地になったそうです。

 

 ⑯元仲ノ町(もとなかのちょう) 江戸時代初期の武家地で、上町の仲町と区別するため元がついたそうです。

 

 ⑰蘋町(うきくさちょう) 江戸時代初期にひらかれた武家地で、元禄の頃は浮草町と書かれていたそうです。

 

 ⑱蓮池町(はすいけちょう) 江戸時代初期、埋め立ててつくられた武家地だそうですが、まだ蓮池の一部は残っていたそうです。

 

 ⑲新町(しんまち) 江戸時代初期に本町に続いて開かれた町屋だそうです。

 

 ⑳川岸通(かわぎしどおり) 荷物の積みおろしをする那珂川の河岸がいくつもあったのでいわれたようです。

 

 ㉑立浪町(たつなみちょう) 江戸時代初期に開かれた武家地で、那珂川に近かったことによる名前だそうです。

 

 ㉒花畑(はなばたけ) 江戸時代初期に開かれた武家地だそうですが、それ以前に藩の御花畑があったそうです。

 

 ㉓蔵前(くらまえ)  延宝2年(1674)に藩の雑穀蔵が建てられ、蔵前と俗称されたそうです。

 

 ㉔蔵脇(くらわき) 雑穀蔵の脇ということだそうですが、倉脇と書かれていたそうです。

 

 ㉕細谷町(ほそやちょう) 岩城街道の渡船場があったそうです。

 

 ㉖細谷本郷町(ほそやほんごうちょう) 岩城街道で、中間、足軽の長屋があったそうです。

水戸の旧町名石碑散歩(2)


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