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ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の江戸氏の遺跡(2)

2016-09-02 22:36:55 | 水戸

徳川頼房までの主な水戸城主
赤尾関城
 水戸市赤尾関町662(公民館)
 現在の那珂市江戸を領した那珂通高(みちたか)は、江戸氏を名乗り、鎌倉幕府に仕えたそうですが、討ち死にしてしまったそうです。その子の通景(みちかげ)は河和田、鯉渕、赤尾関の3ヶ所をその功績によって拝領し、さらにその子が赤尾関城を築いたそうです。満徳寺(写真左)、薬師堂(写真中央)、春日神社(写真右)、公民館(写真左の外)のあたりのようですが、余りよくわかりません。




見川城跡
 見川3(好文橋近く)
 水戸城の西の砦として、江戸氏の家臣、春秋氏が延徳年間(1489-92)に居住していたそうです。(築城はそれより前の、大掾氏の時代で、吉田城、河和田城は同時期だそうです。)廃城は佐竹氏秋田移封後だそうです。




竃神社(かまどじんじゃ おかまさま)
 本町1-2-6 029-226-5896
 江戸氏の時代、その館であった今の水戸城本丸にあったそうです。徳川氏の時代になり、移されたそうです。現在は白梅の備前堀脇にあります。本丸には水が湧きでていて、今の笠原にある水戸神社もあったそうです。




薬王院本堂
 元吉田町682(薬王院) 029-247-6266
 大永七年(1527)に本堂が焼失し、江戸氏が享禄3年(1530)に再建したそうです。その後、徳川光圀によって向きが変わったそうです。端正な美しいかたちをしています。




八坂神社
 河和田町955-2
 河和田城の裏鬼門に天王社が建立されて牛頭天王が祀られたそうですが、江戸氏はこれに祈願して水戸城を攻略したそうです。その後、徳川斉昭が天保15年(1844)に素鵞神社と改名して現在地に移したそうですが、さらに明治2年に八坂神社になったそうです。

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