生きる目的・何のために生きるのか(続)
長寿者・高齢者の人々
石上智康 浄土真宗本願寺派総長 「生きて死ぬ力」より
ジタバタしても はじまらない
いや ジタバタしても いい
いつ どこで どのような姿で 終わろうとも
なんの心配も いらない
だから 何をしてもいい ということでは ないけれど
なんの 心配も いらない
地震の 下敷きになる かも知れない
津波に のまれる かも知れない
コロナ禍でICUに 入れられる かも知れない
念仏も 出ない かも知れない
その時は なるようにしか ならない
なんの心配も いらない
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五木 寛之 小説家・随筆家(福岡県出身1932年9月30日 - )
人はみな「大河の一滴」である。
人間の存在とは、本当に取るに足らないような小さなものである。人は小さな一滴の水の粒にすぎないが、大きな水の流れをかたちづくる一滴であり、永遠の時間に向かって動いていくリズムの一部である。
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橋田壽賀子 脚本家、劇作家が遺した言葉
1925年〈大正14年〉5月10日 - 2021年〈令和3年〉4月4日 享年95歳
仕事がなくなったら、生きていてもしょうがない。
病気になって脚が動かなくなり、人の世話にならなくてはいけなくなったら、やっぱり生きていたくない。
「やっぱり死ぬより生きていてよかった。少しは世の中のためになったかな」と。それに何があっても、戦争中に比べればたいしたことない、とも思えます。
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篠田 桃紅 美術家、版画家、エッセイストの 最後に遺した人生の言葉「これでおしまい」より
1913年3月28日 - 2021年3月1日享年107歳(センテナリアン Centenarian)
春の風は一色なのに 花はそれぞれの色に咲く 人は皆それぞれに 生きなさいってことよ。
自分を好いてくれる人を 悲しませたくない だから生きているのよ ほんの少しの 人たちのために。
死に向き合うなんてことは どんなに偉い人でもできませんよ。
歳を取るというのは 悲しむだけのものでもない 歳を取ってはじめて 得られる喜びもある。
人生は 最初からおしまいまで 孤独ですよ 一人で生まれ 一人で生き 一人で死ぬんです 。
戦後、世界のアートシーンを牽引するニューヨークに単身で渡り、国際的な評価を得た篠田さんは、日本で最初に自由を希求した女性、と言えるかもしれません。その人生は冒険と波乱に満ちていましたが、自分の心のままに道なき道を歩いてきました。
いまより女性の生き方の選択肢がずっと狭く、さらに戦争、結核など、死と背中合わせにあった 昭和の時代に自由を貫くことは並大抵のことではありませんでした。
「人生編」で桃紅さんはこう語ります。 「自由というのは、気ままにやりたい放題することではなく、自分というものを立てて、自分の責任で自分を生かしていくこと。やりたいように振る舞って、人にも頼る。それは自由ではありません。自分の行動に責任を持って考え、自分でやる。それが自由で、だから自らに由る(=因る、依る)という字を書くのです」。
今の時代、自由の大切さを誰もがわかっているけれど、「自らに由って立つ」ことの難しさは変わっていないかもしれません。