

たかじんさん死去:本当に悲しい…首相、フェイスブックに
毎日新聞 2014年01月08日 19時55分
安倍晋三首相は8日、歌手でタレントのやしきたかじんさんの死去を受け、自身のフェイスブックに「本当に悲しい思いです。ご冥福を心よりお祈りいたします」と書き込んだ。自民党幹事長時代にたかじんさんと初めて会った際、「いつか一緒に温泉に入ろう」と意気投合したエピソードを紹介。「実現したのは(2007年に)首相の職を辞した後だった。政治的に尾羽打ち枯らした状況の私を誘っていただいたのはたかじんさんの気遣いだった」と振り返った。
首相は第2次安倍内閣発足後、たかじんさんの番組に2回出演するなど、親交が続いていた。【村尾哲】

たかじんさん死去:辛坊さん生放送で涙 訃報から一夜明け
毎日新聞 2014年01月08日 11時31分(最終更新 01月08日 12時34分)
「関西の視聴率男」として親しまれた歌手でタレントのやしきたかじんさんの訃報から一夜明けた8日、親交が深かった人々から、64歳の若すぎる死を惜しむ声が寄せられた。
「朝生ワイド す・またん!」(読売テレビ)で、司会を務めるフリーキャスターの辛坊治郎さんは生放送内で「いっぱい歌って、いっぱい飲んで、いっぱい人を愛し、何より大阪を愛していた。残念ですね、残念」と涙を流しながら、言葉を詰まらせた。

さらに、たかじんさんと一緒に司会を務めた「たかじんのそこまで言って委員会」(同)について振り返りながら、「ガラス細工のように、ものすごく繊細な人だった。右派的な発言をする人が多く、一方的な番組になりがちなところを、幅の広いリベラルな考え方のたかじんさんが全部まとめていたからこそ、成立していた」と話した。
在阪の各放送局は、たかじんさんの冠を付けた3本のレギュラー番組について、当面そのまま番組名を変えずに放送。「委員会」は来週日曜12日の放送分については「これから放送内容を検討する」とする。
「たかじん胸いっぱい」がある関西テレビ宣伝部は「今週土曜11日の放送は追悼するような内容に変更する予定」。「たかじんNOマネー」のテレビ大阪は「11日放送分について、生放送で追悼の内容を盛り込む予定」とした。
また、MBSラジオは8日午後7時から、子守康範さんらが出演し、追悼特別番組を放送する。たかじんさんは1977〜79年、ラジオ「MBSヤングタウン」で桂文枝さんらと共演するなどしていた。【棚部秀行】

たかじんさん死去:「大阪の話がほとんど」橋下市長も涙
毎日新聞 2014年01月08日 11時37分(最終更新 01月08日 12時13分)
大阪市の橋下徹市長は8日、亡くなったやしきたかじんさんについて報道陣に「お元気になられることをずっと願っていた。大阪を良くしたい気持ちが本当に強かった。一緒に話せば、大阪の話がほとんどだった」と涙を浮かべながら話した。
橋下氏は読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」に2003年の番組開始当初から出演するなど、たかじんさんと公私ともに交流があった。初出馬した08年の大阪府知事選を「たかじんさんの番組で顔と名前を広めてもらって、それだけで当選させてもらったようなもの」と振り返った。
橋下氏は初出馬時、「38歳で2期やっても46歳なんだから」と、たかじんさんから背中を押されたという。橋下氏は「昨年もメールで『またご飯でも食べよう』とか『飲もう』とか連絡を頂いていた。元気に回復に向かっていると聞いていた」と悔やんだ。たかじんさんの死去は関係者から連絡があったという。【重石岳史】

やしきたかじんさん、どうぞ安らかにお眠り下さい。ご冥福をお祈り致します。
しかし、その辺の前都知事や朝ズバの前キャスターなんかとは別格だね。「たかじんのそこまで言って委員会」なんて扇子で煽ぎながら、おちゃらか言っていただけなんだが、記事を読んでいるととても情が厚つそうだ。亡くなった政治評論家の三宅久之さんもたかじんさんに義理立てしたいという姿が番組の中で見えた。
随分前の深夜番組の『たかじんnoばぁ〜』というのはお酒を飲み見がら好きかってなことを言う物だったが、なにかぼーっと観ていたな。

『たかじんnoばぁ〜』でのこの歌、初めて聴いたけどたかじんさんは大阪の看板だったんだね。親分肌だ。

「たかじんのそこまで言って委員会」よく見ている番組です。
他では言えないようなことをさらりと言ってのける、笑っていられる番組ですよね。
それもこれも、たかじんさんの人柄と話術によるものだったと思います。
おちゃらけたことをおっしゃりながらも、歌の上手さには驚いたものです。
番組に一度復活されたものの、また休養されていたので
やはり具合はあまり良くないのではないかと思っておりました。
64歳、まだまだやり残したことがおありだったでしょうに
・・・
でも、「まあ、しゃあないな。あとは頼みまっせ!」なんて
笑って手を振って行かれたような気もしています。
ご冥福をお祈りしたいと思います。
歌は彼ではなく、カラオケで誰かが歌っているのしか聞いた事がないような・・・。
お若いのに本当に残念ですよね。
ご冥福をお祈りします。
大変な努力家で、色々なネタをノートに書き留めていたそうですし、多くの人達が彼を慕うのは情が深く、繊細で、何よりも人間の幅、深さがあったのでしょう。
彼の言動を常人が見習う対象ではないのも事実ですが。
「たかじんのそこまで言って委員会」はこのブログでも何回もとりあげましたが、とても楽しみでした。
今は全く観ていませんが追悼番組は見ようかと思っています。
上の動画を見てちょっと驚きです。
たかじん氏の横に立っているのが桑名正博氏でしょ。
カウンターには堀内孝雄、天童よしみ、三宅久之、宮崎哲弥の各氏。
この番組の放送時間を調べたら土曜日24:00~25:00
(1992年10月~1994年3月)、土曜日23:45~24:45
(1994年4月~1996年7月) でゴーデンアワーじゃないんですよね。
よく集まっていますね。
トミーズ雅氏もアシタントで出ていました。
現在の委員会の山本浩之氏も彼の指名らしですね。
そうだ、一の子分?(笑)桂ざこば師匠もいましたね~。
きっと力があって面倒見がいいんでしょう。
ビートたけしさんみたいなスタイルでぼけばかり言っています。
こよなく大阪を愛していたんだと思いますね。
まあ、芸能人はとことんお酒を飲む人が多いので体を壊さない方が不思議ですが・・・。
やしきたかじん氏がこんなに力があったとは気がつきませんでした。
現役の安倍総理がタイトルの写真の「たかじんのそこまで言って委員会」に出てきた時には出演者も唖然としていましたね。
その日もやしきたかにん氏は入院中でした。
たぶん総理はテレビに出ることが最大の病気見舞いだと考えたのだと想像します。
なるほどですね。
私の親父は生粋の江戸っ子でしたが、大阪人は行動的だって言ってましたね。
福岡で育っている時は大阪弁が耳についたものです。東京弁は心地よく聴こえていたんですが、いつの間にか
私の耳は関西人の中で聴こえてくる東京弁が耳につくように変化してしまいました(笑)
兄貴は関西はアラブだって言ってましたね。
なかなか中に入れてくれないんだけど、いざ仲間になるともうファミリーだって!
>大変な努力家で、色々なネタをノートに書き留めていたそうですし、
そんなエピソードは知りませんでした。
ただ家にはテレビとビデオデッキが何台もあってチェックしているみたいなことを番組で誰かがばらしていましたね。
なにせずっと飲み屋街に入り浸ってていて、何であんなに情報を持っているんだろうとはいつも感心していました。
安倍総理に橋下市長や三宅久之氏の三人が恩義を感じるのには驚きですね。
偉くなえう人で踏み台にしていく人は山といますが・・・。
関西のアナウンサーで辛坊治郎、宮根誠司両氏を全国区に引き上げたのも彼の力があった気がしますね。
関西テレビでのトップキャスター・山本浩之が独立して
読売の「たかじんのそこまで言って委員会」に引っ張ったのもすごいと思います。
たぶん、病院から発案して指名した気もしますが、どうなんでしょう?