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小父さんから

ミーハー小父さんの落書き帳

記事/近聞遠見:失言の雄「曲学阿世の徒」=岩見隆夫

2010年11月27日 | オピニオン
 
子供の頃、近くのバス路線にワンマンバスが通った時、近くのおっちゃんが「吉田総理バスや!」と言ったのを思い出す。ワンマン宰相と呼ばれた吉田茂という人は別格だったんだろう。「曲学阿世の徒」がこの総理の口から出ていきさつの前後のことを初めて知った。それにしても最近の政治家の貫禄のないこと!次から次にコメンテ-ターのようながよく出てくるねー。管総理も自分で判断して裏目に出たら俺が腹を切るみたいなふるまいをやって欲しいもんだ。奇兵隊とは度胸の座っていない者の集まりだったのかな~(笑)


一連の失言・放言騒ぎは、どうひいき目にみても情けない。軽口をたたいて、閣僚が辞める。世間は怒りでなく、失笑し、うんざりしている。四つに組んだ真剣勝負のなかから飛び出した言葉ではないからだ。

 また古い話になるが、昔の信念的な失言がなつかしく思い出される。元祖は言うまでもなくワンマン、吉田茂元首相だ。

 首相在任中の吉田失言で問題化したのは、「不逞(ふてい)の輩(やから)」「曲学阿世(きょくがくあせい)の徒」「汚職は流言飛語」の三つである。いずれも吉田自身は失言と思っていないから、撤回・謝罪はない。

 なかでも、「曲学阿世の徒」発言は、今日的な意味を持っていると思われるので、改めて経過を追ってみる--。



 敗戦から5年後の1950年5月3日、自由党の両院議員総会の秘密会で吉田(総裁)が発言を求めた。米国との対日講和条約交渉の経過を述べたあと、

 「永世中立とか、全面講和などというのは、言うべくして到底行われないことだ。それを南原繁東大総長などが、政治家の領域に立ち入ってかれこれ言うことは曲学阿世の徒で、学者の空論に過ぎない」

 と切り捨てたのだ。曲学阿世は、真理を曲げて世俗におもねり人気を得ること、中国の古典「史記」にある。

 当時、国内では講和論議が沸騰していた。吉田は米英など西側諸国と結ぶ単独講和を決意し、交渉を進めていたが、学者・知識人や革新陣営の間ではソ連などすべての交戦国との全面講和論が強まり、国論二分の様相だった。

 吉田はいらだったのだろう。これだけ国の将来を考え粉骨砕身しているのに、という怒りもあった。「曲学阿世の徒」は明らかに失言だが、反対者をけ散らす最高指導者の迫力は伝わってきた。

 3日後、南原は記者会見し、

 「学問の冒〓(ぼうとく)、学者に対する権力的強圧以外のものではない。全面講和は国民が欲するところで、それを理論づけ、国民の覚悟を論ずるのは、政治学者としての責務だ。それを曲学阿世の徒の空論として封じ去ろうとするのは、日本の民主政治の危機である」

 と反論の声明を発表した。もっともな主張である。

 旧社会党は全面・単独で対立し、翌51年10月、左右両派に分裂(55年に統一)したほどだから、全面講和論を空論で片付ける吉田の高圧的な姿勢は批判されて当然だった。

 痩身(そうしん)、気骨の南原は当時、学界の頂点に立つ権威、世間にも名が知られ人気があった。自由党の佐藤栄作幹事長は再反論している。

 「学問の自由は尊重するが、すでに政治の問題になっているので、象牙の塔にある南原氏が政治的表現をするのは、日本にとってむしろ有害だ」

 と。説得力がない。

 しかし、吉田はこだわった。のちに著書「回想十年」(新潮社・58年刊)のなかで、<新しい意味の「曲学阿世」>の項を設け、次のように書いている。

 <ジャーナリズムの歓心や、左翼好みの青年たちの人気を得ようとして、現実離れの意見を発表するものを、新しい意の「曲学阿世の徒」と言ってよいと私は思う。このような傾向を、ずっと以前から苦々しいと思っていた>

 <全面講和論だけではない。世の風潮に調子を合わせる保身の術は、このごろ、責任ある政治家にまで伝染したのか、右に左に言動の一貫性を欠くものを見る。対米協調を説くに怯懦(きょうだ)(臆病(おくびょう)なこと)なのはもとよりだ>

 約半世紀を経て、失言・放言の質の違いを感じる。信念、使命感からはじき出された失言・放言は、それ自体が意味を持つ。いまは軽すぎる。(敬称略)=毎週土曜日掲載


余録:柳田法相の失言

民主党:菅政権、相次ぐ失態 「当選1回」衆院の143議員、不安の渦

クローズアップ2010:失言、撤回、謝罪…「有言実行内閣」迷走続く

近聞遠見:三宅メモに残る「言葉」=岩見隆夫

仙谷官房長官:「小沢なき後の…」 ポロリ失言

毎日新聞 2010年11月27日 東京朝刊


曲学阿世(きょくがくあせい)
世の中に気に入られるように自説を曲げ、信念も気概もなく時流に媚び諂うこと。
真理がわかっているのにも関わらず、自分の身の保身に走って真理をねじ曲げること。
出典は史記の儒林列伝。
轅固生(はんこせい)が同じ斉人の公孫弘(こうそんこう)に対して戒めた言葉。
尚、公孫弘は物腰柔らかで自らに不利となれば巧みに妥協し、いつの間にか相手の上手に立つことが得意であったとされる。                    (四字熟語図書館)
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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (韓国市民)
2025-06-23 00:16:38
日本の左翼は自分の失礼知らないか?自分の学問を歪曲して誤った世論に媚びるそれは曲世ア学のやから
日本左翼はアメリカ植民地憲法の回し犬
返信する
Unknown (小父さん)
2025-06-23 17:18:59
>韓国市民 さんへ
>日本の左翼は自分の失礼知らないか?自分の学問を歪曲して誤った世論に媚びるそれは曲... への返信

コメント有難うございます。

「記事/近聞遠見」は私が好んで読み、ブログで紹介した毎日新聞の論説委員他を務められた岩見隆夫さんのものでした。

私は78歳になりましたミーハー爺ですが、今上記を読み直して韓国市民さんのコメントを読み直しましたが、不勉強ですので意味をよく理解出来ておりません。

有難うございました。
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