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今週の「超訳百人一首 うた恋い」紫式部の人気作家としての苦悩と思い

2012年09月11日 04時18分21秒 | 日本アニメ論

:原稿ナシで書いていますので、筆足らずでしたらすいません:

 今週は、世界的有名な日本古典文学「源氏物語」の原作者である紫式部の話ですが元々宮中みたいな艶やかな所よりも、部屋で一人本を読んだり何か書いているのが何よりも好きな式部-本の軽い気持ちで書いた「源氏物語」が、中宮や帝までが続きを読みたがる程人気が出てしまい皆の期待や待ち焦がれているのが式部にとっては重荷になるばかり。
 式部には男勝りな幼馴染・藤子が居て、式部が幼い頃から漢文が読め好学心溢れていました。ですが、第2次世界大戦後まで≪女子は学問より家事だ≫と言う考えが特に強く、式部が漢文読んでいるとそれを見て男の子達が「女が漢字読むなんてみっともない」と囃子立て父親も式部の前では偉い偉いと褒めて友人の前では「女に学問など」と愚痴る始末。
 幼い頃から才知ある式部はそうした周りの空気に落ち込んでいると、藤子が「漢文読めるからお話を書いてみて」と言われ式部は藤子の為にかなで話を書くと藤子がとても感心して「あんた、漢文で男たちと渡り合ってみなよう」と言われその道に。「源氏物語」の初めの部分を書いてそれが認められ、中宮の教育係として宮中入りしましたが藤子は出勤の多い男性と結婚して世の習いに身を置く事に。
 気丈な藤子に支えられていた式部が、会えなくなった幼馴染が久しぶりに京に帰ってきたので会いに行くと丁度まだ夫と一緒に遠方に行く為に子供達と牛車に乗ろうとしていた。声をかけるも藤子はそのまま牛車に乗っていってしまった。式部は、そんな藤子に寂しさを感じながら別れの文を送り部屋で悶々としていたがフッと「あの気丈な藤子も世の女性と同じ男性に合わせる息苦しい人生を送っているから、そんな藤子みたいな女性が勇気持てる『夢や恋話だけでなく女性のしなやかさ・強さを描いた』源氏物語を書いていこう」と思い、新たな気持ちで続きを書く・・・

 今回は、特に世界的に有名な「源氏物語」原作者・紫式部の話が描かれていますが「源氏物語」は単に古典恋愛文学だけでなく、光源氏が年を重ねる内に政治的な話や女性問題など段々人生の影が見え隠れするようになり、子供の代まで書かれる大長編作品-私は、原作は読んでいませんが以前NHKFMのラジオドラマで全編聞きました。
 女流作家でありながらも、極めて宮中での男社会まで書かれている面で凄い物があります。それながらも、光源氏と愛を重ねた女性たちの心の機微が細かく描かれているのが、マンガアニメゲームが主流になってもいまだ世界的古典文学として読まれているのはこうした魅力と力があると今更感じます。
 ただ気になるのは、「源氏物語」も含めて日本の文化関係の書物や映像モノを見る人はやはり一部の(物好きな)知識層と、ある米国人ラジオDJが番組で言っていました-「アジア文化に興味ある米国人は滅多に居ない」と言っていましたが、これは同国の人に失礼だしそういう毒舌で売っている人でしたのでかなり話半分な事だろうと思いますが、私なりに見ていますとあながち冗談でないようでそういう人の話を聞くとかなり偏っている感じが凄く感じます。ですが、私達日本人も胸を張って自国の歴史・文芸を細かく分かり易く短く説明が出来ない実情があります。そういった点では、海外の人に「日本人に日本古典文芸の事を聞いても分からないと言われる」と批判されても反論しにくいです。

 こうしたアニメは、日本人でもスッと百人一首や古典文学の内容や背景が理解できるので深夜だけでなく通常時間でも沢山やって欲しいです。
 実際、1970年代から80年代半ばまではそうした教育アニメが多く制作・放送されていました。最近、殆どないような・・・。



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