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あっちこっち歩いて楽しむおタケさん

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山に登ったかと思えばメタボな食事、お花、キノコ、いろいろ~

熊野古道 大辺路歩き (6/7回) ②

2011-02-18 23:30:30 | 熊野古道・古座街道歩き
2011.02.10(木)
 
朝はホテルの朝食、またまたバイキング~~
 
お昼はお弁当ですから、しっかり夕食分まで食べておきますよ
 
 
ひょっとしたら昨夜の食事より豪華かも 
 
 
欲張りおタケさん、元を取らないと歩けません、、、後悔しますよ、、、
 
 
朝からどんだけ食べるねん、、、、
 
でも、皆さん同じようにお変わりしてましたよ、普通にね~~
 
 
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それでは昨日の秀田(しゅんで)地蔵様までバスで一足飛び~
 
昨日、話があった佐部の山城を後方に見て
今日の語り部さんにご挨拶してストレッチ
 
これから昼の下山までトイレがありませんので念の為に皆
施設にお借りしてスタートです 8:50
 
 
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峠を大小四つ越えて那智の浜を目指します
 
先ずは今日の最大の難所、八郎峠に差し掛かります
峠の登り口の民家の横を山へと取り付きます
民家のおばさんが「昔は何度か歩いたんだけどね」と言って見送ってくださいました
 
 
 
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立派な梅ノ木、南高梅より大きな実が成るそうです
 
 
 
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ちょっと朝ごはん食べ過ぎましたよ~~
いきなり登りですからね、、、、
段築(版築)の道を抜け
 
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標高は200mほどですが尾根に上がるあたりから急な岩場になってきました
風景を楽しむときは必ず立ち止まって安定した位置で、と、注意があります
 
 
 
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ちょっとした馬の背のような尾根の眺めの良い場所で小休止 9:50
熊野灘がしっかりと見えていますがお天気が良すぎて霞んでしまいました
 
                        海と空が一体化しています
                        大きな船も行き交っています
 
 
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                     真ん中あたりのとんがりが八郎山です
 
 
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              八郎山の山頂へは行かずに峠のお地蔵様を拝んで下ります
  
お地蔵様に悪いことををすると2日以内に必ず悪いことがおきますと書かれていました
なら、お賽銭あげたら2日以内に必ず良いことが起きるのだろうか、と誰かがつぶやいていました
 
          「おふき地蔵」様、、藁草履を裏向きに伏せてお供えして祈ると腹痛にきくとか
 
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                           少し休んで一気にくだります
 
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暖かい自然林の中を下りながら赤い実の話でもちきりです
 
センリョウとマンリョウの違いは?
下を向いて下がってるのが重いからマンリョウ
ジュウリョウもヒャクリョウもあるんやで~~
 
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そうこうペチャクチャ話しながら峠をおりてきました
 
 
 
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子抱き地蔵様が里の出入り口にいらっしゃいました
赤いおべべの下に赤ちゃんがいるのです、子宝の欲しい方はめくってご利益いただいてください
なんて、語り部さん、、、だ~れもそんな破廉恥なことするひといません<<アタリマエか?>>
お地蔵さんの前には手書きの道標が往時を偲ばせます
 
 
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中里の集落でしょうか南国の陽射しを浴びて梅の花がほころんでいます
 
 
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中里の山の向こうに光る卍の山、その先に少し尖った山が見えてきました
妙法山と烏帽子山でしょうか??
 
ようやく那智の文字がちらつき始めましたね
 
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おっとーーー、なんだか峠を下るあたりからお腹が張っていたのが
限界に達しましたーーーーー
もう少し歩いたところで昼食休憩ですが、、、、、
弁当をバスで受け取ってから公園までまだ500m 
 
 
              走ります、先頭を必死で走ります、、だって一番でないと待たなくちゃなりません
 
        すると~~!!渡りに舟とはこのことでしょうか、、、
       里の奥様が散歩の帰宅途中、見兼ねてご自宅のトイレを貸してくださいました
                       
                           ギリギリ、セ~フ~~~~
 
                      2名ほどご迷惑をおかけしました
                  上地様、ほんとうにありがとうございました
 
ふ~~~~、やれやれと生き返って、、、、まだ冷や汗も乾かぬうちにお弁当をパクついた呆れたワタシ
 
                   中身は20品目でした((ナイショ))
 
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すっかり落ち着いて二つ目の峠を越えて行きます
 
市屋峠  12:25
 
一説には、平維盛がこの峠で一夜を過ごしたから一夜峠と言い
現在の市屋峠にとなったとか
 
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峠の手前の道を海にとれば現在の鯨漁の拠点、太地へと繋がりますが、峠を越えて先へと進みます
 
灌漑用水池の与根河池の周囲を抜けて行きます
人の手で築かれた堰堤としては古いものです
 
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グリーンピアというバブルの落とし物の敷地を抜けて
3つ目の峠です、あっと言う間に越えますよ、と語り部さん
短いですが急じゃありませんかーーーー
 
イメージ 16  二河坂峠  13:00
 
 
 
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峠を下ると綺麗な二河の渡りを経てなにやらかすかに温泉の匂いがします
 
このあたりから温泉自噴場所が見受けられます
車で温泉水を汲みにきておられました
日帰りの入浴ができるようです
 
 
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そして~~、佐藤春夫氏が名付け親という{{ゆかし潟}}のほとりにやってきました
 
 
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海の水と淡水とが混ざり合う、汽水湖ですね
海、川両方の魚が棲んでいますね
 
おやおや?? 向こう岸の山の木が真っ白です?? なんでしょう??
 
どうやら、鳥の糞害のようです 
 
 
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広大な別荘を見ながらぐるりと周回して湯の香を嗅いで
湯川温泉までやってきました
ここは勝浦より古く主に湯治の為の温泉でした
今は、南紀の温泉といえば白浜か勝浦かになってしまったようです
 
十三代亀山城主の供養塔が道の左脇にひっそりと佇んでいました
御坊城主の湯川氏が秀吉に敗れてこの地に落ち延びていたと伝えられます
湯川の名称の起こりでしょうか?
 
 
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進行方向に鳥居が見えてきました
湯川諏訪神社の杜に高さ32mのツガの巨木が聳えています
幹周りは、大人が4人くらい手を広げて余りあります
パワーを頂いて頑張りましょう
 
 
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ここで国道に出て少し歩き勝浦へのトンネルの手前で左にとり
材木屋さんの敷地を抜けて巨木の元を、今日の4つ目の峠へと入ります
少しだけ登りがありますが直ぐに峠にやってきました
 
                                      駿田峠  14:25
 
切り通しの峠道は、旧道で荷車が通れるように幅が広くなっています
 
ここは地元の方々が制作された映画のロケ地でビデオや音声での案内が流れるような
仕掛けがありました
 
峠を少し登った山頂には婦人の病に霊験あらたかな加寿(かす)地蔵尊が祀られていて
赤い幟が急な参道に何本もたっていました
願掛けをなさった方が寄進されたのでしょうか、女性の名前が入っていました
 
中には代参の男性もあるようです
 
 
 
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切り通しには逞しく直立で開脚のお方が見下ろしていました、、、、
 
 
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下り始めて昨夜泊まった勝浦の街が見えてきました
船で渡って行く有名なホテルの山上館も見えています
 
 
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今日は勝浦へは行きません
もう間もなくゴール地点の那智の浜へ
某ホテルの敷地を抜けて小さな思案橋を渡り天満神社へ立ち寄ります
 
神社の鳥居前に昭和23年の大津波祈念之碑がありこの高さまで津波が襲ったことがわかります
境内には大きなホルトの木やタブの木などがありました
那智参詣曼荼羅にも描かれているようです
 
 
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お参りを済ませて
JR紀伊天満駅の踏切を渡り車道を横切るともう那智の浜です
 
海辺には渡り鳥たちが飛び交っています
八咫烏は見つかりませんでした
 
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すっかり曇ってきました
でももう大丈夫、今回の歩きはここJR那智駅で終了です 15:15
 
 
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来月はあの卍のお山の近くの青岸渡寺へ大門坂を登ります
 
駅前には今回の歩きのゴールを祝して桜が咲いてました
 
 
 
 
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今回は古座川から那智の浜まで2日間、26キロ余りの古道歩きでした
 
さぁ~~~来月で7/7回シリーズの大辺路歩きも終了です
なんとか完歩できますように~~
 
皆様も応援くださいませ~~
 
                                                   

熊野古道 大辺路歩き (6/7回) ①

2011-02-15 17:44:19 | 熊野古道・古座街道歩き
2011.02.09(水)
 
天気予報とにらみ合いをしながら出掛けた南紀
 
いやいや~~是絶好日~~♪
 
梅田を 7:40に出たバスは 11:00には志原海岸に着いて早めの昼食を済ませ
前回(5/7回)のゴール地点の古座川大橋の袂に 13:00到着
 
今日はここから歩き始めです
厳密には橋を歩いて渡るのですがバスで渡ってしまいました
 
語り部さんは前回と同じ「大辺路刈り開き隊」の方々です
大阪から29名と奈良20人くらい一行が3班に分かれて語り部さんを先頭に歩きます
 
早速、この古座川の歴史を紐解いてくださいます
 
太地より古い鯨漁の話
 
この地はその漁と解体でとても潤っていたそうです
鯨舟の船腹にある卍のマークはこの古座神社も同じ
神仏合祀かと思われがちですがこの神社の御印のようです
 
 
7/24,25日にはこの河内祭~海山川の祭典が古式ゆかしく行われます
 
南紀の獅子舞のルーツである古座獅子の競演、古式捕鯨の鯨舟を軍船に仕立てた御舟の水上渡御
櫂伝馬競漕など、、興味のある方は是非一度、ご覧あれ
 
河内(こうち)祭り
 
 
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本殿は御門の後ろの階段を上って行った山上にあり
普段は立ち入ることは出来ないそうです
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今回は先月とは逆に海の道ではなく山手の峠を越えて那智の浜へと歩きます
 
古座川沿いに古い町並みを抜けて進みます
 
 
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善照寺さんは歴史ある古寺
建物のあちこちにそれが覗えます(奈良の古建築を訪ねたときに学んだなぁ・・・)
 
国宝級の物が沢山あるそうです
 
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河口の舟を繋ぐ為に成長の早いセンダンを植えていたという材木置き場跡(貯牧場)の並木道を過ぎ
かつてこの中州に造船所があり、あの死の灰をあびた「第五福竜丸」も建造されたという古座川を
左手に見ながら古座川街道を北に進みます
 
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神戸(こうど)神社にはえも言えぬ巨木たちがその樹齢やいかにとしっかと立っています
寄らば大樹の陰
 
 
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獅子舞を伝承する青年会館を見ながら古座川の役場にてトイレを拝借
大勢で押しかけて誠にすみませんでした
 
 
明治の頃のこの地の実力者さんの土地はこの役場も含めて広大で
今はそのご子孫さんたちは上京され超有名な国立大学の教授になられた方もおありとか
 
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ここから魅力的な古座川街道に分かれて峠を越える為に右にとり再び山の大辺路へと入ります
 
 
小さな川向こうにこの古座川の独特の弧状岩脈が姿を見せ、暫く進むとたんぼの中左手に
国指定天然記念物の高池の虫食い岩が現れました
古座川を遡ったところにある一枚岩から浦神まで続く熊野酸性火成岩類の急峻な岩山群は
約1400万年前の火山活動で形成されたものだそうです
日本の桂林と称されるほどの景観で文人墨客に愛された土地であるようです
司馬遼太郎氏も唯一別荘を構えた地として知られますよね
 
カワウソもニホンオオカミも生息すると思いませんか??自然豊かな山間部をのんびり歩きたいですね
 
 
                真ん中の丸いものはスズメバチの巣です
                  左上の白っぽく写ってる板戸はここに祠があるようです
 
 
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双頭の鷲の旗の下に~~
 
 
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う~ん、古座川街道へ進みたいですが、団体ですから仕方ありません
今日の山場の地蔵峠へと向かいます
途中、人間様の為の動物止めの関所を越えて峠に入ります
 
 
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奈良の御一行の語り部さんは山伏さんで、峠を「六根清浄~~」と唱えながら上がってこられます
 
ワタシたちは「ドッコイショ」と喘ぎながら登ります
 
 
 
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ちょっと登ったかな、と、下を見やればもう里が小さくなっています
 
 
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石の道標を見て峠の地蔵さんまでやってきました
2班の語り部さんは先月のワタシ達の語り部さん、<姫ひじき>さんでした
先月は、橋杭岩でギター片手で今回はハーモニカの伴奏で休憩がてらに3曲ほど合唱です
 
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大辺路刈り開き隊のチームジャケット
やっと出来たそうです
 
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こうやって皆さんの普段の道の整備活動のお陰で
ワタシたちは安全に熊野古道を歩かせていただいています
ありがとうございます
 
ゆっくり休憩しているといくら南紀といえども峠の上は冷えてきます
今日のゴール地点の佐部へと下りましょう
これより急な山道を下ります
足元に気をつけて油断の無いように
 
 
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落ち葉のふかふか道ですが石ころや木の枝が隠れています
こんなところも僅かな距離ですがあります
 
慎重に
 
 
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ふう~~やっと峠を降りてきました
植林地帯ですが気持ちよいです、、、で~も~、、いっぱい、杉、桧には花が咲きそうですよ~~
すでに鼻がモゾモゾしてきた方もあります
 
 
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左上から今にも、、、、、、
 
するとすかさず一人の男性が
受験生はご利益あるで~~と仰る???
 
{{落ちそうで落ちな~い}}
ですって
 
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そんなこんなで
林道に出て暫く歩きます
ドラちゃんこんなところでかくれんぼ?
でもみんなおうちへ帰ったよ~~
 
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佐部の集落には無患子(ムクロジ)の古木と絡みつく藤の古木がありました
ムクロジは高さは10~15mくらいはありそうです
平維盛(平清盛の孫)の手植えの木とも伝えられています
これより那智までは維盛伝説がありそうですね(ワクワク)
種子は羽子の玉に果皮は石鹸の代わりに用いられるなど有用な樹種ですって
 
 
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佐部の集落の外れの秀田(しゅんで)地蔵さんまで歩いて今日はお終い
 
 
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17:00です、ストレッチしてクールダウン
かつうら御苑までバスで移動します
明日の朝、またここまでバスで来て歩き出しますよ
 
 
もちろん、温泉に浸かりほっこり~~
今日は10キロ程しか歩いてないのに
このご馳走
いいのかなぁ
 
 
 
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ご飯がないのかなと思って椀子そばをつるつる~と平らげたら
まだありました
 
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またまた、満腹~~
オヤスミ前にもう一度温泉に浸かろうと思ってたのに寝ちゃいました。。。。。。
 
                                      *****二日目に続きます****

無謀でした、、、、猛反省!! 風邪の高野山町石道歩き

2011-01-30 14:03:02 | 熊野古道・古座街道歩き
2011.01.29(土)!!
 
 
小辺路歩きをスタートさせるにあたりせっかくならと
九度山から高野山奥の院までを歩いてからという企画になり日帰りで二日に分けて催行されることになった
その初日がよりによって今日!!
 
前日にお医者様に熱がないなら外出はOKと言われていたので
ドタキャンせずに行っちゃいました!!
 
和歌山県九度山町 慈尊院をスタートして町石道を矢立峠まで約14キロの歩き
 
 
この慈尊院さんでは今でも‘‘0’’の町石はこちらだと仰ってるそうだ
あくまでも高野山の金剛峰寺までのスタートなのだそうだ
 
 
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弘法大師が開山のおり、木製の卒塔婆を建てて道しるべとした道として
特にこの慈尊院から山上西門へ通じる表参道は高野山町石道と呼ばれています
 
丹生官省符神社への階段途中に起点180町石がひっそりと佇みここからが道の始まりです
 
 
 
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しばらく進んで173町石あたりから本格的に登りになり急斜面の柿畑を喘ぎながら登ります
 
 
紀ノ川の流れの向こうには金剛山も見えています
 
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この道は今も四国八十八ヶ所遍路詣での結願のお礼参りに高野山へと歩き遍路の人々は登られます
 
 
 
 
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高度を稼いで杉林の中を気持ちの良い比較的平坦な地道になり昨夜来の雪の残る
一里石を過ぎて「六本杉峠」へと来ました
 
 
 
 
 
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結構な雪に足元を気遣いながら一旦本道に別れて
天野の里へと入ります
 
 
世界遺産に登録された里にあるその歴史も1700年余りの世界文化遺産
紀伊國一之宮
丹生都比売神社
 
雪を被った山門の屋根も一間社春日造りでは国内最大級の四社も眩しいばかり
 
 
 
 
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池の水も凍っています
流石に霊場です、、冷え込みが厳しいです
 
 
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天野の里を見下ろして二つ鳥居は不思議です
 
ここから丹生都比売神社を遥拝していたとか?
高い場所へ向かっての遥拝ばかりではないのですね
 
 
 
 
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雪道や杉の枯葉の絨毯道の参道は足にも優しいのか
颯爽と歩いて行けます
 
ゴルフ場の池も凍っています
神田地蔵堂を過ぎて
生活道なのでしょうか?ミニバイクでオジサンがやって来ました
良くまぁ、雪道スリップしませんね~~
 
ウネウネと雪深くなったり陽射しにぬかるんだりしながら
笠木峠までやってきました
 
 
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二里石は見逃してしまいましたが
 
三里石ということは約12キロ地点ですね
 
 
 
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急な下り坂を滑らないように緊張しながら
60町石の矢立峠に到着です
1町を約109mとして13キロ余りの峠((高野山町石道))歩き、寒いです
また雪がちらついてきました
 
 
 
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次月はこの茶屋の横手から大門へそして奥の院へと歩きます
 
 
 
 
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体が冷えきってドライブインで熱い無料のお茶と柿の葉寿司の試食はなによりのご褒美でした
九度山の柿の葉寿司、ひょっとして大和のより美味しいかも、、、、甲乙つけ難し、、、
鯖と鮭の燻製と椎茸のつくだ煮、、お昼のお弁当で頂いたけれどいかにも手作りで結構でした
 
 
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セルフで頂いた\100の甘酒も美味しかった~~
 
 
暖房の効いたバスの中ではマスクしてひたすら薬のせいか眠って帰りました
 
 
が、、、、、、、、、、、、が~~~~~ん!!
 
足が重いーーーーーーー
 
駅の階段に踵以外は乗せられず帰って風呂上りに見ると
 
先日からのマメを切開した後が捲れてズキンズキン
敗れた皮を切り取り薬を塗ってひたすら乾燥の為に裸足で過ごす羽目に~~~
 
 
 

 
これじゃぁ、箕面にも行けません
 
二度と馬鹿な事はいたすまい、、、と反省しきりです、、、

熊野古道大辺路を行く

2011-01-27 15:48:22 | 熊野古道・古座街道歩き
2011.01/12,13 (木,金)
 
田子~田並~串本~潮岬~古座
 
快晴に恵まれて、先月(12月)に辿り着いた田子からのスタートです
 
双島を眼前に今日も水平線を眺めながら心地よい歩きかと思いきや、なんだか
スピードが上がります
語り部さんも時計と睨めっこしながら早足で進んでは遅れている後方を気遣いながら
説明してはまた早足で進みます
 
 
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枯木灘を右手に眺めながら平見(ひらみ)と呼ばれる海成段丘の間を大辺路は
上下しながら通ります
海岸に山が迫る地形の為、人々は敢えて水利の便が良くない平見を開墾して集落を
形成したので、この辺りには石畳や石段が比較的残っている古道が多い
 
 
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田並の港はカツオのケンケン漁発祥の地
 
 
この集落から有田へと飛渡谷の石畳の道を進む
語り部さんは「大辺路刈り開き隊」の開拓者のお一人でこの辺りを整備されたそうである
 
 
 
藪椿が咲く照葉樹林を歩きやがて串本にさしかかる
海中公園の入り口には澤信坊の道標地蔵が昔のままに祀られている
そこから更に足が速くなり今日の目的地、無量寺に到着しました
 
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16:30までに入山しないとならなかったのでした
無事、入山して、かの有名な応挙と芦雪の襖絵の観賞が出来ました
「竜虎図」実物を拝見して芦雪の迫力を感じました
このお寺は十四代将軍徳川家茂も宿泊したという格式のあるお寺です
庭のフェニックスも大きく聳えていました
 
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串本港まで歩いて一日目は終了です
 
翌朝は大辺路から少しそれて海の道を潮岬へと歩きます
本州最南端の潮岬に立てば遙か太平洋の沖合いをゆっくりとタンカーやフェリーが行き交います
太平洋戦争の時はこの岬に海軍の望楼所があったそうです
高浜虚子や山口誓子の句碑も見られました
 
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また一旦、串本港へもどり「ここは串本、向かいは大島」と歌われた大島を目前にしながら
橋杭岩でお昼休憩にします
 
今日の語り部さんはこよなく、この熊野古道を愛し「刈り開き隊」のメッセンジャーであり
歌まで作詞作曲されている<ひめひじき>さんとおっしゃる地元の市会議員さんです
 
 
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お昼を済ませていよいよ古座へと進みます
 
姫という地区に入ってきますと国道と海が並行してきます
この辺りは山側のくじの川街道を行く道とこの海の道を行くのと二手に分かれるようです
本来はくじの川街道を行くところですが、この海の道も眺めが捨てがたく、今回はこちらを歩きます
 
右前方に鯛島が見えています
鯛の目に朝日がすっぽり入ると黄金に輝く目の鯛が現れるようです
 
 
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いよいよ古座川の河口に近づき渡し跡から第五福竜丸建造の地記念碑を訪ねて
今回の大辺路街道歩きも終了です
 
 
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今回も歴史の石畳や石段、平見の段丘の上り下り、無量寺の拝観、潮岬ウオーク、戦争の爪あと
等など盛りだくさんの歩きでした
次回は古座から峠を越えて那智へと近づきます

熊野古道・大辺路 (見老津~田子)

2010-12-11 19:29:18 | 熊野古道・古座街道歩き
2010.12.09(木)
 
二日目の朝
ホテルの朝食はバイキング
欲張って和洋取り混ぜて3人前をイタダキマス!!
 
 
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食事が終わる頃に大島から朝日が昇ってきました
窓越しに納めました
 
 
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部屋に戻って出発の準備を済ませて窓に目をやれば
橋杭岩の全景が見えます
窓が危険防止で開かないのが残念です、こちらも窓越しの写真になりました
 
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7:30 バスに乗って昨日の見老津駅前まで戻ります
あれあれ? 雲が垂れてしとしとと雨粒が落ちてきました
防水のジャケットで大丈夫そうです
傘とお茶だけの軽い格好で今日は歩けます
お弁当は現地調達のこだわりで昼食地まで届けてもらえますよ
 
8:50 国道を歩きスタートです
 
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国道脇に二体のお地蔵様
古くは古道の参詣の途中に果てた人々
新しくは太平洋戦争中に沖合いで沈んだ徴用船(商船)の軍人達の弔いの地蔵様
 
 
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殿様坂をのぼり小学校のグラウンドを横切り狼煙山を望み国道へと
 
 
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国道で寸断された本来の古道は前方の民家跡から海へと降りているのだが
今はもう通れないので国道を歩く
 
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日本童謡の里に到着して
手洗いを済ませストレッチして先へ進むことになる
 
和歌山にゆかりの方々の作品のモニュメント
 
 
てんてまり  ♪                   はとぽっぽのうた ♪        お花がわらった♪
 
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迷子の子猫ちゃん????
アハハ・・・野良の白ちゃんでした・・・
 
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江須の集落が見えてくる
ここから海への急な道も今はもう通れない
小さな漁港の道分け地蔵様
昔に子供たちが海に沈んでいたのを見つけ大人たちがこの道の分岐に祀って大切にされている
ここを右手に江須崎へと行けば
国指定天然記念物の原生林である 
漁船の係留されている港に沿って進む
ケンケン鰹の漁船が見られる
魚群を求めて遠く、銚子沖や日本海は朝鮮半島近く対馬あたりまで
一人乗りの漁船で出かけるそうだ
高知の一本釣りとの違いは釣り上げたら直ぐに〆て海水の氷漬けで鮮度を保つのだとか
 
 
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カリフォルニアに渡り大成功を成し遂げられたお方の胸像の建つ小学校の構内を
抜けて御待坂を下り
 
道中の道は赤紫の花?実?が一杯です
 
クサギといいこの地方の人は春の新芽を使い何段にもした押し寿司を作られるそうです
ここだけの慣わしだそうですが詳しいことはわからないそうです
 
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一番の危険箇所!! 線路を横切ります!! 左も右もカーブしてます!!
こけない様に走ります!!
 
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全員無事に渡り終えて国道に出ました
 
橋の先に見えている坂はカツエ坂、、、
そう、弁当掛けの松にお弁当をくくりつけていますから
無事に祈願を終えて帰途についたもののこのあたりでお腹が空いて、、、餓え(カツエ)るところから
付いたとか、、、
 
 
 
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海岸段丘(この辺りでは平見と呼ばれる)の大平見は登ってみれば見事な台地の丘
見晴らしが良くて野菜や花作りには最適かと思われますが風が強いです
家々は美しい石垣で囲まれています
海岸に着きました
 
今日の昼食地、里野の浜です
 
11:50 天気はすっかり回復して気持ちの良い海岸の砂を踏みしめて休憩です
 
 
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めはり寿司の高菜がとっても美味しかったです
 
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六坊の浜づたいに海岸線を歩きます
 
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めずらしい紀伊半島固有種のキノクニシオギクも咲いている
 
イメージ 19                 ハマダイコン
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こちらは語り部さんもご存じなかった
 
 
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海岸から直ぐに急な登りにとりつきまた国道と交差しては平見の丘を上り下りする
 
江住から串本間の枯木灘沿岸は平見と呼ばれる海成(海岸)段丘の間を大辺路が
上下しながら通っている
人々は敢えて水利の良くない地を開墾し集落を形成したので
このあたりには石段や石畳が比較的に残っている古道がある
(資料より)
 
木ノ本神社は昔、灯明の明りに沖合いの船が陸地のある事を確認し
座礁せずに済んだとの言い伝えで今もお参りが絶えないそうだ
 
古道はここでも段築の道が見られる
 
 
 
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和深駅はすぐそこに海が迫っている
 
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東平見の大師堂には伝説の「おおな(イシナギ)」の写真がある
 
不思議と大辺路にはいたるところに弘法大師像を安置したゆかりのお堂や石像
行脚にまつわる伝説も多いのである
 
「おおな魚」伝説
貧しい漁師が旅の僧を親切にもてなしたところ
大魚が釣れる時期と場所を教えてくれたというお話
(熊野体感ウオーク誌より)
 
 
「おおな」は深海魚で「くえ」にも匹敵するほどの珍味だそうです
 
 
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こちらの安指(あざし)平見の大師堂はお大師像の台座が道標であり
お賽銭は入り口から投入れて上手く賽銭箱に納まれば願いは叶うとか
ちなみに語り部さんは大成功!!
他のチャレンジャーは全滅でした、、、ワタシは投入れなんて出来ませんのでパス!
 
                                     こちらは徳本上人名号碑
 
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一番の眺望
双島、先に潮岬を望む赤瀬平見から
 
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平見も最後の五つ目です
昨日、今日と今回のツアーに参加された方の中に
昨年、奥様を亡くしてすっかり気落ちしていたが思いなおして
心機一転
リハビリの為にと歩かれた84歳の男性
常に一団から遅れて添乗員さんが付き添ってこられましたが
この平見はかなりの時間の遅れになると判断され平坦な国道を行かれました
ちょっと残念ですがツアーですから帰りの時間も制限されます
仕方ないでしょうか
 
ここでこの綺麗な石段や石畳を見せて上げられなかったことは心残りです
 
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最後の最後に鉄路に遮られて激下りして暗喬を潜りドライブインにゴール
 
 
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15:35  バスの待っているドライブインで84歳の男性の元気なお姿に安心しました
 
若い頃からフルマラソンや山登りなどお元気で
この古道歩きへの沸々とした気持ちに耐えがたかったらしく
とても満足気でした
 
 
 
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全員無事にゴールして
バスは一路大阪へと取って帰りました
大阪桜橋口到着20:20頃
 
 
 
天気になって
楽しい古道歩きの二日間でした
 
さぁ、新年は田子~串本~古座へ
夢が広がります