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あっちこっち歩いて楽しむおタケさん

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山に登ったかと思えばメタボな食事、お花、キノコ、いろいろ~

世界遺産熊野参詣道・小辺路 (三浦峠越)

2011-04-23 02:30:14 | 熊野古道・古座街道歩き
2011.04.20(水)曇り~~
早朝は天気の兆しがあったのにいつの間にか雲は厚く今にも降りそうな雲行きになった
 
大阪梅田を7:20に出発した1号車のバスは今日は途中で集客せずに17名での小型だ
阪神高速の環状線で事故渋滞に危うく巻き込まれるところを北浜から一般道に降りて
夕陽丘から再び高速に入り順調に「道の駅大塔」へとやってきた
トイレ休憩とお弁当を受け取りに下車すると<<寒~~~@@>>
茶屋でアッツアッツのこんにゃくの炊いたんを買ってバスの中で食べた
茶屋の奥さんが「今日は高野山や野迫川は雪が降ったよ、ここも0℃なんでストーブに火を入れたわ」
とおっしゃった
十津川は大丈夫だって言葉を聞いて一安心
10:20  バスは先月のゴール地点の三田谷へと国道168号線から733号線へと狭い道を走ります
三田谷=びただに、と読むそうな、、この地方の発音の名残??とか 美田谷の漢字の変化??
 
168号線沿いの猿谷ダムの対岸の景色は山桜や新緑が素晴らしい
733号線は小型バスでもギリギリで工事中の所や小さな古いコンクリートの橋を進む
ようやく、くねくねと酔いそうになりながら今回の歩きのスタート地点に到着
ストレッチしたら一つしかないトイレに一目散、やりました一番~だけど二番になりました
結局は最後の人を待つのですからどうでもいいんですけどね、、、、
入れ替わりに2号車のバスのグループも到着して1号車のグループは先に出発です
三浦峠への登山口へと歩き始めると、平維盛の墓と伝えられるところや
大塔宮護良親王が落ち伸びてこの辺りの五百瀬の荘司に行く手を遮られ五色の御旗を渡して通行を許され
それを知った家来の村上義光が大いに怒り荘司の家来を水田に投げ飛ばし腰を抜かしたそうで
「腰抜田」と呼ばれるようになったと言われるところ(今は明治の大水害で埋没して地名のみ)を通過して
流れる神納川にかかる吊橋の船渡橋を渡ります、かつては渡し舟があったそうです
 
この橋はしっかりとした隙間の小さな網状の鉄の吊橋ですので大して揺れません
 
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橋を渡って直ぐに標高差700mの三浦峠への長い登り道の登山口です
 
 
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三浦集落の最後の民家を過ぎて古い石畳の残った山中へと進むと樹齢500年前後と推定される
巨大な杉があります、傍らにはかつて旅籠だった吉村家の屋敷跡があり防風林だったと思われるそうです
 
 
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急な上り坂を25丁石、30丁石と行き着くと水場があります
 
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一息入れて先へ行くと参詣道は2年ほど前から通行止めになってしまい迂回路を直進です
 
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少し道は緩やかになり更に登って行きます
 
 
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右手に先月登って雪渓を越えて下ってきた伯母子岳が良く見えています
雲を被ってしまいました~~
 
 
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先ほどまで汗ばんでいたのに急に風が吹き荒れとても冷えてきました
 
(13:20) 1080mの三浦峠に到着しました、
およそ120年前の明治の大水害で被害に会った十津川の人たちはこの小辺路を通って
高野山から堺へ、そして神戸から遠い北海道へと移住して行ったのです
村との最後の別れの地、多くの人の涙の残る峠です
今も北海道に残る「新十津川」の地名がそれを語っていますね
小辺路が世界遺産に登録された時に記念樹のツツジを新十津川町から送られたときのものでしょうか
 
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東屋もあり遅い昼食休憩です
お世辞にも立派とは言えないトイレもあります
が、、、、、とんでもない寒さに食事もろくに喉を通らない人がいます、、
トイレに駆け込んだ女性が「下から風が吹き上げて逆流しそうやった~~」と言って帰ってきました
皆、上着をありったけ着込んで這這の体で先へ進みます
2班も風の当たらない所で座って食事してますが寒さが堪えています
中には立ったままでおにぎりを頬張っている人もいます
雨は降ることはなさそうですがお日様も顔を出してくれそうもありません
見晴らしもありません長居は無用です、さっさと行きましょう
 
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峠を南に下って暫くすると苔衣を纏い赤い帽子を着たお座り地蔵様がいらっしゃいました
天保10年の作だそうな
 
この平らな地は屋号を「古矢倉」と」いう茶店があった跡との説明板がありました
 
 
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さらに尾根に沿って下るとだんだん暖かさが戻ってきました
更に出店跡などを通過して
自然林の中、段築の心地よい足元になんとか歩が進むようになりました
 
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小さな五輪の塔がありました
やはり周囲には大きな木があります
 
密教の五輪の説明してもらいました
物質構成の要素である五大を円に擬していう語のことで
地、水、火、風、空、の輪の総称ですって
空とは永遠不変の固定的実体がないこと
般若心経の「色即是空」かな
ここでは‘そら’ではなく‘くう’と読みましょう

 
ワタシ、記事にしても、もう明日には忘れてますよ~~
 
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そうか~空ねぇ~~なんて今ひとたび遍路巡礼の日を思いながら下って
矢倉観音堂までやってきた
ちょっと休憩しましょう 15:25
お堂の中に如意輪観音様、地蔵菩薩様、観音菩薩様の三体が安置されている
台石には大阪天満市場なんのそれがしと銘が刻まれてある・・・説明板より
 
地元の集落の人々が守り続けておられる
 
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右側が崖になっているところもありましたが集落の外れの廃屋を過ぎて
<<明らかに最近までお住まいになっていたのね~~
この先の三軒のうちの二軒は大阪と奈良から移り住まわれた女性の一人暮らしとか
どうですか、そろそろ隠居住まいに~~>>
なんて話ながら村道にでました
 
 
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矢倉集落を過ぎて西中大谷橋より西中バス停へ到着です 16:00
ここから嫌~な国道歩き8キロです
従ってフリーウオークでリーダーも添乗員も最後を守りますから
約2時間の道のり
自由に最後より遅れないように歩きます
 
 
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ワタシ達4人の女性はかねて鍛えたウオーキングの成果を発揮して
ずんずん歩きます
途中でトイレ休憩してる間に二人の男性が追い抜いて行かれました
 
そして後方からもう一人男性が
若いもんに負けてられるか~~と笑いながら追い越して行かれました
 
この橋渡るの~~真ん中渡って行きよ~~
え~ほんまにこの橋渡るんかいなぁ?
地図見て、合ってる合ってる
 
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西川に沿って国道は曲がりくねってなかなかホテルが見えません
もう足がくたびれた上に山靴では靴擦れになりそう
 
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地元の散歩の奥さんが大きなイタドリを片手に笑顔で挨拶してくださり
シャクナゲも笑って迎えてくれてなんとか元気を取り戻します
 
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お~~~やっと見えました~~~
ホテル昴の郷
 
17:35
予定より30分早く到着
 
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早速部屋になだれ込んで
星の湯へと走ります
女性は4人以外はずっと遅れてますので
洗身もシャンプーも思いのまま
アメニティも揃ってて言うこと無し
露天風呂は檜の箱風呂と壺湯もあり浸かり放題~~
飲泉もあります
汗を流してお肌もサラサラ
シミ、シワはとれないけどね
また 22:00 に入りにきましょう
満天の星が見えるはずです
あんなに重い雲が垂れ込めていたのにすっかり良い天気になりましたもの
 
 
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後続の方たちも到着してお風呂場が混雑したようです
ゆっくり夕食を待って
19:00   
いっただきま~す
 
お料理が運ばれてくるのが待ち遠しいです
鮎の塩焼き
きのこ鍋
かき揚げ
茶碗蒸し
クレームブリュレ
未だ登場してません
 
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お品書きの
※むこだまし
 
十津川村ではお米はわずかしか収穫できませんでした
お正月にお嫁さん達が「むこ様には白もちを食べさせたい」
と思いましたが、もち米がないので地元でとれるねばりのある
白い粟で、もちをついて食べさせました
そういったお話からこの粟は「むこだまし」といわれております
 
と、説明書きが添えてありました
 
葛あん仕立てになっておりあっさりとして餅の食感もありました
 
 
 
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そして最後にご飯とお吸い物と香の物
 
はっはっは ***********消費したカロリーは何処へやら~~~
 
 
皆が寝静まった頃
今一度満天の夜空を楽しみに露天風呂へ
 
すると壁の向こうでは
一人悦に入って「さらば~~昴よ~~」と賑やかなこと
 
こちらの女性風呂も調子を合わせて拍手~
ちょっと雰囲気なくして夜空の北斗七星を見上げて
早々に退散
 
明日はきっときっとお天気ですよ~~
 
そっと~そっと~
おや~すみなさい~~

熊野古道 いよいよ伊勢路へ

2011-04-17 18:02:01 | 熊野古道・古座街道歩き
2011.04.13(水)14(木)晴天なり
 
紀伊半島一周ウオーク 390キロ
世界遺産・熊野古道を歩く
残すところ「伊勢路」160キロへのスタートです
 
一日目(4/13)
先ずは、速玉大社の社殿にて東北東日本震災の被災者の皆々様の鎮魂と一日も早い復興を祈り
我々の旅の安全と伊勢神宮までの完歩を願い恭しく御祓いを受けてスタートです
 
語り部さんがご夫婦で2班に別れて案内してくださいます
私たち2班には奥様の方が、御歳75歳、きっと鯖読んでますよ~
小柄だけど時速6キロの歩きされるんですから、、、
 
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13:30 スタートして直ぐにここ新宮市には大逆事件においてつい最近まで人権を剥奪された人々が
多く有り、この方もその名誉を回復された中の一人の屋敷跡です
 
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新宮市を少し歩いて熊野川にやってきました
いよいよこの橋の中央で和歌山県にサヨナラして三重県へと入ります
 
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川を渡って左にとれば本宮道で川沿いに川端(川又)街道を経て風伝峠や横垣峠を越えて
私たちがこれから歩く浜街道と有馬で合流するのです
私たちは今回は浜街道と呼ばれる七里御浜沿いに熊野灘を眺めながら伊勢路歩きです
 
伊勢まで164キロのスタート
 
紀宝町の少し山側を「耳切り坂」なる恐い名前の坂を登って導引地蔵、横手延命地蔵、井田の一里塚と
過ぎて高台からの熊野灘の水平線を眺める目線はこの先下って海岸線に出たらどの高さでしょう
{すばらしい海の色~~}などと感動しながらも、この大海原の穏やかさに
自然の驚異と脅威を其々が胸にしまいました
 
 
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熊野の昼下がり歩くほどに上着を一枚脱ぎ二枚脱ぎと汗ばんできました
 
田舎者のワタシは直ぐにアケビの花を見つけて騒ぎます
 
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タツナミソウも迎えてくれて海岸線へと降りてきました
 
 
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アカウミガメの背中に長~い藻が揺れてます
道の駅紀宝町ウミガメ公園で小休止  15:30
 
 
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海岸沿いの林の中には徳本上人を讃える石碑とえびす様がまつられていて
かつては旅館や茶屋があり巡礼や筏師達の休憩所だったそうです
江戸時代に熊野三山参拝の途中で命を失くした六部の墓もところどころにあります
果てしなく続きそうな七里御浜、今日は行けども行けどもこのすばらしい熊野灘です
ふと左山側に目をやると何やら興味深い山並み
 
え~~!! 今日の泊まりはあの山の一番左手の中ですって~~!!
歩くの~~???
                                         (アカン、、カメラもう限界のようです、、涙)
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海岸の林の中にウラシマソウが群生してました
ニョロニョロ?グサとよくにてますね~~
でも違いが判りますか?
葉っぱが上にあります(写ってないやん!)そして茎に模様がありません、
一番の特徴は名前の由来の釣り糸が長~く垂れています
 
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植物観察をしながら楽しく今日の歩きのゴール地点に到着です
 
明日はあの右前方にちっちゃく見えますか~~
あの岬の先を通過して峠を越えて行きますよ~~
 
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七里御浜を半分ぐらい歩いたんでしょうか
ストレッチしてバスに乗ってお宿へ向かいます 18:05
良かったね~~、あの山の中のお宿へはバスに乗って40分もかかりましたよ
着いたのは、なんと!かねてより一度は来てみたかった瀞峡の近くの湯の口温泉「瀞流荘」
興奮して宿に着くやいなや一番にお風呂にまっしぐら~~
 
山里の静けさとちょっとダイトレチャレンジの疲れの残る体は相部屋の方々の
「あら~疲れてるのね鼾かいて寝ちゃった~」の声を遠くに聞いて爆睡
 
 
二日目(4/14)
ぐっすり眠ったお陰で 5:00 に朝風呂に入り幻想的な山里の深い霧を眺めて
美味しい朝食もたっぷりお腹に納めてバスに乗り出発です 7:50
 
左手は北山川ですよ、、上流は筏下りで有名ですね~
この夏はチャレンジしてみましょうか~
山は山桜が満開、新緑も綺麗になってきました
 
 
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はい、昨日のゴール地点でストレッチして今日の語り部さんを待ちます
今日も残り半分の七里御浜を歩きましょう 8:45
 
ハマダイコンが咲き乱れて昨日の岬が近くなってきましたね
 
 
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本宮街道と合流する有馬を過ぎて
日本書紀に伝わる、イザナミノミコトが葬られたといわれる御陵 花の窟神社
高さ45mの巨岩が御神体で社殿はないかつての自然崇拝の姿を今に伝える場所にやってきました
世界遺産登録地です
 
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ここの茶店で美味しいサンキライの葉っぱでくるんだ餡餅を一個100円で頂き元気をもらいます
ここからは美しい花で彩られた国道をひた歩きます
 
これもまた写真や絵葉書で御馴染みの獅子岩が迫ってきました
 
 
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右に見ながら熊野市へと入ります
熊野市街からいよいよ今回の歩きの峠の一つ目に差し掛かります
松本峠へと登ります
語り部さんが「ゆっくりゆっくりと登ります」と皆を勇気付けられます
 
 
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途中のビューポイントから歩いてきた七里御浜の全容が見渡せます
 
 
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しばらく海と別れて明治の石畳を登って峠にやってきました
シャガの花が咲き乱れていて暫し休憩です、水分を補給しましょう
この背高のっぽのお地蔵様は高さ2m余り
弾痕がありますが昔、猟師さんが朝通った時にはなかったのに夕暮れて帰りに通ると
なにやら大きな怪しい動物か魔物かと驚き鉄砲を放ったら建てられたばかりのお地蔵様だったとか
 
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世界遺産の石畳を一歩ずつ下って行きます、こちらは江戸時代の石畳のようです
 
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峠を下って国道に出て少し後戻りしてお昼ご飯にします 11:50
鬼ケ城の近くの小高い丘で海を見下ろし、山には桜が満開~~
お弁当も美味しいですが蓬のおはぎも入ってますので、めはり寿司はおやつにおいておきましょう
 
 
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まったりし過ぎると歩きが億劫になります
お尻を上げて歩きましょうよ~
 
振り返ると、鬼ケ城が小さく見えます、桜の花盛りの小山も~
 
 
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大泊海水浴場の白砂を見ながら今度は二つ目の峠です
 
大吹峠は孟宗竹林が見事です
猪君が人間様より美味しいところをさっさと平らげていました、鼻ユンボは凄い威力ですね~~
 
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峠には昭和25年ごろまで大吹茶屋があり今もお寿司やおにぎりを包んだバランが繁っていました
 
峠を下りきって語り部さんが「今日はもう峠はありませんよ」とおっしゃり皆一同やれやれと言いました
 
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ところがところが海に面した段々の地にある村里は峠よりもきつい勾配の坂道です
舗装されていますがきつう~~~
 
やっと自販機があって誰かがお金を入れるとお釣りが出ません
おたけ茶屋跡、、ワタシの親戚ではありませんので悪しからず、、
 
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徐福の宮の鳥居を見ながら中国からわざわざ東方へ不老不死の薬を求めて来て
逆に高度な文明を里人に伝えて土着するほど住みよかったのかなぁなどと思い歩きます
 
お~~~なんと!ビューティフル~~~、JR東海の紀勢線のポスターですよ
                                  
                                                (何方かカメラ恵んでください)
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昼間は2時間に1本しかないんだってなどと言いながら通過して5分ほどしたら列車の音
あ~~~!5分ゆっくり歩いていたら~~
今日は2班が先に歩いてますが、後の1班はまだビューポイントに到着してません
お互い、残念でした~~
 
 
高台を更に桜吹雪の坂を上がります
 
 
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上がりきって西行の松跡から下り始めます
ここは波田須の石畳、伊勢路では最も古い鎌倉時代のものです
短いですが、もちろん世界遺産です
 
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新鹿の海を見下ろしながら下りきって今回の二日間の歩き、合計32キロ終了です 14:50
 
 
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お疲れ様~~
ストレッチして、長い長いバスでの帰路につきます
梅田着 20:00
 
これより伊勢路へは西名阪と伊勢自動車道を経由しての現地入りになります
伊勢路の無事のスタートと2日間の歩きに感謝し、次月また元気に続きを歩けますように、、、願、、、
 
 

世界遺産・熊野参詣道を歩く(小辺路 ②)

2011-03-28 02:24:18 | 熊野古道・古座街道歩き
2011.03.23/24(水・木)
 
朝風呂に浸かり、朝食をしっかり頂いて今日の昼食のお弁当を受け取り
バスで昨日の大股橋の袂まで移動してストレッチを入念に済ませ、歩きのスタートです
 
 
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大股橋からすぐに急な坂道を集落の中を登って行きます(8:05)
今日は最初から3名の男性がリタイアされて最終地点までバスで移動されます
昨日の右傾斜の男性も断念されたようです
ここから最終まで一度もバスと合流出来ないのです
 
 
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参詣道といえども、それはそれは急な登山道です
現在地、およそ標高700m、これから1、344mの伯母子岳まで7km足らず
集落を真下に望みながらジグザグと高度を上げて行きます
途中で早くも小休止しないと一気には尾根道までたどりつきません
霜柱の花や氷柱があちこちに見られます
喘ぎ喘ぎ萱小屋跡まできました (9:00)
所有者の方が整備されて小屋も新たに作られ奥には吊橋も見られます
道の中央に幾つかエビフライが落ちていました
どうやら、リスさんのお土産のようです
 
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朝は冷え込んでいましたので皆さん着込んで出発しましたが少し汗ばんで上着を脱ぎます
急な登り坂が続きます、やっと少し平らな道になり周りの木々に目をやる余裕も出てきました
馬酔木の花がこれから開こうとしていたり、まだすっかり落葉の中でも栂や榧の木の濃い緑に
癒されながら進みます
桧峠です
ここで中休止
あれあれ、ここから少し下りますよ
道の左側はほとんど谷へと崩れています、注意しながら歩きましょう
 
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夏虫山を右にしてやってきました~~
伯母子岳分岐点
小辺路は先の峠へと左に直進、伯母子岳山頂へは中央を登り、右へは護摩壇山へ12.7km
せっかくですから山頂へ登りましょう
全員が登ります、今日はまた2班に分かれての歩きですので1班は先に行きます
分岐には六字名号碑がありますが判読出来ないほど磨耗しています
 
 
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山頂まで600mの距離、標高差は100mあるでしょうか
直登して登頂です
 
護摩壇山方面
 
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           大峰方面に目をやれば、、見えてます三角のとんがりお山、釈迦ケ岳です
             祈ります、そして感謝します、、ここに立たせて頂いた事に、全てに、
 
                カメラ何とか?現象がおきてます、ちゃんと写せてないですね
 
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            そしてこの位置には金剛山なんですが、、、、ごめんなさい、、です
 
 
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素晴らしいパノラマをひととき楽しんで、峠へと下りに差し掛かると急な下山道は雪に覆われています
でもなんとかゆっくり踵をしっかと踏みつけてアイゼン着けずに下りました
 
 
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峠まで下ってくると参詣道は吹きだまった雪が通せんぼしています
山小屋(避難小屋)の横にトイレもありますが冬季につき閉鎖中です(3月末まで)
たった一つの簡易トイレで行列します
お宿でもらった梅干だけの塩むすびとゆで卵をほおばり、ほっこりお日様にあたり休憩です(11:15)
 
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あんまりどっしりと腰をおろしていると是から先、歩くのが億劫になります
全員のトイレが済み次第出発です
 
通せんぼの雪壁を恐る恐る越えて、これからは標高400m地点まで下ります
 
 
 
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これから新緑の頃はとても素敵な自然林だろうななどと思っている間もなく
行く手には小さいながらも幾つものの雪渓が邪魔をします
一歩間違えば谷へと転落します、安全の為にアイゼンを装着して進みます
リーダーが念入りに踏み跡をつけてその後を一歩一歩慎重に進みます
 
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やっと雪渓から脱出したら今度は山抜けした崖道に差し掛かり冷や冷やドキドキの歩行です
 
この道が通れなかったら大きく迂回して山を登って下らないとならないようです
 
いつの間にか女性陣は後退して無口になっています
 
雪渓も消えてふかふかの落ち葉の絨毯になったところでアイゼンを外します
 
なんとか上西家跡まで辿り着きました
昭和の初めごろまで旅籠があったそうで、石垣と古木が残っていて広々とした敷地になっています
防風林の跡も見られます
 
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さてさて、続く左崖、急な下り坂と息を抜くところなく歩き続け、
弘法大師像の祠のある水ケ元茶屋跡へとやってきました
 
思わず「南無大師遍照金剛」と手を合わせていました
その昔、このところに一人の老女が住んでおりその髪には赤や白が混じっており、、云々の説明板
尻切れトンボ~~、山姥の正体見たり~の伝説かな??
 
 
 
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もう、足ががくがくして来て早くバスに乗りたいと一人の女性がワタシにぴったりと着いて歩くようになりました
 
相変わらず下りますから相当足にきているようです
 
下りばっかりと覚悟していたら、急に息切れどころか足が上がらないよと上を見て溜息の登りが現れます
 
 
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登りきって一息つかないと進めないと皆の足は止まります
 
これが今日の最後の登りですって
 
さぁ~~一気に下りましょう、、石畳の急坂を下ります、もう誰もおしゃべりしていません
リーダーの直ぐ後ろに着いたワタシとリーダーだけが平維盛や天誅組、四国遍路etcの話を
しながら時折、後ろを振り返り列が途切れていないか確認します
 
待平屋敷跡まで下ってきました
大塔宮が十津川より都へのぼるとの知らせでここで村上彦四郎が待機していたので
待平と云う様になったそうな、、
大塔宮腰掛石もあったそうだが今はもう伝説の中、、見当たらないそうです
 
 
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少し休憩してまだ続く石畳を下って行きます
歩きにくいようですが、この石畳は昔から村の人々が廻り番で普請されてきた大切な道です
お陰で、雨に土が流されずに古道として残っています、心して歩きましょう
 
道標地蔵様が迎えてくださりようやく眼下に十津川風屋ダムへと流れ込む神納川の蛇行が見えました
ぴったりと着いてこられた女性はもう何度も足がくず折れてリーダーのストックを借りて下りてきました
リタイアされて到着を待っておられた一人の男性が途中まで出迎えに登ってきて皆に
もうすぐそこにバスが待ってますよと笑顔がとても嬉しかった
 
三田谷側の伯母子岳登山口へゴール(15:15)
アイゼンの装着に手間取った方もありましたが、ほぼ予定どおりです
 
 
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三田谷橋を渡って綺麗なトイレに駆け込みます
ちょうど持ち主の奥様が掃除を済ませてくださったところでした
 
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ありがとうございます
 
と、何度も皆でお礼を述べて、多分来月のスタート時にもお借りすることになるのと
この日曜日にもツアーがあるのでお世話になることをお願いしてバスへの待つ駐車地へと戻った
 
しっかりとストレッチで整理運動をして帰路についた
とてもワクワクな県道733号線を走って国道168号線に出て
道の駅大塔に立ち寄り、以外に早く19:00には梅田に着いた
 
 
無事に何事もなく帰宅して、娘に連絡した
 
体調万全のときでも心配はしているだろうが、今回は無謀にも程があるときっと言いたかったに違いない
 
 
 
 
熊野参詣道::高野山~伯母子岳~三田谷::二日間の歩きでした
 
 
 
 
 
 

世界遺産熊野参詣道を歩く(小辺路 ①)

2011-03-27 15:29:47 | 熊野古道・古座街道歩き
2011.03.23/24(水、木)
 
ちょっとしたアクシデントの為に躊躇していた熊野参詣道、小辺路歩き
北の地のそれには比べるべくもないこと、ぐずぐず思っていずに行ってみようと
前夜、左腕に相談して意を決して行って参りました
なるべく左腕を使わないようにしなければなりません
娘は「行くのは勝手ですが、今よりも悪い状態にしないこと」と言って送り出してくれました
息子は、台湾ですから相談などしてません、嫁ちゃんは心配しても我が性分を良く知ってますので
止めはしません
もちろん自制しないといけないことはじゅうじゅう承知の上です、非難は覚悟です
ツアー会社にも内緒です、全て自己責任です
 
朝、リュックを背負ってみました、
案外、スムーズにいけます、しっかりテーピングしてサポーターしてカバー頑丈です
自分で切り出さなければ誰にも判りません、ダイジョウブ、ダイジョウブ
 
一応、バスの隣席の方には「肘を痛めてるから慎重に歩くわね」とお断りします
するとお隣さん「ワタシも膝に不安があるけど来ちゃった」とお互いに殿を歩くことにします
 
先ずは高野山、世界遺産・金剛三昧院にお参りして出発です
今日は小型バス2台で30数人の団体
1班2班に別れての歩きです
 
小辺路のスタート(10:40)
 
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三昧院の多宝塔
 
 
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三昧院への参道を右へとって坂道を登って行きます
小さな白い花が気をつけて行ってらっしゃいと呼びかけてくれます
 
                              (これ、バイカオウレンらしいです、、ブログ友のkouzanさんが教えてくださいました)
 
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暫くして高野女人道の轆轤峠です
 
女人禁制の時代にはせめてものお参りをと女性たちが周回した参詣道
峠の由来は、ろくろのように首を伸ばしてその神聖な地を拝んだから
また、この高野の山地には木地師たちがいて黒江などへ運ぶ
木工品を作るために轆轤を引いていたから、等、諸説です
 
高野七口と呼ばれる参詣道のひとつ大滝口でもあります
 
 
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女人道に別れて右にとり大滝の集落へ向けて参詣道・小辺路が始まります
 
ここは古道ではなく生活道であった為か幅員も広くゆっくりと気持ちの良い落ち葉の絨毯を
踏みながらの歩きです
 
広がる山並みとっても気持ちよいです
 
 
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薄峠には山の守り神がいました
峠を下って行きます、結構急な下りです、慎重に滑らないように足を運びます
 
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下り坂のカーブの途中に丁石がひっそりと建っていました
「くまの本宮より十七里」と刻まれています
約70km先ですね~
 
 
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なおも急な下り坂が続きます
左の谷向かいの山の中腹に集落が見えています
大滝の集落のようです
やがて高野槙の美し植林地へと下りてきました
石垣で整地されたあたりは田んぼがあったようですが
現金収入の良い槙の植林に代わったようです
 
 
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下りきって、赤い鉄橋の下を綺麗な御殿川(おどがわ)が流れてホッと一息です
大滝、御殿川、探検してみたくなる名前ですね
 
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橋を渡って一息入れるとなんと「「馬殺し」」と名付けられた急坂が現れました
鼻を地に付けるほど前のめりになって小股で一歩一歩上ります
 
 
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よくまぁ、こんな地を荷物を運んで往来したものです
 
車道に合流しましたがこれもまたきつい勾配です
 
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もうすぐ昼食休憩です
頑張って、ガンバッテ、
 
すると、一番先頭を歩いていたまだ若い女性がずんずんと下を向いて遅れだしました
一番後方を歩いていたワタシが
「どうされました?膝が痛むのですか?」と声をかけると
「いえ、ちょっとしんどい」と言って頭を下げてお顔が見えません
添乗員さんに連絡して様子を見て頂いて先頭集団のリーダーに大声で
「待って~~~、リーダーー早く来て~~」と叫んでバトンタッチ
どうやら、酸素不足か急に心肺が悪くなって前のめりに転んでしまわれた様です
添乗員とリーダーさんにお任せして残った1班は取り敢えず休憩所へと進みます
 
 
ほ~やれやれ休憩です(12:45) 2班も到着しました、
大滝の高台の集落の中に東屋や綺麗なトイレもあり休憩所として開放されています
 
先ほどの女性は転んだ時に顎をコンクリートに打ち付けて傷口が割れてかなり出血していたとのこと
ワタシが声をかけた時には出血なんて見られなかったのに・・・・・
意識はハッキリしておられたが、念の為に救急車を呼んだとのことで程なく山中に救急車の音が響いた
大阪の街中より到着が早いと皆、感じたようだ、不幸中の幸いで高野山から近かったのが良かった
しかし、災いはどこに潜んでいるか予測がつかない、自分に置き換えていっそう気を引き締めた
 
 
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さて、1班の添乗員さんは救急車に付き添って行ったので、ここからは1,2班一緒に歩くことになりました
 
小辺路はまだこれから長いですよ~、今日は大股に17:00到着の予定ですからね~
この地図のゴール本宮大社まで、健脚の方で2泊3日です
ワタシたちは月1回の1泊2日、2回で4月に本宮大社到着予定です
 
 
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皆、其々に注意をして午後からの歩きをスタートです(13:20)
 
崩れた箇所もちゃんと修復されて安心して歩けます
恐ろしいほどの花粉をぶらさげた杉の木立を時折クシャミをしながら歩きます
 
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高野龍神スカイラインに合流しました
暫く危険な車道歩きです、和歌山と奈良を跨ぎながら野迫川村(奈良)への分岐を過ぎて行きます
 
と、どうしたことでしょう、、、、左大腿四頭筋が萎縮して足が上がらなくなりました、、、
水分や塩分を補給しますがなかなか回復せず右までおかしくなってきました
う~ん、この10日余りのぐうたらな生活がもろに現れたようです、、、、、
無理~~!もうこの先、歩けそうも無い!
ホウホウの呈でバスが唯一待機してくれてる水ケ峰分岐までやってきました
お弁当やペットボトルなどの空き容器を回収してリタイアの人を拾ってくれます
お二人の男性がリタイアです
ワタシも、もう、体が半分バスへと向かっていましたが、堪えて山道へと進みます
少しストレッチしたのでなんとか歩けそうです
 
お地蔵様にもおすがりして道を歩きます
 
 
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大股の表示のある分岐に出ました
すごい!この山上でツーデーウオークがあったのでしょうか?
 
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山道とタイノ原林道とを出たり入ったりしながら護摩壇山の見えるスポットの展望所で一服です
 
 
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林道から明日登る、伯母子岳が夏虫山の向こうに見えてきました
そして今日の泊まりの野迫川温泉が谷底に小さく、、、
 
 
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うわぁ~~~~大峰の山々は真っ白です
明日も山頂から望めますように、、、、
 
 
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林道にサヨナラして山道を下って行きましょう
道分け地蔵様も微笑んでいます
山道に並行して林道も走ってます、やっぱり出会うんですね、、今日は何回目かな?
 
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どうやら、ここから左へ一下りすると大股に到着のようです
 
リーダーがこの案内板、3年も前からこの状態で倒れているとのことでうっかりすると
道を直進しそうです
 
 
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村への配水管が破れて山道の真ん中を流れて足を取られそうです
要、注意! ゆっくりゆっくりと下ります
 
前方を行く小柄な男性の体が極端に右へ傾いて今にも倒れそう!
せっかくのストックをリュックに差したままですので、「杖をつかれてはどうですか」と
声をかけるが「腰をひねったみたいですが大丈夫です」と近辺にあった木を杖にして
ますます傾き、歩もままならない、、
リーダーがリュックを持ちますからと言えども、「行けます」と拒否、、
もう、ワタシの出番は終了、だって左手をかばっての歩きでやっとですもの、、足もなんとか
持ってるけど限界、後はリーダーよろしく、、と遅れていたので先を急ぐ
 
やっと、着きましたよ~ (16:45)
大股の集落の入り口、大股橋の袂
 
 
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なんとか時間通りにゴールです
 
怪我をされた女性は、高野山の病院で顎を8針も縫われたようです
残念ながら、今回はリタイアして無事に自宅に帰宅されたそうです、、
皆さんにご心配をかけてすみません、どうか明日の歩きも充実しますようにとの伝言を残して、、
そして、あの右傾斜のオジサマも無事に到着、、まぁ、写真撮る余裕があったようです
 
 
一路~、ホテルのせがわへ、バスに揺られて到着
 
つるつるの温泉と
鴨、雉、シシ鍋が待っていました
 
 
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              野迫川豆腐、素麺、餅、ホウレンソウ、、、どれも美味しかったです
 
 
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夜は流星群でもと思っていましたが、2度温泉に浸かりぐっすりと休みました
 
携帯は全く通じません
 
被災地の方々の明日に向けて祈り、今はもう全てを忘れて、、、オヤスミでした

「高野山町石道」 矢立峠~奥の院

2011-02-27 20:20:13 | 熊野古道・古座街道歩き
2011.02.23(水)
 
先月歩いた町石道の残りの半分を今日は歩きます
 
10:30 矢立峠の茶屋でトイレやストレッチを済ませて広い国道を横切り今回の歩きのスタート
天気も上々、、寒くもありません
 
 
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今日の参加人員は30人を上回りましたので添乗員さんが4名でアシスト
2班に分かれての歩きです
ワタシは2班になりました
1班は少し早めに出発しましたので前に姿が見えません
 
直ぐに広い山道の登りです
こんな広く整備された道、遠くに沢山の鉄線が張り巡らされています
かれこれ10分は歩いたでしょうか、、、、何だかおかしいと、、、
実は道を間違えていてどこかで参道に合流するかと進めていたが一向に出合わないのですって!!
来た道を引き返します、もう最初の時点で左前方へ直進しなければならないところを右に来てしまってました
 
添乗員さんは平謝りです、、、、最後尾の添乗員さんも気づかなかった?? 首をかしげながらも
<<準備運動の一巻>>なんて、ワタシはつぶやいて戻り仕切り直しです
 
やっと細い参道の急な登りにさしかかり雰囲気が出てきました
57町石も確認しました
やれやれ、今度は間違いないようです
 
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袈裟掛石です
弘法大師が袈裟を掛けられたといわれ、この石より高野山の清浄結界となっているそうな、
鞍のような形をしているから「鞍掛石」とも、この石の下をくぐれば長生きするとも言われ
「くぐり石」とも呼ばれているそうな、
小柄な細身の女性が二人トライ、、見事に潜り抜け成功、、100までもピンピンと長生きされることでしょう
ワタシ? 聞くだけ野暮、、石を腰に巻いてこの先登る羽目になりますからノートライ!!
 
 
 
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そして今度は、押し上げ石
弘法大師の母様が結界を乗り越えて入山しようとしたところ激しい雷雨が襲い親孝行な
お大師様はこの大畳岩を押し上げ匿ったと伝えられているそうな、、
 
手形が中央に残っています、よ、ね、~~~??
信じる者にはそう見える、、、ですかね<<<>>>
 

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48町石まで結構急坂が続きます
凌ぎながら歩いて植林の道を町石に元気付けられながら
国道と交差する辺りまでやってきました
 
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展望台へ急な登りです
展望台からはあまり眺望はなく曇り始めたので
先ほどのスタート時の遅れも取り戻さないとなりませんので休憩無しで進みます
 
 
 
国道の直ぐ横を抜けて再び山中へと入ります
ところどころに残雪が見られ、沢に架けられた木橋の上は凍てついて滑ります
平足でそ~っと歩きます
 
鏡石です
表面が鏡のように平らになっていることから鏡石と呼ばれ、この石に向かって真言を唱えると
心願成就するそうですよ~~
貴方の汚れ無き心を写す鏡なのですよ~~
 
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さぁ~~今日の踏ん張りどころ、、、、最後の急坂をカーブを描いて階段を登り
国道を突っ切って大門到着~~~~
 
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1班はもう30分も前に到着してお昼も済んでそろそろ出発です
2班はお腹空き過ぎ~、今日のお弁当を受け取り、あっと言う間にたいらげます
 
 
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13:00 お腹も落ち着いて大門の仁王様にご挨拶
頼もしい限りですね~
 
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短い休憩を済ませ13:20 大門を潜り6町石を見て壇上伽藍へと急ぎます
 
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金堂、御影堂、根本大塔、大塔の鐘などなど、
靴を脱いで根本大塔へ案内していただきます
 
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修行僧の方々が伽藍を巡って真言を唱えて行かれます
 
 
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雪の残る壇上伽藍を後にして
金剛峯寺へと進みます
 
 
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奥の院側の1町石                              東塔
 
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六時の鐘を左に山門へと向かうと金剛峯寺
 
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龍でしょうか??                            山門の扉の青銅の鋲の形も好きです
 
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高野の町にもちゃんと信号があります
歩行者用は青ですから渡りましょう
 
 
 
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来月からいよいよ小辺路の歩きです
あの右手の路地を入って歩いて行きますよ
 
 
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刈萱道心を、その子、石童丸が筑紫を出て山中に尋ねる哀話の残る、刈萱堂
 
 
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道の両脇に宿坊が立ち並びこの山上に広い門前町が形成されています
一の橋から奥の院の霊域へと歩を進めましょう
 
 
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参道の両側には戦国武将や江戸時代の大名、歴史に名を馳せる高僧を含む20万基とも
40万基ともいわれる墓石が所狭しと立ち並び幻想的な風景となります
 
その中で心に残るのはやはり慈愛に満ち満ちたお地蔵様
 
 
 
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手水の水は氷の芸術となって趣を添えます
 
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御廟橋を渡りここからは撮影禁止です
弘法大師様が生き身のまま入定されているといわれる「弘法大師廟」に参詣して帰ります
 
 
女人禁制の布かれていた高野山、お大師様のご母堂様も上がること罷りならなかった時代を経て
今、こうしてその霊域に立てることをありがたく思い
今日の歩きを終えた  15:00
 
なんと~~!! 今日は、最後に汗を流す温泉が希望者には待っていた
 
もちろん、飛び込み~いや入湯しま~す
 
麓のかつらぎ町の野半の湯へとバスは、ヘアピンカーブを下ります
 
とっても結構なお湯でした
 
梅が満開で歓迎してくれました
 
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昨日の、天辻からこの高野山へきっと縦走出来るはずです
また、いつか歩きましょう、きっとです
 
 
                  高野山町石道歩き延べ二日間、約25キロの歩き
 
                            完
 
                              ( 次月からは小辺路となり本宮大社を目指します)