あっちこっち歩いて楽しむおタケさん

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山に登ったかと思えばメタボな食事、お花、キノコ、いろいろ~

歩き遍路・高知の旅 (3)

2010-11-30 05:39:36 | 歩き遍路四国八十八ヶ所
2010.11.20(土)
いよいよ今回の歩き遍路の旅も最終日です
 
昨夜、到着して直ぐに支配人がしっかりと明日(今日)の予定を聞いてくださり
いろいろとアドバイスしてくださいました
先ずはこの国民宿舎から車道を横切りながら山道を下りて先に36番さんにお参りして
そこからドラゴンバスに乗って土佐市内まで行き歩いて35番さんに参れば繋がると
そしてまた36番さんへ向かって歩けば予定通りの歩きが完成するとの嬉しいアドバイスです
 
 
それでは、6:00 暗闇の中でまだフロントには明りがついてないところを掃除のおば様に
お礼申し上げて非常口から失礼します
 
岬の高台に建ってますので昼間なら絶景でしょうが昨夜も暮れてからのチェックインでしたので
夜景しか楽しめませんでした、、夏なら充分な時間でしたがね、、、
 
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いよいよ、ライト片手に山道を下ります、結構急な下りで慎重に下ります
 
やっと青竜寺さんの横手の鳥居まで下りてきました
 
 
 
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ようやく空が明るくなってきて三重塔が朝日に輝きだしました
山門が判らずちょっと戸惑いましたが仁王門がありその先に長い階段が続き本堂へと無事到着です
一番のお参りを済ませ、納経所へと行きますがまだ戸が閉まっています
暫くして作務衣を着た若い方が戸を開けて今日のご朱印の書初めです
 
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不動明王を本尊としており本堂に安置された波切不動明王は
大師が唐から帰国の際、嵐にあって難破しそうになったとき不動明王が現れて
手にした宝剣で荒波を切り開いて難を救った姿を刻んだものといわれ
漁師さんたちの信仰を集めているそうです
 
 
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支配人のアドバイス通りに竜の浜の駐車場にドラゴンバスのバス停がみつかりました
7:34 発のバスを待ちます
ここは黄金大師のある三陽荘の駐車場のようです
龍温泉もあるようですね
 
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フェニックスの向こうには入り江が広がり港も見えます
 
 
 
 
コミュニュティバスのような中型の路線バスがやってきました
お客さんはあまり乗ってません
高岡高校通りで降りて道を探しながら歩きます
やっぱり靴擦れが痛みますが頑張りましょうね~~
 
大体の方向は定まったのですが遍路道表示がなかなか見当たらなくて遠回りしてしまいました
やっと表示をみつけて住宅地からくねくねと蜜柑畑を登るといきなり本堂に着きました
おかしいね?山門があるはずだけどといいながらも境内の大きな薬師如来様(高さ12m)に迎えられて
お参りをします 9:20
 
ご本尊は薬師如来様です、厄除けにご利益があるそうで「高岡のお大師さん」と呼ばれているそうです
安産祈願の寺でもあるので底のない柄杓を奉納されるそうです
ご本尊の薬師如来は檜の一本造りで国の重要文化財になっているそうです
 
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納経所のお庭には百合が咲いていました
高台から土佐の市街が一望です
 
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小腹が空いたので蒸しパンを半分こして水分を補給しお参りの済んだ36番さんへ出立です
あとはひたすら歩くのみです
遍路道に従って階段を下り始めるとなんと山門がありました
こちらからが正式だったんですね、、間違いではありませんし来た道を戻ることになるので
むしろ良かったのかもね、などと辻褄合わせです
 
 
 
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降りて行き始めて少ししたところの分岐で道を迷い(決して間違いではない)藪の中に入り込み
淋しい墓場を通り、人の踏み後を辿ってもと来た道のすぐ近くへ飛び出た
 
却って遍路道みたいだったわねなどと余裕を見せる
途中の坂道を一人の初老の女性が登ってこられて35番さんから36番さんへはこの道を打ち戻るしか
無いですかと声をかけられる
私たちは迷って違う方向からきたのでその道へ行けば戻らなくても済むかもしれないけど結局は
同じところへ戻るので遠回りになるでしょうと答え暫くお話をさせていただく
彼女は宮崎の方で2回ほどこの10年で周って今度が3回目だそうだ
今までは通しては来れなかったけれどやっと通しで周れる日がきたのでと
37番さんをスタートして時計回りでいよいよラストの歩きだとおっしゃる、69歳の元気な女性だ
これを聞いて俄然希望を持った、ワタシにも出来ると確信する
 
お元気に結願してくださいといい別れて先に進む
 
土佐市街地を何度も何度も地図とニラメッコしながら宇佐への道を確認して
お遍路さんの休みどころとかかれたコンビニのベンチで昼食のおにぎりを仕入れる
 
石票がやっと現れホットするが、この暑さはなんなんだい??
帽子を被っても暑くて首に巻いたタオルで汗を拭う始末だ
何あと6キロ
じゃもう少し歩いてどこか木陰でお昼にしましょう
 
 
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途中で地元の日曜市が開かれていて覘いてみた
 
鮪の頭、¥400ですって!!
 
 
昨夜購入した「四国遍路ひとり歩き同行二人」のガイドブックを頼りに歩く
が、暑くて暑くてもうおしゃべりもする元気が出ない
中華料理屋さんがあるみたいだからそこでお昼にしてちょっと涼む算段にして
頑張って着いたがなんと!!お店は閉店していて売り物件の札が下がっている
峠に差し掛かってきたのでもう少し頑張って陰になるところでと言いながら歩いて行くと
立派なトイレのある休憩所があった
先客もあったが構わず東屋のベンチで靴を脱ぎ靴下も脱ぎ足を休める
できれば水車の繰り出す水に浸したいくらい 12:40
 
 
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暫く休憩しておにぎりを食べて水分もたっぷり補給して
アスファルト道に別れ峠を越えることにした
 
 
 
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足が軽くなったのと山道になったのとで登りも息を切らす事無く調子よく歩く
 
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峠を下りきり前を歩いておられる元気なお爺さんに浜へ行く道を案内してもらい無事に宇佐大橋にたどり着く
 
橋が出来るまでは渡しがあったようだ
 
橋の上からの眺めはいいが下を見るとその高さに目が眩みそうになる  14:20
 
ここで今日の歩きの終止符の決断を下しpatoさんに相談する
今朝の竜のバス停まで戻って後まだ予定の須崎までは22キロもあるのであと一日かかることになる
なので竜の浜で終わりにして龍温泉に入って、またドラゴンバスで土佐に戻りそこから高知行きのバスで
高知駅まで出ましょう
彼女も相当疲れていると思われるのでここは強くそうしましょうと伝える
話がまとまりラストウォーキングへと橋を渡り切る
 
 
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渡りきって直ぐに30分の急な坂道だけど旧遍路道の道標に
二人とも車道よりも、と意気投合!!あと30分頑張ろう!!  14:35
 
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峠の頂上からは宇佐湾が見え隠れし登りきると結構広い山道になっていて
落ち葉の絨毯を踏みしめて下る
 
 
 
 
 
 
 
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うきうきしている様に見える
 
 
 
着きましたよ~~ 15:00
降り着くと
地元のオバチャマ達が井戸端会議中で
私たちに「山から降りてきたんな?
ワタシラ(オバチャマ達)小さい頃は良く
通ったけどもう何十年も行かんなぁ」と
笑顔で声かけて「気いつけて行きや~」
と見送ってくれる
すると!!!
 
あの35番の坂道で会った宮崎の女性が前方を歩いている、、、、、
さすが!!三回目、、、早~い!!
彼女は今晩国民宿舎にお泊りなのであの坂道を登って行くのだ
 
私たちには気付かずに先を急いで行ってしまわれた
 
36番さんへの道を今朝来たところまで戻り三陽荘へと向かう
この36番さんの山門の階段で鍛えて横綱にまで上り詰めたモンゴル出身の力士がいましたよね
彼が留学していた高校も近いです
 
 
黄金大師のおられる三陽荘の日帰り入浴が出来たのでユックリと露天風呂につかり
汗を流して足もいたわってあげました
露天風呂も日替わりで男女の湯が交代しちょうどこの日は女性の為に解放されていてラッキーでした
 
 
 
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お風呂に入り帰り支度をしてバスの時間まで海岸を散歩して記念撮影の一枚です  16:25
 
 
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次回はここから長~い歩きのスタートです
 
ドラゴンバスに乗って東芝というバス停で高知行きのバスに乗り換えて
高知駅に戻り荷物は駅のロッカーに預けて高知の駅前で夕食をしようと繰り出しましたが
二人ともお酒を嗜みませんので駅前にはちょっとしたお店が見当たらなくて
結局、はりまや橋まで歩いてあの「ひろめ市場」に向かいました
先日とは打って変わって人が一杯で座るところがなく唯一席が空いていた串カツやさんで
おすすめ串カツセット ¥580をいただきました
18:40
 
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駅のバス待合室で3時間も居眠りながら23:00発の最終の夜行を待って
大阪へと帰りました
 
 
 
 
今回も一年ぶりにpatoさんと結構きつい行程を頑張って歩いたのですが
安易に計画した日程は一日分歩くことが出来ませんでした
 
今後の計画には道の確認で手間取ることを頭に入れて練らないといけません
そして足のマメ対策をしっかりしないと歩けません
 
加えて、今回は幸いなことに一日だけ、それもほんの1時間ほどの雨に会っただけでしたが
お天気によって左右されることも
 
 
 
次月は二人の休日の予定が会わなくて残念ですがお休みです
 
もしかして一人で出かけるかも知れません
 
 
 
 

 
 

高山街道の古建築を訪ねる

2010-11-30 00:22:24 | 今日はいずこへ?
2010.11.27(土
 
タイトルに魅かれないはずがないでしょ??
 
高山街道といえば生駒市の北端にある茶筅の里です
 
てっきりその茶筅の里をじっくりと歩いて周るのだと思って学園前から奈交の観光バスに乗ったのです
 
するとなにやらむずかしいレジュメを配布されて表紙を見て、、、、
 
はれれ~~~!しまったぁ~~!!
 
そんでもここで尻尾巻いて帰る訳にも行かず解らないながら教授の説明をしっかりと聞いて
 
少~~しだけ聴講生の気分に浸ることにしました
 
 
 
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赤、緑、青、と、もっともらしく書き込みしてますが
今ではさっぱり記憶のるつぼ
2ページあります
 
 
 
先ず、訪ねたのは高山八幡宮
茶筅の里はここからさらに北へ行かないとならないようですが
本日は茶筅の里へは参りません
 
古建築の何を学ぶのでしょう?
教授は「神社の建築」「浄土真宗寺院の建築史的研究」などの著書があります
ワタシは知りませんでした
 
さて、始まります講義、ついていけるかな??
 
この高山の茶筅の無足人座という別格の宮座として続いたもとの鷹山城主の鷹山氏の名が
社殿の棟札にも残されている
棟札により元亀3年(1572)の建立と判明している
三間社流造・檜皮葺の本殿が静かに佇む、かえる股や紅梁に室町時代の
特色が見られる・・・・・・・・・・・
先生、もうギブアップですので後ろでおとなしくお聞きしまぁ~す
 
 
 
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この紅葉きれいだね~~
 
 
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続いてバスに乗って着いたところは
大和十三分仏参りでも知られており紫陽花の頃は花の寺としても知られる
長弓寺
 
寺伝によれば聖武天皇が鳥見郷の名族真弓長弓を道案内にして狩を楽しんでいたとき
息子の長麻呂の流れ矢にあたって長弓が死んだ、天皇は長弓の死を哀れんで行基に命じて
寺を建立させたと伝えるが、藤原良継建立したとする説など諸説がある
 
本堂は国宝で、下から見上げると翼を広げたような檜皮葺の優美な曲線の入母屋造
桁行5間・梁間6間で正面に1間向拝を付ける
棟木に弘安2年(1279)の銘があり建立年代がわかる、和様に大仏様、禅宗様を加え外観は
バランスの取れた優美な建物で内部は構架を見せた豪快な手法をとる
厨子内に藤原初期の一木造りの木造十一面観音立像を中心に、左右に釈迦と阿弥陀を安置する
十一面の頂部の仏面は行基が天皇の弓に彫ったと伝える
 
 
 
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檜皮葺はなんとか理解しましたが、和様、大仏様、禅宗様・・・・・ワカリマセン・・・・
 
 
富雄川に沿って南下して行きますと
 
次なるお寺、霊山寺
 
矢田丘陵の北端にありバラ園でも知られる
聖武天皇の勅願によって創建された古寺で大仏開眼の導師を務めた僧、菩提遷那を開基とする
 
本堂は国宝で入母屋造、棟札により弘安6年(1283)の建立とわかる
桁行5間・梁間6間で正面に1間向拝を付けた本瓦葺の建物である、向拝の扱い方には特徴がある
長弓寺とともに鎌倉時代中期の密教寺院本堂の代表的な遺構である
本尊は木造薬師如来と両脇侍像は重文で藤原時代の作、他に木造十一面観音立像や十二神将立像(重文)
などを安置する
三重塔は増長天台座銘から室町の文和5年(1356)の建立と判明し檜皮葺の軽やかな姿の塔である
内部には極彩色を残す
この他に鎮守の十六所神社があり、本殿を中心に境内社の住吉・竜王神社の春日造の各本殿が並列する
 
 
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先生が先ほどの長弓寺で問題提起されていた霊山寺との本堂の内部の違いを
解析しなければなりません
 
注意して天井を見上げ下陣、内陣、見回し特徴をイメージします
はっきりとした違いがわかりますがどのように説明したらいいのか様式の名称すら知りません
 
先生は食事の後で明かしますとおっしゃいました
 
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三重塔は檜皮の葺き変えや修復中で薦をかぶっていました
 
 
 
 
 
春日造りの十六所神社
 
 
 
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紅葉にばかり目が行きます
 
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ご本尊は薬師如来様です
その開山当初より薬湯があり施薬院もあったようです
 
以前、孫息子と二人で伊勢本街道を暗峠越えして歩きくたびれて入湯して帰った事があります
十三仏参りに花の季節に訪れて入湯もしました
¥600で日帰り入浴させていただけます
 
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さてさて美味しい昼食もいただき、薔薇の花を堪能して
ちょっとトイレが長くなって集合時間ぎりぎりにバスに戻ると
ワタシが最後で
先生が先ほどの問題の解析を終わっていました
 
正しい解答は得られず終いですが天井と内陣、脇陣の違いは確かです
 
いい加減なワタシは先生に確認もしなければ隣の方に聞くこともしません
 
 
 
次のお寺は
 
円福寺
 
富雄の里から生駒へとトンネルを抜けて生駒谷を見下ろす高台にありました
 
寺伝によれば天平勝宝年間(749~757)に創建されたとある
本堂は三間四方の村堂で組物は三斗組・中備は間斗束で本尊に阿弥陀如三尊像を祀る
入母屋造・本瓦葺で南北朝時代の応安4年(1371)に建立されたことが来迎壁額縁墨書から判明している
堂内は落ち着いた和様の空間で屋根の勾配が緩やか軒廻りも軽快な建物である
本堂の前には重文の鎌倉時代の美しい形の宝況篋印塔が2基ある
 
 
 
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誰かが生駒の高台??もしかして近くにあの漫才夫婦の方のお宅があるのかしら??
 
でもこのツアーの方々はそれ以上は口にされません
 
 
 
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生駒の山上の鉄塔も見える高台の住宅街を大型バスが行きますので
狭い生活道を対向車はバックを余儀なくされます
路肩10cmを残して畑の立ち木でミラーをこすりながらもカーブをうまく切り抜けて
むかい山公園にバスを置いてハイキングコースの一部を片道800mほどを歩いて
着いたのが今日の最終観覧建築物の
 
宝幢寺
 
 
鳴川峠への生駒からの登り口辺りに寺の屋根が見えてくる
当山の沿革史によると行基と関係の深い生馬寺の総称の中のひとつの寺であったという
正史に登場するのは嘉吉元年(1441)の興福寺官務牃疏である
本堂は桁行・梁行ともに5間の規模で、入母屋造、本瓦葺の建物である
本尊は地蔵菩薩像を祀り、建立年代は室町時代前期とされ細部にその特徴がみられ
堂内は和様である、外部では長押を使用せず格天上で内陣は折り上げ、四天柱内の黒漆塗須弥壇は
その造りが優れ絵画がかろうじて残る、脇陣は化粧屋根裏である
 
 
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これで本日の聴講はお終い!!
 
文章はすべて
大谷大学客員教授
 
櫻井  敏雄先生のプリントからでした
 
 
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最後のご挨拶で添乗員さんが
このツアーの参加者は奈良ソムリエ検定の受講認定も兼ねていますと説明されて
終了証を対象者に渡しておられました
 
はい~~難しい講義内容というか全く予備知識のないワタシが参加するのが
お恥ずかしいことでした
 
 
でも、楽しかったです
これからのお四国の遍路巡りの興味がまたひとつ増えましたもの
 
 
 
 
もぐりの聴講体験でした~~~
 
オシマイ
 

何のお勉強??

2010-11-28 21:50:43 | おりおりの花
2010.11.27(土)
まだまだ、日記が随分書けなくてPCを立ち上げるのが面倒になったこの頃
皆様の訪問もままならず申し訳ありません
 
そんな中で「まほろば巡礼バスツアー」というタイトルに魅かれて参加したら
ホエー~~~!!な内容でした!!
 
なんと、大谷大学の客員教授による古建築の社寺巡りだったのです!!
 
不謹慎なワタシは難しいことはサッパリなのでこんなことばかりして遊んできましたよ
 
御仏様は十一面観音様で重要文化財なので本来は限られた時だけのご開帳なんですが
この日は特別に拝観させて戴いたうえに写真撮影もお許しくださいました
 
 
 
 
 
 
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釈迦如来様と阿弥陀如来様そして四天王様
ゆっくりとお写しすることは憚られましたのでお灯明の中にぼんやりとしか見えませんが
実際に拝観させていただいてただ自然に両の手を合わせるのみでした
 
聖武天皇や行基菩薩の縁のお寺です
 
次に向かったお寺さんはこんな花で有名ですね~~~
 
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いただいたお昼にも小さな赤いお花が添えてありました
 
 
 
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少し学んだことは興味のある方のために気が向いた時に日記にしましょうね
 
え?、そうなんです
忘れてはいませんが歩き遍路の三日目がまだ書けないのです
そして24日に行った岡山の吹屋ふるさと村と井倉洞もね
このところ仕事がハードになって夜はコテンと寝てますので
悪しからず~~~
 
ちょっと息抜きに出掛けてもデジカメ持参ではやっぱり記事にしなくちゃ
なんて思ってしまうんですね~~~
 
どなたでしょう?
ブログを書いてみたらなんておっしゃったのは
そんでもっておだてられて木に登っているワタシの今日はタ~イヘン!!
 
いつか降りる時までなんとかがんばりまっしょい

歩き遍路・高知の旅 (2)

2010-11-23 00:06:05 | 歩き遍路四国八十八ヶ所
2010.11.19(金)
朝は5:00にどちらからともなく起きて身支度を整えて
昨夜、購入していたおにぎりとお茶をお腹にしっかり入れて
ホテルのロビーで無料のコーヒーをいただき暗い中を出発です
6:10 まだ暗い中をライトを用意して昨日の竹林寺さんへと向かいます
昨日、歩いているのでタクシーで山門まで行こうかと相談しましたが
patoさんから歩きますときっぱりと返事が返ってきたので気合を入れてスタート
 
だんだんと夜が明けて東の空がしらんできます
 
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ちょっと雲が厚く感じられますが寒くなくて歩きやすいお天気です
 
40分もすると牧野植物園を抜けて山門まで着きました
植物園の守衛さんがセンサーで確認に入って来られたところに遭遇してお話をすると
なんと犯人は私たちでした、、
車道ではなく遍路道へと下り始めると竹やぶの向こうに朝日が昇り始めました
木々の間を通して木の葉に反射する陽光、、えも言えぬ世界が広がり二人で暫し感嘆符
 
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きっときっとこの世におさらばする時に瞼に浮かぶかもしれない色の帯
忘れることは決してないと思ったほんの一時の煌きの色、patoさんも同じように受け止めたのであろう
 
感動を胸に急な遍路道を下り川べりの舗装道路へと降りる
川沿いにテクテクと朝まだ早い田んぼ道を歩き大きな道に右折して進むと左手に
何やら案内板を見つけて寄り道
 
武市半平太様の旧家と墓所だ
今は民家としてお住まいになっておられるのでお写真だけで失礼する
 
 
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再び大きな道に出ると見覚えのある観光バスが空で止まっている
ああ、そうだ、本来ならこのバスでいつもの皆さんと1泊2日でのツアーに参加していたのだ
ツアーの皆さんも先達さんについて後から歩いておられるはずだ
なんて話しながら結構な距離を地図を頼りに歩いてやっと32番 禅師峰寺さんへの車道との分岐に着く
 
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少し急な山道を一気に登ると山門がありました 8:45
山門を潜ると岩がごつごつとした境内の階段を上がり前方に土佐湾が広がります
 
航海の安全に霊験あらたかとされる別名「船霊観音様」の十一面観世音菩薩様がご本尊です
 
 
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一番乗りの私たちを境内では賑やかにいろんな方々がお参りをお待ちですよ
 
 
 
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名残は惜しいですが先へと参ります
この先で渡しにも乗りますのでどうぞ安全な旅をとお願いして歩を進めます
 
来た参道へと下りかけると予定していたツアーの馴染みのご一行様と会いました
今日の参加がないのでどうしたのかと心配してくださっていたそうです
ありがたいことです、月に一度の名前も聞かずにのお気楽ツアーと思っていたのに
また来来月にお会いしましょうと告げて先へ行きます
 
干拓地のような平地を車がスピードを上げて往来する道路脇にロバのパン屋さんの看板
奥に目をやるといましたよ、、ロバ君たち、
おやおや、あなたは大手術でもしたの横たわった背中のテープが痛々しい
早く良くなってね、、、ミラバケッソさんの茶毛もいいわね、、、
なんて猫好きのpatoさんは動物にとても優しく接します
 
 
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そろそろお腹の虫が騒ぎ始めたのでファミマでおにぎりを買ってついでに渡し場を聞く
お店を出て地元の方がこっちの道を左折してずーっと真っ直ぐと教えて下さるので
歩きながらお話しすると、大阪にお住まいだけど今は100歳のお母様の許に介護帰省中とか
曲がり角でお別れの挨拶をして歩きますがなかなか船着場に着きません
 
途中に興味深いお宅がありました
歴史好きの方なら興味が湧くでしょうね
龍馬が密かにこの種崎に上陸してライフル銃千丁をここ中城家に一時隠していたそうですよ
 
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まだかいなといいながら歩いていると遍路みちしるべの最新版がありました
巡礼の道として世界各国からも歩きにこられる方が増えてきましたものね
 
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やっと着きましたよ
お腹も空いたので次の出航までの時間を確認して待合所でおにぎりをパクついていると
地元の女性が遠慮して出て行ってしまわれました、、お行儀悪くてゴメンナサイ
 
運賃が書いてないので気になり良く時刻表を見ていたら下のほうに無料とありました
 
高知県営のフェリーで125cc以上のバイクと四輪車は乗船できません
人と自転車とバイクを乗せてここ種崎から対岸の長浜までを往復してます
 
ツアーのバスも待機していました、バスは浦戸大橋を渡って次の雪蹊寺さんで皆さんを乗せ
三宮から京都へと帰るはずです
 
11:15 出航して5分もしたら到着でした
 
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みませ(御畳瀬)みせましょ
浦戸をあけて
歌にうたわれた地名が残ってます
 
フェリー乗り場を運河に沿って進むと街中にはあちこちに
文明開化の直前の土佐の意気が伺える塾跡や旧跡がありました
へぇー、ふーんと感心しながらお寺さんに着きました
山門が見当たらないのでとりあえずと確認すると
高福山 雪蹊寺とありました
33番さんです
 
鎌倉時代に仏師運慶、湛慶が来山して本尊の薬師如来様は晩年の運慶作といわれており
本堂の奥の宝物庫に厳重に国の重要文化財として保管されているそうな
脇侍の日光、月光菩薩ともども檜の寄木造りでいきいきとしているそうな
「鎌倉仏像の宝庫」といわれるほど名品が豊富ですと
境内のお店のおじさんが語ってくださいました
 
そして山茶花の原種の古木、右近の橘、左近の桜、珍しいものが沢山あります
花の季節にはきっとまたお参りの人が絶えないでしょう
 
 
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お参りを済ませて次へと歩きます歩きます
行き逢う人が皆さん次へはもう一本道だからと仰るので安心して歩きます
コウテイダリアの花の下をビニールハウスの間を抜け小さな峠を越え
 
 
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田んぼの中に突然現れたのが
34番さん 種間寺さん
こちらも山門はなく本堂は改装の最中で大工さんが行ったり来たり
足の曲がったお年を召したご婦人が3名でお参りされていました
 
薬師如来様がご本尊様ですが
子安観音堂の観音様がとても柔和で片手に抱かれたあかちゃんを見守るお姿に
離れることが出来ないほどです
故に安産祈願のお寺さんでもある訳ですね、安産は子供の無事の誕生と健やかな成長の
願いへとつながります
 
 
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お参りを済ませて時間を見ると 14:45
もうさっき食べたのにお腹が空いて仕方ないのでお寺のすぐ近くにあった
青いトマトさんでランチです
お遍路さんの為にとご主人がリタイアされてから始められたそうでモーニングも閉店(16:00)まで
今の所は奥様と息子さんとで切り盛りされているので団体さんは無理なようでした
が、このメニューで¥600は安いです
デザートにアイスまでつけていただきお土産にクッキーまでお接待してくださいました
 
 
 
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ごちそうになりました
お気をつけてのお見送りを受けて
少し暗くなった空を気にしながらこれからの長丁場へと発ちます
 
分岐にきて遍路表示がなく自動車用の案内しか頼れずに迷い込んだところが
菊祭りのイベント中
菊のトンネルを抜けてる場合じゃないのですがね、、、雨も降り出してきたし、、
 
 
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あわてずにお花を楽しんで
元の分岐へ戻ります
ロスタイムは往復で15分でしょうか
 
あじさいロードに出て水路に並行して靴擦れが痛み出した足で急ぎます
高校生の自転車が追い越して行きます
 
 
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二人とも足が痛み出して口数が減ってきます
コンパスが長くて若いpatoさんのスピードが上がりワタシが遅れます
 
でもまだ心の中でなんとか35番さんまでとお互いが思っています
やっときた仁淀川大橋、雨もやみました
 
17:00 です
 
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無理です 無理です ここからあとまだ6キロ余り
土佐市内に入って断念
沿道のブックマートで地図を確認して
お店の方に夕食の出来るところやタクシーの乗り場などを尋ねるが芳しくない
 
 
今日のお宿に向かうために業務スーパーで夕食と明日の朝食と飲料を仕入れて
タクシーの営業所をみつけてお願いする
随分遠いですよ、、、そりゃそうです
予定では35番さんをお参りしてもうちょっと先まで行ってタクシー移動の予定でしたからね
 
タクシーの中で携帯がなりました
お宿の国民宿舎さんからでした
もう間もなく到着しますからと答えて直ぐに着きました
辺りは真っ暗になっています
ロビーに走りこんで遅くなってご心配おかけしましたと詫び、またまた翌朝が早いので
先に清算してルームキーを頂く
 
3階まで階段です
6人部屋のドミトリー
2段ベッドが3ッつ並んでいます
でも、二人で貸切です
漁火を見ながらのんびりと露天風呂を楽しんで
今日の疲れを癒します
部屋に帰って半額で仕入れた田舎寿司を戴いて
明日の簡単なコースの確認をして早、19:30には寝たかしら
patoさんに一言多分歯磨きもせずに寝てしまうかもと言い残して

歩き遍路・高知の旅 (1)

2010-11-22 01:30:56 | 歩き遍路四国八十八ヶ所
2010.11.18(木)
 
昨夜(11/17)の22:40にJR大阪駅桜橋口を出たハイウェイバスは
南国PAで時間調整及び乗務員交代をして、今朝6:00過ぎにJR高知駅バスターミナルに到着した
 
車中で買い込んでいたおにぎりで朝食を済ませていたのでJR土讃線で後免駅まで戻り
駅前で路線バス乗り場を探すが見当たらない
事前に調べておいたが始発は8:00なので、直ぐにタクシー(高知の地方はハイヤーとなっている)の営業所がみつかり、前回ワタシが歩き終えた29番国分寺さんまでお願いする
5分も走ると到着、¥860÷2=¥430
 
さぁ、今日からの区切り打ちのスタートです
ちなみに打つとは参拝のことだそうですよ
今回の予定はこの29番国分寺さんから36番青龍寺さんまでを3日間で歩くという
patoさんとワタシにはちと過酷な予定です
誰がたてたかって?、、ワタシに決まってますよ、、だってネ、彼女は足長で背が170cmくらいあって
しかも15も年下のアラフォーなんですもの
物足りないと言われてはもったいないですからネ
 
7:15 山門に到着して輪袈裟、お念珠を着け、ワタシは南無大師遍照金剛、同行二人と書かれた
袖無しの白衣を着ます
リュックにはレプリカの小さな菅笠と藁ぞうりを着けて
 
 
 
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お参りと納経は前回ワタシは済んでいますのでpatoさんと一緒にお燈明をあげ
お線香を焚き、納め札を納めお賽銭を供え仏前勤行を唱えます
大きな声で経本を見ながら唱えることが出来るようになりました
境内にはどなたもおられずワタシ達が一番でした
先月は十月桜が咲いていましたが今回は大輪の菊でした
 
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大体、一ケ寺で30分くらいを要します
 
次は30番さんへと遍路道を行きます
直ぐに石板の道標が見つかりました、導石は建立した人の氏名や年代が記されています
 
 
 
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高知名物の文旦(ぶんたん)もたわわに実って歩きには素晴らしい景色が広がります
あまりの天気の良さと心地よさでおしゃべりに花も咲き
足の運びも軽やかです
しかし、ここで大きな国道を歩いていて地図の旧国道と現県道とを取り違えて
ファミリーマートの方にお尋ねして道を修正です
いきなりの迷いに先の不安が過ぎりますが思い直して歩き出すと
遍路道の案内板が見えてくるようになりました
 
 
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途中に道の三角コーナーを利用して遍路小屋を作ってくださったうえに
トイレや飲料水のお世話までして下さっている会社の下にて小休止です
 
 
 
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間もなく逢坂峠を過ぎて30番 善楽寺さんです(10:25 )7.0キロ歩行
 
ご本尊様は
阿弥陀如来様
 
 
黄色の鶏頭の向こうに本堂があり参道から解放された境内が広がります
山門は土佐神社さんとの共同門で裏口入内したので後から潜り抜けて行きました
 
 
イメージ 26木シャクヤク??と教えてくださったんですが
 
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道から少し集落に入ったところで気になるわらぶきの屋根が見えたので近くへ迂回すると
国指定重要文化財の旧関川家でした
 
日本家屋の懐かしさそのままに残された
郷士・豪農のつくりです
 
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ここから道は国道を進みいよいよ高知市へと入る
しかし広い道が続きどれがいったい国道だか混乱して標識を良く確認するが
またしても道迷い
 
あきらめて空腹に耐えかねたので公園でニャンコたちを追いかけて東屋で
お昼休憩にする
patoさんは大の愛猫家で自宅には4匹も同居しているせいか写真が多くなる
 
30分ほど休憩して元気を取り戻し、だいたいの見当をつけて歩き出して
先ほどの道につながるところへと改めて出て進むと
見えてきました路面電車
間違いないようです
 
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美術館前となっている停車場
 
地図を見ながら今日のお宿へと急ぎます
なんだか一刻も早くリュックを下ろしたくて足が速くなります
初日からこんなでは先が思いやられます
それにpatoさんはちょっと靴擦れが出来たようで辛そうです
12:50 お宿に着きました
コーヒーは無料で飲み放題です、ブラックで一杯頂戴します
嫌いじゃないけどあまり飲まないのですが美味しかったです
素泊まりにもかかわらず先にお願いしてあったので快く荷物を預かっていただき
軽くなった身体でたんぼ道を31番 竹林寺さんへ向かいましょう
一面のコスモス田が広がって遠目には綺麗でしたが近くに寄るともうほとんど
花は終わっていました
 
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たんぼ道から人家の間を五台山へと登ります
結構急な山道になりますがpatoさんもワタシも何故か楽しくなります
舗装道路の行軍に足が疲れて少々うんざりし始めていたので
木陰に入りホッとしているのです
 
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この五台山は高知県立牧野植物園になっており開閉時間が決まっていますが
お遍路さんは出入り自由なんです
時期が過ぎた薔薇やこれからの菊花展の準備中でした
植物園を遍路専用の出口へ出ると直ぐに竹林寺さんへと連絡しており山門に行き着きました
銀杏やモミジが綺麗に色づいて高知で紅葉を見るとは思ってもいませんでした
 
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県下で唯一の五重の塔、紅葉に背を向ける五智大日さんたち
 
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一幅の屏風絵のような山門の裏側
 
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八十八ケ寺の中で唯一の文殊菩薩様がご本尊
ワタシの守り本尊様だ
五十年に一度だけご開帳される国の重要文化財に指摘されているそうだ
 
少し休憩しましょうとお接待所に向かうとpatoさん大喜び
ニャンコちゃんが待ってました
何故ここに・・・・忘れました・・・・幸せ気分に浸っていましたもので
 
 
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14:45 納経を終えてまだ次のお寺まで歩けばなんとかいけるかも知れないですが
あと二日歩かねばなりませんので今日はここで終了してバスで桂浜へ遊びに行くことにしました
だけど、、、次のバスは16:00過ぎ、、、タクシーがいましたのでお願いして行ってもらうことにしました
15分くらい走って着きました
 
高知まできたのですから一目龍馬様にお目通りしてきましょう
白波が打ち寄せる桂浜に降りて見上げて、100円出して同じ高さまでのやぐらに登って
ご対面です
あいにく、夕陽を浴びておられ写真は全て逆光
懐にはピストルがあったかどうかは定かではありません
 
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風が強くなって肌寒くなってきたので今度はバスに間に合いました
市街地のはりまや橋へと向かいます
 
 
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ホテルで聞いてきた市場の名前を忘れてKOUBANに駆け込み若いお巡りさんが
高知弁で親切に教えてくださった「ひろめ市場」に行きました
 
何でもあります
夜中まで営業しているそうですがまだ時間が早かったのでガラガラでした
17:00 早いけど夕食にしましょう
ぐるりと一周して二人とも同じものになりました
                                        にんにくたっぷりのカツオのたたき丼(一人前)
                                         &カツオの巻物(半分こ)
 
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夜食と明日の朝食も仕入れてホテルへと土佐電の路面電車で帰ったのでした
 
 
 
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翌朝が早いので清算をして部屋へ入り
大浴場はなく部屋のユニットバスで汗を流して早々にダウンです
 
明朝も6:00 出発しましょとpatoさん張り切ってます
 
夜行バスでの睡眠不足が心配され靴擦れも心配で予定を短くして市内観光に出掛けたような一日になって
しまったがまずまずの初日、の歩きでした