先日、「徹子の部屋」に出演していた女優の藤原紀香さんのことを少し・・。
大石静さん脚本の「愛と青春の宝塚」を、5年前のお正月の特別番組で観たのが最初ですが、・・。
“戦前、戦中の宝塚の大スターという役所で、戦後は脚本家の妻となり、自分の命と引き替えに男の子を一人産む。”
と言う役所でしたが、実在した人物を演じていました。
紀香さんは、ご存じの方も多いでしょうが、大学時代神戸にいて阪神淡路大震災を体験し、動かなくなった電車の横を線路沿いに歩いて、西宮市の実家まで帰ったそうです。あの震災を体験するまでは、女優をするとか考えておらず(アルバイトでモデルの仕事は東京ですでにしていましたが)、ふつうに結婚していただろうとおっしゃっていました。
震災を体験して、自分に出来ることをしなくてはと思うようになり、両親を説得して女優になったとか。
「愛と青春の宝塚」のドラマで観た、戦争が終わって間なし、線路づたいに歩くヒロインの姿と、震災直後、線路づたいに実家にたどり着こうとした紀香さんの姿がダブって見えました。
一人住まいの東京で、お嬢さん育ちの紀香さんの語る、食事づくりの失敗談や食生活のひもじさ(部屋の階下が、ラーメン屋さんでいいにおいがプンプンしてくるのに、我慢して自分の作った食事にお母さんが送ってきてくれた紀州の梅干しをそえて食べていたとか。)を、徹子さんに語る紀香さんの言葉を聞いて、ああ、この人にも下積みの時代はあったんだと思うと共に、あの大震災を超えて、自分の道を決めたこと、そして着実に歩んでいる彼女の姿は輝いて見えました。




先週の 閲覧数 、アクセスIP数は、次のようになっていました。
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大石静さん脚本の「愛と青春の宝塚」を、5年前のお正月の特別番組で観たのが最初ですが、・・。
“戦前、戦中の宝塚の大スターという役所で、戦後は脚本家の妻となり、自分の命と引き替えに男の子を一人産む。”
と言う役所でしたが、実在した人物を演じていました。
紀香さんは、ご存じの方も多いでしょうが、大学時代神戸にいて阪神淡路大震災を体験し、動かなくなった電車の横を線路沿いに歩いて、西宮市の実家まで帰ったそうです。あの震災を体験するまでは、女優をするとか考えておらず(アルバイトでモデルの仕事は東京ですでにしていましたが)、ふつうに結婚していただろうとおっしゃっていました。
震災を体験して、自分に出来ることをしなくてはと思うようになり、両親を説得して女優になったとか。
「愛と青春の宝塚」のドラマで観た、戦争が終わって間なし、線路づたいに歩くヒロインの姿と、震災直後、線路づたいに実家にたどり着こうとした紀香さんの姿がダブって見えました。
一人住まいの東京で、お嬢さん育ちの紀香さんの語る、食事づくりの失敗談や食生活のひもじさ(部屋の階下が、ラーメン屋さんでいいにおいがプンプンしてくるのに、我慢して自分の作った食事にお母さんが送ってきてくれた紀州の梅干しをそえて食べていたとか。)を、徹子さんに語る紀香さんの言葉を聞いて、ああ、この人にも下積みの時代はあったんだと思うと共に、あの大震災を超えて、自分の道を決めたこと、そして着実に歩んでいる彼女の姿は輝いて見えました。




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