日本経済新聞5月24日付、コラム「チェンジアップ」欄の豊田泰光氏のコラムは面白かった。
記事は、「講演で鹿児島を訪れ、街を歩いていたら妙にほっとした。東京で覚えるストレスがない。この安らぎはどこから来るのかと思ったら、ぶつかりそうになるとみんなよけてくれる。鹿児島はまだ人の教育がしっかりしているのだろう」というところからスタートしている。
ご興味のある方は、豊田泰光氏の下記オフィッシャルサイトにアクセスしてみるとよい。
http://www.toyoda-yasumitsu.com/menu.htm
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確かに、東京にせよ、大阪にせよ、街中の雑踏の中を歩いていると、よけてくれない人の何と多いことか、と感じる。
大阪に関していえば、歩道を自転車で我が物顔で走る人がたくさんおり、あわやぶつかりそうになろうものなら、「(歩行者である)お前が悪い」みたいな表情をする人たちもたくさんいる。
豊田泰光氏は、その点に関して、「他人に対する思いやりの欠落」によるものと指摘し、「いい年をしたおやじも結構勝負をかけてくる。すれ違いざまに顔を見る。自分の進むラインしかみていない目は無表情で、ぞっとする」と感じているとのこと。
同じ情景に接する場合、私自身も同じ感情に陥るだろうと感じる。
豊田泰光氏は、ここでもう一点、「人に見られる自分」を意識する必要性を説いている。
現役時代からのようであるが、ひげそりあとの15秒から20秒ほどじっと鏡に向かい、「きょうはどんな顔でいこうか」と考えるとのこと。そして、現役時代は、「投手に威圧感を与える顔」がテーマだったが、「今は好感をもたれるおじいさん」に見えるようにすることがテーマであるとのこと。
面白いと感じた。
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同じ今日の日経一面「ニッポンの教育」欄で、「迷走する『親力』」とのタイトルで、「ヘリコプター・ペアレンツ(子供を中心にその周囲を旋回する親、といった意味合いか?)」が取り上げられている。
いわゆる、一般常識のない、自己中心的(=自分の子供のことしか考えない)な親が多くなり、立ち往生している「日本の教育事情」について言及している。
ある意味で、このような社会状況は、「人に見られる自分」を意識できないことによるとも指摘できる。
私は訪れたことはないが、家内から、「カナダのバンクーバー事情」について聞かされたことがある。
人が車道等を歩いている場合、車の運転手は、「クラクションを鳴らすことなく、歩行者が通り過ぎるのをじっと待ち、おもむろに車を走らせる」状況であるとのこと。
残念ながら、「『忙しい』日本では、クラクションをうるさく鳴らし、歩行者を追い立てる」ことはあっても、その反対の現象に出会うことは稀である。
私の場合、家内からそのような外国事情を聞いていることもあり、車を運転する際には、特に歩行者との関係で、「クラクションを使わない」ようにし、「歩行者に対して気を使う」ようにしている。
やはり、「他人に対する思いやり」や「他人を尊重する精神」の欠落、もしくは、欠如の度合いが大きくなってきているため、「親力」の問題も、「都会の雑踏事情」の問題も出てくるのではないかと感じる。
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またちょくちょく拝見させていただきます。