ウェザーコック風見鶏(VOICE FROM KOBE)

風の向くまま、気の向くままに……

恐怖の大切さ

2008-06-10 07:56:59 | 文化・学術

 宋文洲氏の「メルマガの『読者広場』」の5月末の記事を取り上げる。記事のタイトルは、「恐怖の大切さ」である。
 記事タイトルにリンクを張っておくので興味のある方はチェックしてみるとよい。

 興味をひいたのは、最後の部分で触れている「『失敗を恐れるな』という説教がありますが、これほど無責任な説教はないと思います」との指摘である。
 そのあと続けて、「失敗は恐れるべきです。失敗は恐怖です。われわれがその恐怖を通じてこそ知恵を学び、謙虚、且つ強靭な心を得るのです」と指摘している。

 宋氏の指摘はその通りであるかもしれないと感じる。。。
 逆に、「失敗を恐れることなく失敗する」ということは、ある意味で、「失敗を失敗と感じない」ことにつながり、何も残らないのではないかとも感じる。。。
 そうした意味で、「失敗を恐れつつ失敗する恐怖」を味わってこそ、「知恵を学び、謙虚、且つ強靭な心を得る」とも感じる。
 示唆に富む話であると考える。
 記事を引用しておく。

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 記事引用
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 恐怖にはよいイメージがありません。恐怖を好む人もいません。しかし、恐怖でないと分からないことがあり、恐怖を通じないと得られない人間性があります。

 私は高所が苦手です。危ない車よりも安全な飛行機を嫌う、理屈抜きの高所恐怖症です。飛行機が揺れるとすぐこのまま落下するのではと心配してしまいます。

 自分で会社を創業して5年たった頃、出張のため乗っていた飛行機が強風に遭いました。もともと飛行機の揺れを嫌う私ですが、経験したことのない激しい揺れに動揺し、遺書を準備しようかと思いました。

 周りの人は誰もそんなことをしていないのをみて我慢しましたが、急にある思いがこみ上げてきました。「遅刻した社員にあんなにきつく言わなければ良かった」とか「彼女と喧嘩したときに自分はもっと寛容になるべきだった」とか、とにかく自分の思いやりの欠如を後悔しました。そしてひそかに自分に言い聞かせました。「無事に降りられたら、身の回りの人々にもっと優しくする」と。

 もちろん、飛行機は乱気流を通過し、またいつもの静かな機内に戻りましたが、私はその時なぜ自分があんな反省したかについて自問しました。私は生き延びるという交換条件と引き換えに反省した訳ではありませんでした。ただ恐怖に直面したとき、自分は自然にやさしくなれたのです。

 よく死の危機を経験した人は、その後人生観が変わると聞きますが、なんとなく分かります。われわれ人間は思うほど理性的ではないのです。あれこれの理屈は、教わっても心には響いていないケースがほとんどです。本当に心に響く瞬間とは、意外と恐怖を感じた時です。

 特定の組織や個人が他人を恐怖に陥れることによって他人を服従させようとする行為は恐怖政治とテロといい、許されませんが、人生経験としての病気、事故、災害による恐怖経験は決して無駄にならないと思います。

 また、恐怖はいろいろな次元があります。取引の損失も恐怖ですし、長い間目指した昇進が絶たれたことも恐怖です。合格の可否を知らせる封筒を開けるのも恐怖のはずです。恐怖はその取り組みの真剣さとも比例するものです。真剣ではない人にとっては、その分恐怖も少ないはずです。

 望んでいる訳ではないのですが、どんな恐怖も人間の心を広げてくれる効果があります。「失敗を恐れるな」という説教がありますが、これほど無責任な説教はないと思います。失敗は恐れるべきです。失敗は恐怖です。われわれがその恐怖を通じてこそ知恵を学び、謙虚、且つ強靭な心を得るのです。

 失敗を恐れないのではなく、失敗を恐れながらその恐れに耐えるのです。
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 Written by Tatsuro Satoh on 10th Jun., 2008 

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