1月28日日曜日、第15回FNSドキュメンタリー大賞を受賞した「われに短歌ありき」が放送されているのを見た。
ドキュメンタリーの内容は、「歌人窪田空穂と毎日歌壇を通じて応募してくる東京拘置所に収監されている死刑囚との間に『短歌を通じた人間関係』ができ . . . 本文を読む
江崎玲於奈氏が、当時の小渕首相から「教育改革国民会議」の座長を指名されたときのくだりについて、今日の日本経済新聞の「私の履歴書」で触れている。
その内容は、「日本のような先進国ではIT(情報技術)の発展により、第二次産業から多様化した第三次産業に移っており、…(中略)… . . . 本文を読む
昨夜11時頃(現地ローカルタイム午後3時頃)、オスロにいる長女から電話があり、家内と次女が対応していた。
元気にしているようで、安堵している。
オスロも、モスクワ等と同じで、暖冬で暖かかったようであるが、今は寒波に見舞われ、戸外温度はマイナス15度程度とのことで、氷結して解けない雪 . . . 本文を読む
日経ネット関西版を見ていたら、2007年1月22日にキャンパス情報として、「町屋で談論、研究に磨き -京大『知の山脈』を今に」が取り上げられていた。
母校の取り組み等の情報に接すると、何とはなしに目を奪われ、気になるものである。 . . . 本文を読む
パロマの、「ガス湯沸かし器」による一連の人命を奪う事故は、過去20年以上に渡り、28人が犠牲になり、21人が命を奪われているとのこと。
昨日テレビのニュースを見ていたところ、聞き間違いがなければ「時効が成立していないのは1件」とのこと。 . . . 本文を読む
江崎玲於奈氏は、日本における「エザキダイオード」という輝かしい研究成果が世界に認められ、アメリカに渡り、IBMの研究所でさらに研究を積み重ね、IBM研究所在職中の、1973年にノーベル賞を受賞した。
アメリカに渡った当時、「頭脳の海外流出」と新聞紙上をにぎわし、5年ほどして日本に帰国した際、「いつ日本に戻るのか」と記者から質問を受けたとのこと。 . . . 本文を読む
江崎玲於奈氏が日本経済新聞の最終面、1月26日付「私の履歴書」の欄で、「組織化された混沌」という言葉を取り上げている。
江崎氏は、「素晴らしい発明、発見が生まれるのはどのような研究環境か?」との問いに対して、この「組織化された混沌」という答えを出している。 . . . 本文を読む
私も、アルチュウではないが、酒・タバコと縁が切れない部類の人間である。家族からは、「タバコを止めなさい」と諭されており、また、現在の上司・同僚から、あるいは、医者からも「休肝日」を設定し、肝臓を休めるべきであると忠告されている。
しかし、タバコはもちろんのこと、酒についても365日口にしている。 . . . 本文を読む
日経WAGA MAGAで、「ベンチャーウィスキーの快挙」と題して、「ウィスキーの本場、英国の権威ある専門誌『ウィスキーマガジン』が開いたジャパニーズモルト特集でベンチャーウィスキー(埼玉県秩父市)のシングルモルトウィスキー『イチローズ・モルト』シリーズが最高得点を獲得し」、「国際的評価も高まっている」とのニュースに接した。 . . . 本文を読む
関西テレビ(フジ系)の情報番組「発掘!あるある大辞典2」が、1月7日放送の「納豆のダイエット効果」を取り上げたが、実験データ捏造問題が発覚し、単独スポンサー花王が、1月22日に提供を降りることを表明したとのこと。
当然といえば当然の結果である。 . . . 本文を読む
宮崎県の「官製談合事件の出直し選挙」で、東国原(ひがしこくばる)英夫<そのまんま東>氏が当選したとのこと。
「『脱しがらみ』に軍配」との新聞評はまさに当を得ているのかもしれない。
佐々木信夫中央大大学院教授も、「宮崎県はこれまで『保守王国』とされてきたが、 . . . 本文を読む
江崎玲於奈氏の「私の履歴書」、日本経済新聞最終面の1月19日の記事で、「文化」欄で、安居良基氏の「次はどの珍地名巡ろうか」の記事も爆笑物であった。
安居氏は、高校の地理のテストで、回答に困り無回答を避けるため「エロマンガ島」と回答したところ、 . . . 本文を読む
1958年6月、ブリュッセルでの国際会議で、江崎氏は成果を発表するチャンスを得たとのことである。
会議への出席に向け、江崎氏は、「ともかく、欧州まで30時間にも及ぶ飛行機旅行、欧米でのホテル生活、会議での講演や研究者たちの英語での交流と、どれをとっても私には初めてのものばかり。心は踊るが不安であった」と記している。 . . . 本文を読む
「阪神淡路大震災の記憶」を閉じるに当たり、今でも大切に保存している(PC保存であるが…)ひとつの寄稿文を紹介したい。
それは、1995年1月25日神戸新聞朝刊一面トップに掲載された、陳舜臣さんという台湾生まれで神戸東灘区(?)に在住の作家の「神戸よ」と題する寄稿文である。
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神戸よ
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我が愛する神戸のまちが、壊滅に瀕するのを、私は不幸にして三たび、この目で見た。 . . . 本文を読む
1995年1月23日、地震後の初出勤。
出社しても、それほど仕事に傾注できるわけではなく、周辺への挨拶、地震の話題でもちきりという状況。その際に、通勤は可能であるものの自宅に帰ると風呂が焚けないため、風呂道具持参でリュックサックで通勤し、退社時大阪市内の銭湯で一風呂浴びてから帰宅しているという話がそこかしこから聞こえてきた。
午後3時には、帰りの交通の便が気にかかるため、早々に退社させても . . . 本文を読む