いきなりお便の話で恐縮ですが 母の施設の職員より 便の色から ひょっと
下血しているのでは?と言われ 検査すると便潜血陽性の診断で 精密検査を
受けるようにと 先方の医師に持って行く 封書の手紙を預かっておりました。
母はここ1年の間 体重が5-6㌔減少しましたが 顔色も良く食欲もありますので
90歳が近づくと 見かけも枯れるねと判断し そう気にせずにおりました。
下血がもし大腸ガンであっても 先月90になった母に 手術は到底無理と考え
痛みを取る処置をしてもらいつつ 寿命を待とうと 妹と方向を決めました。
大腸検査は大量の水を飲み 部分麻酔した後 肛門からカメラを入れるやり方で
この検査にも 90歳の体は耐えられない という判断もありました。
もしガンであれば最期は緩和病棟かもしれず 個人で いきなり頼んでも入院は
出来ずに どこかの病院経由で入院になると知り それと預かった封書の手紙を
そのままにも出来ず 総合病院の消化器内科へ 母を連れて行きました。
散々待ち お昼前にレントゲンを撮ってもらい お昼を食べてからまた来ますと
言うと 昼食は待ってくださいと先生に止められ 大腸にかなり大きいしこりが
見えるため 造影剤を入れてさらに詳しく撮ります とのことです。
その結果 小腸にこぶし大の固まりがあり それが大腸の中に食い込んだ状態で
幼児と年寄に多い 腸重積(ちょうじゅうせき)という病名を知りました。
このままで置くと食べ物を戻すようになり 次に激しい痛みを伴う腸閉塞に進み
そうなってから救急車で運ばれる老人は 助からない確率が高い 助かる方法は
手術でしこりを取り除くしかない との説明です。
朝食後 今日は何も食べてないようですので 今夜 一晩点滴をして明日手術を
しましょう 食事をするとまた腸が空になるまで 待たねばなりませんので
と先生の説明に一人では不安で 夫と妹を呼び もう一度先生の説明を受けました。
私たちの一番の心配事である 90歳の母が手術に耐えられるのか 全身麻酔した後
認知が増々ひどくならないのか 術後何日もベッドにいると もう歩けなくなるの
ではないか などのリスクを考えると 果てしなく心配事が出てきます。
長寿になり 老人施設入所の人の手術が増え 100歳近い人も手術するようになった
リスクはあるがこのまま放っておくより 助かる道は何倍にも開ける 手術中に死亡
する場合もあるし 術後亡くなる場合もある それでも 何もしないよりずっといい
と執刀医の説明に手術することにし 今夜一晩点滴を休みなくするので 娘さんが
付いてください 管を抜いたりしないよう見守ってくださいとのことで 私が付き
母のベット横で一晩過ごしました。
その夜 環境が違う中で母の頭はパニックになり 何度説明しても点滴の管を引っ張り
宙に幻影が見えるのかしきりと ご飯を炊いてお膳の用意をせにゃならんと言い どうも
50年近く前になる 母が40代の頃の農繁期の情景が 浮かんで見えているようです。
その時代の農村はまだ機械化が進んでおらず ほんんどを人力でやっており 田植えや
稲刈りの農繁期は 親戚に手伝ってもらい 次に親戚の家に手伝いに行く 結(ゆい)の
制度がありました。
朝早く起きご飯を炊き 昼食のおかずを作り田んぼへ出て働き お昼は皆帰ってきて
一斉に食べ また野良へ出るという 当時の農民は今思うと 命を削り米を作りました。
母は手伝い人に出す昼食を作っている最中で 聞くとメニューは くまびき(シイラ)入り
のきゅうり揉み タケノコの炊いたもの 煮魚とのこと 母ちゃん手伝うよと合わせると
ありがとう さあ出来た これでお昼を食べてもらえる とにっこりの母です。
結局この夜 母も娘も 一睡もせず夜が明け 手術日の7/6になりました。
夫と 勤めを休んだ妹が合流し 麻酔科の先生からも説明を受けて 数枚の同意書に判を
押した後 手術が始まりました。
最初の説明通り3時間半で手術は終わり その後執刀医から 切り取った臓器を見ながら
説明を受けました。
病理検査に回し まだ結果が出てないですが 今までの自分の経験からでは まず腫瘍と
思われ この部分ですと メスで切って見せてくれました。
この大きさなら 他へも転移があると思いますが 今回の腫瘍も多分 6-7年前から出来て
いたと思います 歳からいうと転移があっても 進行は遅いと思います との説明でした。
翌朝7/7 行くと経過がいいので一般病棟に移りますと言われ ICUからナース
ステーション前の 個室へ移動となりました。
あちこちに管を繋いであり それを引き抜いたり 傷口に手を持って行く恐れもあって
手にはミトンをはめられ それでも話もちゃんと出来て 痛くもないと母は言います。
朝から晩まで付いており 夕方帰ってきましたが 何度説明しても その都度ちゃんと
理解していても すぐに手のミトンを外しにかかり 3度外して その都度看護師さんを
呼びに走る私です。
前日の手術から まだ24時間経ってないのに 管をどっさり繋いだままで ベッドへ
座らせ 1日にまだ250㏄しか採れませんが お茶も飲ませます。
術後4日目から 看護師が付き歩行訓練もあるようで このまま寝たきりになるのでは
との懸念は払拭されました。
順調にいって2週間の入院と聞きましたが あくまでも普通の人を対象にした場合であり
90歳の母には 当てはまらないとは思いますが 遅ればせでも どうぞ順調に回復してと
そればかりを願っております。
全身麻酔での手術 環境の違う場所での毎日 それらを思うと 今 自分に出来ることは
毎日付いて話しかけ認知が進まないようにと 私に出来る唯一の治療だと思っております。
執刀医の先生が言うには 施設でいち早く下血が見つかり 早く処置出来たことが何より
幸いでした とのことで 母の施設には 深く感謝しております。