コロナウイルスが日本中に蔓延したことで、歴史や文学を遡って疫病関連記事を掘り起こす報道が増えてきました。
過去の歴史や文学を繙くことは、単に面白半分・興味本位ではなく、一つの有効な対処法だからです。
そこで天平7年(735年)に天然痘が大流行し、当時の日本の人口の約30パーセントが亡くなった事例が取り沙汰されました。
おそらく遣唐使あるいは遣新羅使が、唐や新羅からウイルスを大宰府に運んできたのでしょう。
これなど現在の国際空港と重なりますね。
なおこの折の流行は、三年後の738年1月にようやく終息しました。
ところで生前のドナルド・キーンさんは、『源氏物語』に戦争が描かれていないこと、それが世界的に見てどんなに特別なことかを力説しておられました。私は『源氏物語』に内裏の火災が描かれていないことを論じたことがあります。
『源氏物語』の時代に頻繁に内裏が炎上しているにもかかわらず、紫式部は火事に目をつぶっていたのです。
それは疫病も同様でした。『源氏物語』は疫病には一切触れていません。
『源氏物語』は疫病から遠いところにあったのです。
しかしそれは、『源氏物語』が虚構の文学だからというだけでは片づけられません。
文学にも疫病を描いた作品は少なくないからです。
たとえば『栄花物語』などには、しばしば疫病の流行が記述されています。
ここで当時の疫病の流行を紹介してみましょう。
正暦4年(993年) 疱瘡(天然痘)の流行
正暦5年(994年) 疾病の流行 京都で五位以上の六七人死亡
長徳元年(995年) 疾病の流行 納言以上八人、四位七人、五位五四人死亡
正暦5年(994年) 疾病の流行 京都で五位以上の六七人死亡
長徳元年(995年) 疾病の流行 納言以上八人、四位七人、五位五四人死亡
関白藤原道兼・左大臣源重信・大納言朝光
・大納言済 時 ・大納 藤原道頼・中 納言源保光・中納言
伊陟死去 (関白道隆は糖尿病?)
長徳4年(998年) 疱瘡(赤斑瘡)流行
長保2年(1000年) 疫病流行
長保3年(1001年) 疾病流行 為尊親王死去
長徳4年(998年) 疱瘡(赤斑瘡)流行
長保2年(1000年) 疫病流行
長保3年(1001年) 疾病流行 為尊親王死去
毎年のように疫病が流行していますね。
これは現在のコロナ禍と類似しており、第一波・第二波と繰り返したようです。
ということは、コロナは当分終息しないということを示唆していることになります。
この疫病も西(大宰府)で発生し、京都ではかなりの人が亡くなったとされています。
「納言以上八人」というのは大変な数です。その年の公卿は全部で十四人ですから、その半数近くが亡くなっています。
そしてこのお蔭で、藤原道長が浮上できたともいわれています。
『源氏物語』が執筆される直前に、これだけ大々的に疫病が流行しているのですから、紫式部が知らなかったはずはありません。
第一、紫式部の夫・藤原宣孝にしても、長保3年(1001年)に疫病に罹かかって亡くなったとされています。
『蜻蛉日記』の作者である道綱母もこの年に亡くなっているので、疫病死の可能性があります。
かつて『源氏物語』は、王朝時代の貴族の生活を知ることができる作品と考えられたことがあります。
はなはだしいものとして、『日本の歴史』の平安時代が『源氏物語』を基にして描かれていることがあげられます。
しかし平安中期の歴史資料が欠落しているといっても、その穴を『源氏物語』で埋めるというのは賛成できません。
何故ならば、『源氏物語』には日常の生活、いいかえれば当たり前のことはほとんど描かれていないからです。
『源氏物語』に書かれているのは、物語に必要なことに限られています。
むしろ当たり前でないことが書かれていると思った方がいいくらいです。
ですから、『源氏物語』を資料として平安時代の生活や文化を語るのは、逆に平安時代を見誤ることになりかねません。
『源氏物語』はそんな都合のいい作品ではないのです。
かろうじて『源氏物語』にも、疫病が暗示されているのではないかと思われる箇所があります。
たとえば桐壺巻で高麗の相人が登場するところに、
宮の内に召さむことは宇多帝の御誡いましめあれば、いみじう忍びてこの皇子を鴻臚館に遣はしたり。
とあります。
これは「寛平の御遺誡ごゆいかい」のこととされていますが、必ずしも天皇の威厳を保つためだけでなく、外国から齎もたらされる疫病を避けるための処置とも考えられます。
もう一つ、薄雲巻があげられます。
薄雲巻には太政大臣と藤壺そして式部卿宮という主要人物三人の死が描かれているからです。
それでも疫病とのかかわりは書かれていません。
ところが「世の中騒がし」という語が、キーワードとして三回も繰り返されていることに気付いた途端、状況が一変します(『源氏物語』には薄雲巻の三例だけです)。
というのも、「世の中騒がし」は疫病の流行の折に用いられる特殊表現だからです。
そのことは学研『全訳古語辞典』の「よのなか─さわがし」項に、『栄花物語』の例を引いて「悪性の伝染病が流行して、世の中が落ち着かない」と説明されていることからもわかります。
もしそうなら、ここに疫病に対する対策が施されていたことを読み取ることもできます。
以上のように、『源氏物語』に直接疫病は描かれていませんが、疫病の流行を暗示させる描写は確かにありました。
表層的に『源氏物語』は疫病を描かない平和な物語と読むのか、それとも深層にそれとわかるようにほのめかされていると読むのか、それこそが『源氏物語』の面白さなのです。
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