- 『陰翳礼讃』で有名な谷崎だが、『陰翳礼讃』執筆以前の関東大震災後は洋風建築の家に住み、その後自ら設計に関わった和洋中が混ざった新居「鎖瀾閣」を兵庫県武庫郡岡本梅ノ谷(現・神戸市東灘区岡本)に建て、古典回帰の『蓼喰ふ虫』もその家で執筆された[7][29]。そして武庫郡魚崎町横屋(現・神戸市東灘区)に転居後、『陰翳礼讃』は書かれた[7]。
- 日新電機株式会社(本社:京都市右京区)は、文豪・谷崎潤一郎のかつての邸宅「石村亭(せきそんてい)」を所有している。
- 2006年(平成18年)は、日新電機が石村亭を譲り受けて50年目の記念の年にあたった。
- 石村亭は谷崎が「潺湲亭(せんかんてい)」と名付けてこよなく愛した邸宅で、小説『夢の浮橋』の舞台でもある。
- 谷崎は日新電機に譲り渡すにあたり、今の姿をいつまでも保って欲しいとし、その思いを受けて「石村亭」と命名した。
- 外部リンクの節の谷崎潤一郎旧邸宅・石村亭プロジェクトを参照。
- 日本人作家で唯一フランス語のプレイヤード叢書に所収された。
- 英語版でも、『源氏物語』と『細雪』(The Makioka Sisters)が選ばれた「世界文学名作叢書」がある。
- 弟子だった今東光が書いたところによると幸田露伴の『運命』の表題を決めたのは谷崎である。
- 当初は『零』という表題だったが、改造社社長山本実彦が露伴の書き下ろした原稿を一読の為に持参すると、直ちに目を通し「素晴らしい作品であるが、この『零』という表題では何人も容易に会得することが出来ないであろうから、甚だ失礼ながらこの方がよいのではないか」と言い、これを『運命』と題した。
- バルザック全集を読破し、バルザックの作品は『ロスト・イリュージョン』(幻滅)を持って最高最大の傑作であると評していた。
- また、芥川龍之介にもバルザックを読むことを薦めたという[30]。
- 谷崎が少年時代からずっと書いていた日記があったが、彼の死後、遺族も知らない間に散逸してしまったという[31]。
- 随筆家の渡辺たをりは谷崎の3番目の妻・松子とその最初の夫・根津清太郎の孫だが、谷崎はたをりを実の孫のようにかわいがり[32]、たをりは後に『祖父 谷崎潤一郎』を上梓している。
- なお、たをりの夫は演劇評論家の高萩宏である。
- 谷崎は1958年度ノーベル文学賞の候補になったが、その時期に三島由紀夫らが財団に送った推薦状の内容が、朝日新聞社の情報公開請求により明らかにされた(朝日新聞、2009年9月23日付)。
- このとき谷崎を推薦したのは三島のほかにパール・バック、ドナルド・キーン、エドウィン・ライシャワーらで三島を含めて計5名おり、最終選考より一段階前の41人の中に含まれていた。
- ノーベル財団の資料は「ノーベル委員会はこの候補者に興味を持っていることは認めるが、今の時点では受け入れる準備ができていない」と結論づけている。
- 谷崎はこのあと1960年から亡くなる1965年まで毎年ノーベル文学賞候補になっており、そのうち1960年は最終候補の5人の中に入っていた。
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B4%8E%E6%BD%A4%E4%B8%80%E9%83%8E
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