プリツカー建築賞を受賞の建築家・槇文彦さん死去、95歳…代官山のヒルサイドテラス設計#2024/06/11 #読売
「建築界のノーベル賞」と呼ばれるプリツカー建築賞の受賞歴があり、東京・代官山のヒルサイドテラスなどを設計した世界的な建築家、文化功労者の槇文彦(まき・ふみひこ)さんが6日、老衰で死去した。95歳だった。
代官山ヒルサイドテラス〉などで知られる建築家の槇文彦が、6月6日に旅立った。 晩年は亀本ゲーリーにバトンタッチしながらも、遺作となった最新作〈鳥取県立美術館〉まで設計に参加。90歳になってもロンドンで講演会を行うなど、生涯現役の建築家だった。
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1928年東京生まれの東京育ち。
幼稚舎から学んだ慶應を学部の途中で中退し、東京大学工学部で建築を学ぶ。丹下健三に師事した後、アメリカに留学。
ハーバード大学デザイン大学院を卒業後、スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリルやセルト・ジャクソンの元で経験を積む。
また現地の大学で教鞭を取るなどして、理論と実戦の両面で国際的な教養を身につけた。
1960年には、東京で開催された「世界デザイン会議」を機に結成された〈メタボリズム〉に菊竹清訓、黒川紀章らと共に参加。高度成長期に提示された、可変性や増築性のある都市計画は、建築史に残るインパクトを与えた。
1965年には、槇総合計画事務所を設立する。
国内外に数ある作品を残している槇だが、建築がまち作りや生活の質を上げる重要な役割を果たすことを実感できる作品が、〈代官山ヒルサイドテラス〉だろう。
1968年から98年まで、30年をかけてじっくりと醸成された建築群は、長らく人々に愛され続けている。
国内外で大きく評価された槙は、1993年にプリツカー賞、1999年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞している。
晩年は「無償の愛」について、語っていたことも印象深い。
「マドリッドのオペラハウスの前の広場で、中で上演されているドミンゴが歌う様子をたくさんの人がスクリーンで観ていました。
タダでドミンゴが聴けるってすごいなと。
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オペラ界のレジェンド プラシド・ドミンゴ、古代ローマの円形闘技場で熱唱/映画『劇場版プラシド・ドミンゴ』予告編-1分ー
Placido Domingo- E lucevan le stelle-Tosca-2分ー
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そこから、文化とは無償の愛なのでは、という思いが浮かんだのです。
私たちは無償の愛を元に、行動を考えていくべきではないでしょうか」(2018年9月、ロンドン〈ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ〉での講演より)
戦争体験者で、激動の時代を生きた槇。
彼が残したこの言葉にはずっしりと重みがある。
建築作品とともに胸に刻みたい。知と愛に満ちた真の建築家だった。
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95歳<+2年=97歳>
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