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リスク,弧状列島19/7,日本が"真珠湾攻撃"を決断した本当の理由?

2019-07-18 18:51:08 | 連絡
〇北大陸リスク:陸軍担当ー>
<転換点として真っ先に思いつくのは1940年9月27日の日独伊三国同盟だろう。この点に関連して、敗戦の翌年、日米交渉に携わった岩畔豪雄(いわくろ・ひでお)陸軍大佐の重要な証言がある。岩畔の証言によれば、三国同盟の圧力があったからこそアメリカを交渉の場へ引き出すことができた(井上寿一『戦争調査会』講談社現代新書、2017年)。
 ところが軌道に乗り始めたかに見えた日米交渉は、6月22日の独ソ戦の開始によって、暗礁に乗り上げる。
 独ソ戦の勃発によって、ソ連とも戦争をすることになったドイツは手いっぱいになる。そのドイツと同盟関係を結んでいる日本の外交ポジションは低下する。対するアメリカの外交ポジジョンは強化される。アメリカは強気の姿勢に転じる。交渉の成立には日本側からの思い切った大幅な譲歩が必要になった。満州利権の東大陸の分割交渉か?
 独ソ戦の影響は日米交渉にとどまらなかった。ソ連はドイツを相手に戦うことによって弱体化する。そのように見通す陸軍にとって独ソ戦は好機到来だった。陸軍の仮想敵国は伝統的にロシア・ソ連だったからである。陸軍は7月2日に関東軍特別演習(関特演)を実施する。関特演は対ソ作戦の準備行動だった。>
〇東大陸リスク:海軍担当ー>
<近衛(文麿)内閣は関特演の決定に先立って、6月25日に南部仏印進駐を決定している。南部仏印進駐に対してアメリカは態度を硬化させる。アメリカの対抗措置は在米資産の凍結だった。この対抗措置は事実上の対日全面禁輸につながった(森山優「日米交渉から開戦へ」『昭和史講義:最新研究で見る戦争への道』ちくま新書、2015年)。>
 <南部仏印進駐がアメリカやイギリスを挑発することは、同時代においても認識されていたと推測できる。南部仏印から日本軍機がフィリピンやシンガポールを直接攻撃できるようになるからである(井上寿一『戦争調査会』)。
海軍は北進論を抑制する目的で南部仏印進駐を進める。南部仏印進駐は、アメリカによる対日経済制裁の段階的な実施を見越した「予防的措置」だった。仏印の重要軍需資源を確保すれば、経済制裁に対抗できるからである。>
〇縦割り軍事行政ー>
 <こうして北進論と南進論は相打ちになる。国策の調整と統合は近衛内閣から東条(英機)内閣に持ち越される。>
〇後継内閣への問題ー責任ー先送りか?ー>
 <東条内閣は11月1日に和戦両論併記の決定を下す。12月1日午前零時までに外交交渉がまとまらなければ、武力発動となる。>

〇東大陸政府加害者、弧状列島政府被害者論理か?ー>
 <アメリカ側の回答はハル・ノート(編註:アジアの状態を満州事変前に戻せという米国国務長官ハルの通告)だった。>
=>海路国英米政府支援協力下の日ロ戦争勝利作戦行動に学ぶ。(注1)。ー>満州権益配分妥協=>自由民主主義大統領制東大陸政府との共存、共産党一党独裁北大陸政府一極集中対峙、勝利か?

〇縦割り軍事行政ー>,5w1H 「なに? (What) 」さん、「なぜ? (Why) 」さん、「いつ? (When) 」さん、「どこ? (Where) 」さん、「どんなふうに? (How) 」さん、それから「だれ? (Who) 」さんと言うんだよ。」における「いつ? (When) 」さんに固執例
<海軍は開戦以外に選択の余地がなかった。陸軍も「万一の僥倖」に賭けた。12月1日午前零時までに外交交渉は戦争を回避できなかった。こうして真珠湾攻撃が始まった。>

出典:7/18(木) 9:15配信     
井上 寿一(いのうえ・としかず)
学習院大学 学長
1956年東京都生まれ。一橋大学社会学部卒業。同大学院を経て学習院大学法学部教授、2005年に同大学法学部長。2014年から現職。法学博士。吉田茂賞、第12回正論新風賞などを受賞。著書に『機密費外交 なぜ日中戦争は避けられなかったのか』『戦争調査会 幻の政府文書を読み解く』(共に講談社現代新書)など。 

社会的活動[編集]
  • 2009年(平成21年) 読売新聞読書委員会委員
  • 2010年(平成22年) 財団法人日本国際政治学会評議員
  • 2012年(平成24年) 公益財団法人大学基準協会評議員[4]
  • 2014年(平成26年) 内閣府公文書管理委員会委員、国家安全保障局顧問[5]

◇「アジア太平洋戦争で米側犠牲者40万人」は誤り 朝日が訂正
静岡県立大学の西恭之・特任助教(安全保障論)が米陸軍や米海軍のホームページで調べたところ、第2次世界大戦での米国の犠牲者数は約41万1000人で、うち半数超の21万1900人以上が対独伊戦での犠牲者だった。西氏の推計では、対日戦における米国の犠牲者数は13万3000人以上で、約16万人とみられるという。西氏が国際変動研究所のメールマガジン4月23日発行号で指摘した。
日本側の犠牲者数については、政府が「支那事変以降の戦争による死没者(軍人・軍属及び準軍属のほか、外地において非命にたおれた者、内地における戦災死没者等をも含む者とする)」は約310万人とする公式見解を示している。(注2)。(注3)。(注4)。
「なぜ? (Why) 」さん:
<1.腹が減っては戦不可!>
食料補給路分割損:北大陸や南太平洋海路への配分30%以下
<2.燃料無しの車、船、飛行機は金属箱>
エネルギー燃料補給路分割損:北大陸や南太平洋海路への配分30%以下
<3.レーダ・・・技術の無知、無理解、無関心、無視は、人的物的損失巨大、兵力激減、敗北>
3.1敗色濃厚となった1945年(昭和20年)には衆議院予算委員会で質問に応え、「技術当局は『必死でない必中兵器』を生み出す責任があるが、その完成を待たずに『必死必中』の特攻隊の出動を必要とする戦局となり慙愧に耐えない」との大意の答弁を行っている。これを聞いて委員会出席者中には涙する者もあったとの当時の報道がある。精神主義、特攻隊賛美ばかりが横溢する戦時下にあって、科学技術者としての勇気を示した発言として名高い[4]。
3.2日米開戦の当初は開戦に賛成したが、開戦後に日本の生産力はアメリカ合衆国に遠く及ばない現実を知り[6]それを各方面へ報告したことから、勅任官であるが二等兵として召集されて1944年(昭和19年)に南方戦線へ送られた[7][8][9]。マニラでは南方軍総司令官寺内寿一元帥の配慮[10]により、軍政顧問として勤務して無事に復員し、のちに技術院参議官として終戦を迎える。 戦後は逓信院総裁に就任するが、1946年(昭和21年)4月に辞任して9月に公職追放となる。

(注1)SakuraSoTV          
2015/08/28 に公開【日本海海戦110周年】井上和彦の「三笠」艦内レポート[桜H27/8/27]
東郷平八郎海軍大将率いる連合艦隊が我が国の命運をかけて臨み、見事、ロシアのバルチック艦隊を対馬沖で撃破して、日露戦争をポーツマス講和へと導いた日本海海戦から110年目を迎えた海軍記念日に行われた「日本海海戦110周年記念行事」。その会場となった、当時旗艦をつとめた戦艦「三笠」の甲板や艦橋、艦内の展示室など、当時の様子がうかがえるあらゆる見どころを井上和彦がめぐり、解説とともにお伝えする取材レポートをお送りします! 

(注2)「里の秋」に隠された歌詞 西田昌司
2012年11月15日 | 政治

(注2.1)shindoyoshitaka          
2015/03/24 に公開
硫黄島戦没者追悼歌「里の秋」 平成27年3月21日 硫黄島 「戦没者追悼顕彰式」 於 天山慰霊碑 
唄 松永美智子1等陸士
 演奏
 陸上自衛隊中央音楽隊 
追悼歌の最後「里の秋」は、遠くの戦地にいる父親を思い、無事の帰りを願う母子の情景を描いた歌です。
 この歌は私の亡くなった母が大好きで、子どもの頃によく聞かされておりました。 父親の無事を願いながらも、叶うことがなかった娘である私の母はどんな気持ちで歌っていたのか、と思うとたまらなくなりました。 硫黄島は70年間、時間の止まった島なのです。 この島に眠る英霊の御霊に哀悼の誠を
【動画】新藤義孝「硫黄島・英霊への鎮魂歌『里の秋』」
(注3)
逸郎の部屋
2017/08/13 に公開
シベリア・エレジー 伊藤久男
(注4)
笑えば天国
2016/06/29 に公開
【検証歌謡曲】異国の丘
長島貞治1 年前
シベリア抑留は明確な国際法違反!





 






自助弧状列島19/7,に障害、健常者の全国大会で優勝田川市の二橋さん

2019-07-18 18:29:05 | 連絡
島根県で6、7日にあった第14回全日本小学生中学生アーチェリー選手権大会で、田川市の二橋真音衣(まとい)さん(11)=小中一貫校猪位金学園6年=が、小学生女子18メートルの部で優勝した。真音衣さんは脳性まひのため右半身に障害があるが、健常者と同じ大会に出場を続けており「うれしかった。また優勝したい」と笑顔で話した。 


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共助,弧状列島19/7,中学生トリオお手柄下校中に77歳救助「当然のこと」

2019-07-18 18:23:39 | 連絡
薩摩川内市中央消防署は17日、熱中症で倒れた高齢男性を救助したとして、市立川内南中学校3年の男子生徒3人に表彰状を贈った。昨秋に受講した救命講習会で学んだことや自ら倒れた時の経験をいかして、体温を下げるなど的確な応急措置を施した。

リスク,西大陸19/7,横浜港でヒアリ千匹19年度は3例目

2019-07-18 18:21:31 | 連絡
コンテナは中国・アモイで貨物船に積まれて8日に出港、東京港を経由して12日に横浜港・本牧ふ頭で陸揚げされ、16日に山下ふ頭に運ばれた。事業者が16日に荷下ろしをした際にヒアリを発見し、横浜市に通報した。