嫌われ野良の不機嫌な日々

どうもついてない・・どうもなめられがち、
おまけに貧乏と・・良い事なしの毎日を愚痴る

席を譲るのは難しい

2012-09-20 13:31:49 | 嫌われ野良の悲しい思い出
今朝「電車の席の譲り合いは単純そうで難しい」というニュースを見た

確かに

嫌われてるうえに何かとついてない私の事

当然 この件に関しても嫌な思い出がある

極度の人見知りの私だけど

それ以上に道徳心が強い?ので

学生のころから 率先して席を譲っていた

もちろんたいていの人は 「ありがとう」と言って

こちらの好意に応じてくれる

特に妊婦さんなどは 大事なお子さんを身ごもり優しい気持ちもいっぱいに溢れてるのだろう

必ず笑顔で 応えてくれたものだ

ただ始末が悪いのは お年寄り

元気そうだと 明かにお年寄りでも席を譲りにくいが

ある時ステッキをついた おじいちゃんがよたよたと満員電車に乗ってきた

私は「どうぞ」と笑顔で席を立った

その瞬間

「わしを年寄り扱いして!わしは席を譲ってもらうほどの年じゃない!!」と大激怒

私はあまりの事に心臓バクバク 顔真っ赤

周りの人は気まずそうに目をそらす

私が譲った席は 空席のまま、

私はやむをえず次の駅で降りたのだが、、、それ以来お年寄りに席を譲るのが恐い

だから 軽く会釈し黙って席をたち移動することにしている

座るも座らぬもご自由にという事だ

ある時は 交通事故で骨折、やっとギブスがとれた頃

学校帰りのバスに乗っていた、、途中で小学生の子供とお母さんが

乗って来ると私の席の横に立ち

「若くて元気なくせに 小さい子がおるのに席も譲らん」とハッキリした声で嫌み連発

でも 私長い入院生活で足が弱ってるんです、しんどいんです」

しかも、他の席はいくつも空いてるんです

勘弁して下さい、、泣きそうでした


別の日は着物を着た 上品そうなご婦人が乗ってきた

年の頃は多分 五十代後半 (若い時だったから 今見たらもっと若いかも)

そのご婦人はステッキを持っていたのだが

そのステッキで私の足元をなんども小突き

「あーーしんどー」

コンコン「あーーああ、後ろの方はしんどうてよういかん」

(私は乗降口の一番近くに座っていた、バスの中はガラガラ状態)

私はしかたなく席移動

なんで私はこんな目に会うんでしょうか 

こんなついてない私なので

「ありがとう」と一言言ってもらっただけで

とても嬉しいのです

それに笑顔が加わると

なんかプレゼントしたくなるくらいです

弱者を脅威に感じることのないよう

譲られる側も もう少し優しい気持ちで受けてもらえると

お互いハッピーなのですが


帯状疱疹

2010-08-12 13:53:24 | 嫌われ野良の悲しい思い出
帯状疱疹といえば

病名を覚えてないのだが(ヘルペスという単語だけ記憶している)

おそらくそれであろうと思う症状になったことがある

まだ20代の頃で お正月を挟んでいたため

ひたすら家で耐え忍んでいた

広い範囲に水泡ができて

何しろピリピリと焼けるように痛みがはしり

痛くて下着をつけることもできなかった

ベッドの四隅に椅子を置き布団や毛布をかけて

テント状の中でうずくまっていた

聞けば半身にしかできないらしいが

記憶ではお腹から背中全面だったように思うけど

痛くて記憶ちがいしてるのかもね

(ところで いつ病院へ行ったのかも記憶してないけど)


さて

日ごろ元気なお姑さんも


現在帯状疱疹では

さすがにしんどそうで 食欲もないみたいだし

早くよくなるといいけど


*帯状疱疹・・・帯状疱疹(たいじょうほうしん、Herpes zoster, Zoster)とは、
水痘・帯状疱疹ウイルス( Variccela-zoster virus) によって引き起こされる
ウイルス感染症の一種。

そして先生は

2010-05-02 12:57:37 | 嫌われ野良の悲しい思い出
子供が小学生の時

役員仲間のお母さんから

「今度 元S小学校の先生をしておられた方の お話会があるのよ

 とても立派な先生でいいお話らしいの、野良さんも来ない?」と

誘っていただいた

「そうねぇ いってみよっか、何て先生なの?」

「○○△△子先生っておっしゃるのよ」

  !!!

忘れもしない名前だった

字を見てはないが 例の先生と同じ名前

ぞっとした

「ごめん やめる その先生がいい先生とは思えないから」

実際に行くと 同姓同名の別人だったかもしれないが

もし

あの先生なら

立派な先生という 事になって

皆に教育や子育てを教えているわけだ


たしかに

当時 校長先生らが ○○先生は教育熱心だから

多少いきすぎることがある と母に説明したらしいが


私は 違うと思う!!

           たぶん誰の記憶にも残って無いだろう野良の一年

因縁

2010-05-02 12:42:05 | 嫌われ野良の悲しい思い出
先生に嫌われた小学5年生

転校してその先生や 学校ともおさらば

ところが

十数年後

結婚してみると

旦那の家がその小学校の校区だったんだ

しかも

私は

小学校の横の土手沿いをまっすぐ15.6分

土手を下りて

駅の方へまっすぐ4,5分の道を登下校

その途中に

なんと今住んでる家があった

毎日この家の前を暗い気持ちで通っていたんだ

なんちゅう 因縁

私の不幸エリアに舞い戻ったことになる

・・・・・・

だから・・・かぁ


            我が身の不運を予感した話




不可解

2010-04-29 15:32:56 | 嫌われ野良の悲しい思い出
いじめられた一年間

きっと母もつらかっただろう

たまりかねて教育委員会へ訴えていったこともあるらしい

もちろんクラスを変わるかみたいな話は

されたのかもしれないが

泣いてたまるか!!だった


ただ

不思議なのは

その時の通知表を見てみると

思いのほかいい成績をくれていたし

先生の評価欄には

いいことばかりしか書いてないのだ

〈まじめで責任感が強く、何事にも一生懸命取りくみます〉 とか

〈誰にも女の子らしい優しい態度で接することができます〉 とか

〈道徳心が強く とても素直です〉 とか

今手元に通知表がないので うろ覚えだけど

いじめの事実を消すための工作ではないかと疑ってしまう

            小学5年生 通知表の謎





こういうことがありました

2010-04-29 15:00:52 | 嫌われ野良の悲しい思い出
先生に嫌われた一年間

たとえば

*答案用紙を返す時 私だけ点数を読み上げられ
 二階の教室の窓から投げられたことがある
 

*日直で小黒板に その日の献立を書いた時
 字が汚いから 外で書き直せといわれ
 給食を食べることができなかった
 (私の唯一の栄養源だったのにね)

*家庭科でそろばん袋か裁縫箱袋(時代がわかるなぁ)
 を縫ったとき
 
 よくできた作品の横に 私の作品が
 教室の後ろに貼り出された

 そこには〈これは悪い例です〉と書かれてあった  
  
 たしかに不器用だけど

*飛び込み前転が一度めで失敗した時
 みんなは何度でもできるまで順番が回るのに
 私は飛ばせてもらえない
 体育の時間が終わると
 「マットを持って 渡り廊下の所で 一人で練習しなさい
  できるまで帰らないように」
 生徒たちの冷たい視線を浴びながら飛び続けた休み時間

*父親の名を聞かれ 「ユキオです」と答えたら
 「普通 サチオと読むだろ」と出席簿でたたかれた

*転校が決まったことを 伝えると
 「あんたみたいな ボロは ボロ学校に行けばいい!」
 
 あーーあ 怒るぞ ボロ学校の人たちが 

 

 そうそう中年の女の先生でした


              若干記憶も薄らいできた大昔のお話

クラスメートにも嫌われる

2010-04-29 14:47:43 | 嫌われ野良の悲しい思い出
先生にいじめられた小学校5年生の1年間

ほとんど友達がいなかった

2,3人以外

クラスメートの名前も顔もほとんど思い出せない

私が先生にことのほか

嫌われてることは 周知の事実

私に関わるととばっちりをうける

実際 最初のころとばっちりを受けた女の子がいた

だから 学校内では私は ほぼ一人だった

いや

たぶん 誰かは少しは

話もしてくれたのかもしれないが

悲しいかな記憶にない

遠足の日も悲惨だった

学校から並んで出発

少し遅れて 私は一人後を付いて行く

お弁当も一人で食べて

・・・・・・

ここまで書いて

思い出して涙が出てきた・・・


帰りの時間になると

先生が当然点呼をとる  が

私を 無視して出発

私はまた 後から一人付いて行く

ずっと 一人で小さな声で歌を歌いながら

            

       何十年も前の遠足のお話


先生に嫌われる

2010-04-29 14:30:14 | 嫌われ野良の悲しい思い出
相変わらず

いじめという言葉を度々耳にする

可哀想に・・・当人にしか分からない痛みと苦悩

私は嫌われ野良

当然いじめを経験した

ただ

ちょっと 変わってたのは

相手が担任だったこと

小学5年生

転入したその日から

いじめは始まった

何が気に入らなかったのか

私の家族もひっくるめて気にいらなかったみたいで

何度も何度も

意味も無く母親と二人 土曜の午後呼び出しを受けた

学校側でも気づいていたようで

ある土曜の午後学校へいくと

校長先生が飛び出してきて

「○○先生には言っておくから帰っていいですよ」

クラスを変えましょうかとも言ってくれたらしい

それは 私が断ったのか・・

結局クラスを変わることなく転校までの1年間

休まず登校した

絶対に学校では泣きもしなかった

どうよ この根性

わが身におこったいじめ

小学生でストレス

2010-04-08 14:45:33 | 嫌われ野良の悲しい思い出
団体生活が極端に苦手な私

小学校に入学するも

あまりのストレスに

ある日突然両足が立たなくなった

朝起きたら全く両足に力が入らない

やむをえず

毎日病院と学校へ父が自転車で連れて行ってくれた・・・たぶん

学校になれたせいか

3ヶ月くらいで足は元に戻ったけど

結局

原因はわからず

ただむやみに湿布を巻きつけていた記憶がある

あとで自分勝手に

あれはストレスだったのではないかと診断

ストレスに違いない

だって 大人になった今でも団体行動が

ほんとに苦手なんだ

たぶん

性格に難あり・・・です

死相が?!

2009-11-19 13:04:48 | 嫌われ野良の悲しい思い出
これもだいぶ昔の話ではあるが

商店街を歩いていると

路上で店開きしてる

一人の易者さんが ササッと駆け寄ってきた

?!なに? と 後ずさりする私に

「あんたは 死相が見えてる、見てあげるから座りなさい」

(え~~?!)

「いえ いいです 急いでますから」

一緒にいた 友達も

「よりによって 死相はないよね。」

「そうそう 元気そうだから気にしない方がいいよ」と

慰めてくれた

でも イイ気分じゃないよね

それが

その日から

そこを通るたびに 易者さんが 遠くからでも

大勢の人波を泳いできて

「あんたは死相が・・・」と繰り返す

毎回毎回繰り返す



気にすまい 気にすまい でも・・・

ちょっとでも気分を変えようと

初めての美容室で カットした

すると

あら 不思議

易者さんが こっちを見たけど

駆け寄ってこない

えーーー

髪をちょっとカットしただけで

死相がきえたの?

髪の先ぽに災いがぶらさがってたの?

つうか

死相ってなんだったんだよぉ


またまた「100円」事件

2009-11-19 12:51:45 | 嫌われ野良の悲しい思い出
路上生活者の人から「100円くれ」と言われ

怖くなってやっと 逃げ切った

数日後

今度はバスをおりて 家へ向かうわずか3分くらいの間に

 新たな100円事件

小雨降る中 赤い傘をさし 赤い長靴をはいた

おばーさんが

するすると近づいてきて

「お姉ちゃん バスに乗って家に帰りたいけど バス代足りんのよ

 100円貸して」

ちょっと怪しいけど

おばーさん だからと100円あげた

・・・・・

数日たった時

おばーさんが近づき

同じことを言って100円ねだった

どうも この手の人たちにとって100円という金額は

誰でもすぐ出してくれるちょうどいい額らしい

「おばーさん この間もバス代を貸してあげたよ」

というと おばーさんは何やら

捨て台詞をのこし 去って行った

それにしても

なんで私にばっかり近づいてくるのよ

路上生活者の人に

2009-11-15 13:29:11 | 嫌われ野良の悲しい思い出
かなり昔の話

街中で働いていた私は 帰り道よく同じ路上生活者の人を見かけた

おなかもすいているだろう

真冬に肌着の上に ペラペラのコートを着てるだけ

気の毒にと思いながら 数日たったある日

ある 路上生活者の人が声をかけてきた

「100円もらえんか?温もるお茶を飲みたい」

気の毒にと思っていた私は思わず

100円をあげた

次の日も100円をねだられた

次の日は

人ごみで駆け寄ってきて

「今日の分の100円」とねだる

中途半端な親切心をだしたばっかりに

その人に 100円をあてにさせることになったようだ

そんな事が一週間くらい続き

「私も毎日お金を上げることはできません」と断った

その人は一瞬困惑したような 怒ったような顔をした

怖かった私は その日から 帰り道を変え

避けるようにしてバス停へ。

しばらくたって

もう大丈夫と安心した頃バスに乗っていると

外に例の路上生活者の人が

そして

!!目が合った

彼は急いでバスに乗り込んできて

私の横に座り

「100円」

もはや恐怖

ダッシュでバスを降りた私だった。




似た者同士

2009-08-27 17:32:54 | 嫌われ野良の悲しい思い出
実家で私は嫌われてるわけではないけど

ちょっと 軽く扱われると感じる

旦那に言わせると

被害妄想らしいけど

「お前んちはお姉さんばかりいい思いをしてるなぁ」というじゃんか


でも

旦那の場合は確実に 舅も姑も義弟ばかり大事にする(していた)

「よくあの扱いで 不良にもならず 大人になって偉いね」と心から言うほど

兄弟の接し方、扱いに格段の違いがある

新婚のころ ばあちゃん(旦那の祖母)やおじさんおばさんたち

会う人会う人

「ここの両親はKちゃん(旦那)よりhちゃん(義弟)の方が

可愛いいんやけん、覚悟しとかんとたまげるよ」と言っていた

    まさかぁーーーねぇ

わが子に可愛い順番があるなんて

   あるもんだ

義弟でさえ

「親父もお袋も兄貴に冷たいから、他所からもろてきたんやと思ってた」

というくらいだった

それも舅が亡くなり 昔ほど露骨ではなくなったけど

忘れないよ私は。

そして

普通だと思っていた私が

あら?私って 親にあまり可愛がられてないの?と思うことが

増えてきた・・・

今まで知らなかったことを知って

私は家族の輪から放り出されてたみたい

父が亡くなり 新事実がわっさわっさ


旦那といい野良といい

散々だ

この負オーラをもった二人の子供って

恐ろしく 可哀そうなんじゃない?


子どもたちに幸あれ!!







親友の結婚式

2009-08-06 12:26:15 | 嫌われ野良の悲しい思い出
自己紹介で書いてるとうり
その昔
私は親友Kさんの結婚式に呼ばれなかった
親友Kが結婚したということを
それほど 親しくなかった友人から聞かされた

!? WHY?

小学6年からの付き合いで

「一生親友でいようね」 といってたよね
「何があっても一番に伝えるからね」とも言ってたね
「女どうしの友情は続かないっていうけど、私は一生 野良さんが親友よ」
なんて 聞いても無いことをガンガンアピールしてたよね
別の友人と遊んでると 
「親友の私がいるのに」と拗ねたよね
中学時代夏休みには毎日 うちへ来てたよね
それも ごはんだけタッパーに入れてきて
毎日私がおかず作ったよね
ほとんど 卵焼きだけど

周りのだれもが認める親友同士だったよね・・・

なのに結婚どころか
彼氏ができてたことも知らされず

周りの友達は

「うそぉ~~?なんで野良さん 知らなかったの?」と驚いてたけど

でも
一番驚いたのは私ですよ

数年後
彼女に結婚式に呼ばれなかったわけを聞いたら

「同姓同名の友達がいたから、まぎらわしいでしょ
だから野良さん呼ぶのやめたのよ」

「・・・・・そうですか」

私の扱いってすごい なめられてるよね

ただ17の時バイクにはねられて骨折して
4か月間入院したときに
毎週かかさずお見舞いに来てくれたことは
今も感謝してますよ
あの時は
親友っていいなぁと 心から思いましたもん

それなのにまさかねぇ
          

    親友を失くした思い出


hana