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オリンピック!

2016-08-19 | GLASSの日記 "I'll Follow The Sun"




この4年間の願いが、報いられましたね。

おめでとうございます。
そして、お疲れ様でした。

もらい泣きして、しまいました。
井上康生監督は、我が宮崎のヒーローです。


オリンピックでは、僕らは今大会もまた、選手の無垢な涙に便乗させてもらって、気持ちよく泣かせてもらってます。

年齢を重ねるごとに、その涙する回数も、涙の量も、ドンドン増えてきます。

生きてる時間だけ、いろんな出来事や、いろんな場面や、多くの偶然と、遭遇してしまうからです。

とりわけ、見たい競技があるわけでもなく、応援している選手もいない。

なのに、何気に見てしまうと、種目がなんであろうと、ルールに詳しくなくても、いつの間にか、日本代表選手を、日本人として、無我夢中で、応援してしてしまっている、自分がいます。

それはきっと、選手もまた、同じだと思います。

選手は、自分がオリンピックと言う、国の代表を背負うから、他の大会よりも、やる気が全く違うようです。

選手の、その必死さが伝わってきます。

やるからにゃ、何が何でも、日本に、勝って欲しい。
絶対、日本には、負けて欲しくない。
気がつくと、日本を、無我夢中で応援しています。

選手=日本なのです。

日本人としての、アイデンティティが蘇る瞬間です。

しかし、試合が終わると、結果がどうあろうと、選手個人に意識は向かいます。

よくやった‼︎

お疲れ様、ゆっくり休んで、また、次に向かって頑張りましょう‼︎

そう、日本代表選手を、心から讃えたい気持ちになります。

それは、勝って嬉しくて…、負けて悔しくて…。

それを素直に表して、無防備に涙する、無垢な選手の姿に、心打たれるからです。

その涙に嘘がないことが、伝わってくるからです。

選手は、ここで初めて、涙することを許されるのです。

つらい練習を必死で耐え、ライバル争いを必死で乗り越え、涙を汗と必死で誤魔化しながら、孤独の中で、自分を励ましてきたのです。


アスリートとは、孤独との闘い、です。

人生そのものです。

無垢な涙に、僕等は、ある意味、羨ましさを、感じてもいるはずです。

なぜなら、僕等、一般人には、無垢な涙は、許されないからです。

毎日、生きてる限り、試合は続行しているからです。

試合中だから、気を張り続けねばなりません。

ある人は、世間と言う鎧に身を固め、ある人は、私は自由と言う鎧で固め、ある人は、自分を、私は不幸と言う鎖につなぎ、ある人は、自分に、私は幸せ、と言う
手錠をかけ、ある人は、私は自然体と言う、不自然な衣を自分に着せて…。

そして、今日も、ゲームは続きます。

試合後…
それが、人生にはありません。

だから、一般人は、試合後の、選手の無垢な涙が、羨ましくて仕方ないのです。

だから、その涙に、便乗してみるのです。

選手は、大粒の涙を、思いっきり流すことで、今日まで頑張ってきた自分は、自分が、誰より一番よく知っていて、"お前はよく頑張った"、そう自分を讃えているのです。

それは、選手が、試合後の存在を、知っているから、できることかもしれません。

人生において、人が無防備になれる、それはどんな時でしょう。

人生ゲームは、人生が終わるまで、続きます。

結局、ホントの自分も、無垢な自分も、自分には、とうとうわからないまま、人生は、終わるのかもしれません。

不条理と言うルールの中で…。


今宵も、ロックンロール‼︎