なんだか、毎年、月日の経過が早くなってる気がします。
そして、もう間もなく、僕の今年は、僕だけの過去として、僕の心の倉庫に終われます。
それが、何とも、宇宙的なファンタジーです。
それぞれが、同じ場所で、同じ時間を共有してるのに、それぞれ違う、過去になっていく。
こう言うのは、理科系の人だと、何とか現象とか、横文字を並べて、説明つくのでしょうが、僕は文科系なので、全て、ファンタジーと定義します。
(^ν^)
この街の、小さな僕の日常にも、365通りの情景があって、それなりの思い出はあるのでしょうが…、
覚えていたいと、願うほどの昨日なんて、今年も、残念ながら、ほとんど記憶にありません。
(^^;;
無駄な時と時間とが、交互に訪れては、僕と言う人間を、今年も無意味にしてきたような焦りばかりが先に立ちます。
刻々と、時計は、ただ過去を刻み続け、生涯もう二度と、出会うことのない、僕の過去、それだけが真実なのに…。
なのに、よく覚えているのが、また今年も、すぐに削除したい過去だけなのが、何とも、情けないことです。
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そして今年も、『ラブ・アクチュアリー』!
僕が生まれた頃には、Xmasは、すっかり日本に定着してました。
イブの夜に、家の軒下の物干し竿に、靴下を吊るしました。
翌朝早くに、枕元に、母親がプレゼントをそっと置くのを知りながら、ワクワクしたものです。
もちろん毎年のプレゼントは、自営業だったので、店にあるお菓子でした。
僕の子供の頃の、一番の幸せな思い出です。
だから、こんなイベントは、イデオロギーは別にして、子供のためには、大切なイベントだと思います。
子供にとって、Xmasが何の祭りなのかそれはどうでもよくて、クリスマスと言うファンタジックな、お祭りが、子供にとっては、何よりも大切なのです。
今では、Xmasは、もはやすっかり日本人の生活に溶け込んだ、12月の日本の風景です。
だからと言って、日本人がキリスト教に改宗したわけではなく、Xmasとは、今もなお、明治以来の、憧れる欧米の、華やかなる、舶来の象徴イベントとして、日本人に、定着しているだけのように見えます。
なぜなら、今も変わらず、12月24日が終わると、25日の夜から、店頭のXmasケーキは、売れ残りが半額となり、昨日までの余韻も忘れ、日本中が、淡々と、神仏の装いをし、黙々と、そのお祭りの飾り付けを始めるのでした。
これが、揺るぎない、日本人の本質であり、日本人の本音なのだと、僕は、いつも、思います。
その姿こそが、揺るぎない日本人の、神道と仏教への、忠誠心に近い信仰心の深さを、物語っている気がします。
諸外国から見ると、その異様さこそが、不思議であり、戦時中を知るアジア諸国からすると、日本人の不気味さ、なのでは、ないでしょうか。
日本人は、忠誠を誓うもの以外を、区別しながら、暮らしています。
その区別が上手さから、日本人は、一見何でもありと、寛容に受け入れているように、見えてしまのではないでしょうか。
実は、寛容ではありません、日本人は、とても頑固です。
頑固だから、表面上、他と上手くやるためには、譲り合いが必要となります。
そこで、日本人は、さらに区別を進化させて、生きることをするようになった、そんな、民族なのではないでしょうか。
区別が上手だから、どんな異文化をも、何の違和感もなく、表面上では、どんなことでも楽しめる、そんな民族なのではないでしょうか。
この数年の、日本人のハロウィンの受け入れ方など見てると、まさにそう思えてしまいます。
欧米のニュースでも、こんな日本人を、そんな扱いをしてる記事が、幾つもあったから、僕の見解も、まんがら外れてばかりでもない様子です。
(^^;;
特にハロウィンは、日本人の年代別の反応が、とても興味深くて、つい、いろんな記事や、コメントを拾い読みして、しまいます。
僕らの世代が、Rock ’N’ Rollだ、レゲェだ、パンクだ、言いながら育ったことと、何ら違いはないのでしょうが、恐らく、その確認なのでしょう。
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そして、今年も、『ラブ・アクチュアリー』
きっと君は来ない~♪
ひとりきりのクリスマスイブ~♪
さいでんなぁ~ ほうでんなぁ~♪
戦後からの日本人の舶来テイスト、その全てが、この曲に集約されています。
戦後の日本を代表する、最も優れた、完成度の高い、ジャパニーズポップスの名曲だと思います。
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忌野清志郎さんがそうであるように、山下達郎さんもまた、偉大なアーティストであり、そして、とてもインテリな人ですね。
戦後、自分達が、どう生きて来たのかを、その立ち位置が、ちゃんとわかっているアーティストです。
インテリはなんて言い方は、超陳腐でベタな言い方で、恥ずかしいのですが…(^^;;、僕の意味するインテリとは、優れた俯瞰能力のある人のことです。
そして、もうヒトリ、日本を代表する、インテリアーティストがいます。
数ヶ月前、細野晴臣のライブに行きました。
国会議事堂前には、連日多くの市民が集まり、大々的な、シュプレヒコールの最中でした。
ライブの冒頭、細野晴臣さんが、ボソッと言いました。
僕が生まれた頃に、戦争で、日本はアメリカに負けました。
そして、大きくなり、僕はブギウギを大好きになりました。
今夜はブギウギを演ります。
こんな、プロテストをできるアーティストが、今の日本に、はたして、他に何人いるでしょうか。
いや~やられたぁ~
技あり、1本‼︎
そうか、主張とは、こういうことなんだ。
細野さんは、そう気付かせてくれました。
今の細野晴臣は、高僧みたいな品格を感じます。
人間的にも、そうとう凄い人なんでしょうね。
僕の中で、長い間、胸焼けみたいに続いてた、モヤモヤが、この夜の細野晴臣の、その言葉で、全て一蹴されました。
この言葉を聞いただけでも、このライブに来た価値があると思いました。
細野さんの偉大さを再確認させられた夜でした。
僕らが、ロックンロールを絶叫する時に、必ずよぎるその一瞬の照れ臭さと、やっと折り合いがつきました。
長い呪縛から、やっと解放された思いです。
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あなたへ、『ラブ・アクチュアリー』!
あの大手Amazonが、坊主の出前を始めたそうで、何とも移りゆく時代を教えられたニュースでした。
お布施込みの、法事が3万5千円~、葬式が五万5千円~
世襲坊主にも苦難の時代が、とうとう訪れました。
檀家相手に、楽な商売してきた葬式仏教に、陰りが見えてきたようです。
これからは、坊主も選ばれる時代となり、営業活動が必要となったようです。
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今年も、毎日が修行でした。
誤解を招いたり、勘違いをされたり…
日常とは、忍耐や我慢を強いられることの方が多いこと、その総称のような気さえします。
それでも、今日を正しく生きる。
されど、今日を正直に生きる。
人生、その二つ!