イエス様のお祭りが終わり
、いよいよ、大晦日から元旦へと、今年のメインイベントのお祭りへと…
この国では、神の定義は、この世の、形ある全てのものに、宿るもの。
だから、キリストさんにも真剣にお願い後をして、お釈迦さんにも、天照さんにも、全く同等な尊い気持ちで、お願い事してるわけです。
イスラムやヒンズーの国を旅して、モスクや寺院へ行くと、オリエンタルなその雰囲気に、異文化なこともさほど気にならず、すぐに馴染むのも、恐らく僕が日本人だからだと思うのです。
その時も、どんな神様かわからなくても、とりあえず神と言うことで、礼儀を正すのです。
日本人は、神を文化にしています。
だから、日本人は、どんな神様も、大切するんです。
神様に上下をつけません。
なんと、素晴らしい文化でしょう。
自分を見ても、そう暮らし、そう生きてきたように思います。
日本人である以上、どんな生き方していても、ベーシックなsympathyは、みな同じだと思います。
これが、日本人の社会科学の基準なんだと思います。
1,000年後はわかりませんが、100年後の日本人も、、似たようなものだと思います。
…今日を正しく生きる。
つまみ深き過去を葬り(^^;;
今日から、今日だけを生きると決めた、あの日がありました。
あの日とは、もちろん、大震災の日です。
今年が終わると、すぐまた、今年がやってくる。
今日が終わりとすぐに、また今日がやってくるように…。
つまり、今と言う軸を繰り返しながら、ただ時は巡るのみ、なのです。
なのに、昨日を後悔したり、明日が憂鬱だったり、昨日を懐かしんだり、明日を夢見たり…。
人間は3Dで考えるから、ややこしいのです。
…
よそ見するのも、恐らく、人間だけでしょう。
よそ見さえ しなければ、人は誰もが、とってもいい奴ばかりなのに、どうしても、隣の芝が気になって、ついつい、よそ見をしてしまうから、人は嫌な奴になってしまう。
基本的な、平和の基準は、全てここに
始まりが、あると思います。
普通に暮らして、普通の日常やれる人生は、わずか70年余です。
それから先は、医療により、だいたいが人工的に、生かされてるだけです。
すると、俺は、もう後何年、普通に生きれるの⁇
(^^;;
それを考えながら、生きることが大切です。
そうすれば、目に映る全てが、感じる全てが、愛おしく思えるはずです。
…
自然災害で、犠牲となる人の数より、人間がやる戦争で、犠牲となる人の数の方が、桁違いに多いことを、根本的に、まず理解することです。
命のあり方、命の行方について、震災以降、よく考えるようになりました。
すると、バカみたいに浮世の義理に縛られて生きてる人間の様が、妙に浮き彫りに見えてきました。
浮き世の、否定でも肯定でもありませ
ん。
人間の様の、俯瞰でも、客観でもありません。
ただ容赦なく見えて、それが、人間なんだと、はたと気づいたわけです。
俺には全部は無理だから、これからは、自分が大切に思うことのみに情熱を注ぎ、どうでもいいことは、四捨五入していこう。
そういざ決めて、実行を始めると、今まで、浮世の義理に気をとられ、自分にとって、いかに大切な人や、大切なことを、無駄にしてきたのだろうと…。
自分のたった一度の人生について、大切なこと、書き出してみるのも、年末だからの、醍醐味かも…
…
街中にJohnの歌声とクリスマスソングが、交互に流れる日本のクリスマス。
ジョンレノンとクリスマスは、もはや、戦後日本の、師走の原風景となりました。
愛と平和とが、ロマンチックにmixされたものをクリスマスと定義した、我が国が世界に誇る慣習。
ならばどうか、この世界に誇る原風景を、もっともっと大声で…
僕ですら、今年の7月に、ジャーナリストの安田純平さんが、6月にシリアで拘束されたと、報道されても。。
政治家は、見ざる聞かざる言わざる…
大衆もまた、見ざる聞かざる言わざる‼︎
今回こそは、国がちゃんとやってくれるものとばかり思っていたら、安倍ちゃんったら、また、スルーしてたようです。
素人目にも、なんでなの安倍ちゃん⁇