ディズニープラスで「ギフテッド」を見ています。現在進行形。
ギフテッドといわれる生まれつきの超天才少女をめぐって繰り広げられる展開・・をドラマ映画にした作品。
監督はマーク・ウェブ氏。
内容は、実にアメリカ人らしい発想で、メアリーという数学の才能を持った少女の養育問題をテーマにしたヒューマンドラマです。
数学の才能は祖母から母、娘のメアリーに受け継がれている。メアリーの母はメアリーを生んだ後、自殺をする。その前にメアリーを弟に託しました。その際、メアリーの母はメアリーを普通の女の子として育ててほしいと願いました。
以来、メアリーはその叔父さんと二人暮らし、叔父さんは船を修理する仕事をしていて、暮らしは楽ではない。更にメアリーの母の遺言もあり、メアリーを普通の公立学校へ行かせます。そこへ裕福な祖母がやってきて、才能あるメアリーの教育はこうあるべきだーーー!!!っと。叔父と祖母のぶつかり合いは裁判へ、裁判官はメアリーを二人のどちらかへ・・ともすることが出来ず、全くの赤の他人へ預けなさいという、つまり里親へ預けよという判決を下しました。
裁判を起こしたのは祖母の方だけど、祖母も渋々飲むしかない結果になった。
そもそも祖母も叔父もメアリーのためになるにはどうしたらいいのか~つまり教育方針でぶつかり、結果、メアリーが一番悲しむ顛末になってしまいました。
祖母の考え方も叔父の考え方も両極端で、それをぶつけることで、可哀そうなことになる。悲劇が起こるという起承転結の転の部分をそういう話の展開にしたんでしょうけど、正直私は、アメリカ人ってバカだなぁ…という感想しかもてなかった。
そこで思い出したのが、白人の元々の貴族的文化についてです。
中世のイギリスでは貴族の奥様が出産の際、親戚知人が大勢集まり、分娩のベッドの周りを取り囲み、子どもが生まれる瞬間を見届けます。異様な光景ですが、子どもが本当に奥方から産まれた実子であることを証明するためだったらしいのです。
しかし、そこまでして大勢に見届けられ出産した実子は、すぐに母から引き離され、乳母の母乳で育てられます。ここまでの話でも白人社会の異様さを感じる。
生まれたての赤ちゃんというのは母親の“初乳”を飲ませることで、離乳食までの免疫を獲得することは現代では当たり前の知識です。そして古来より人間を含めた哺乳類たちは母親が自然にそれを行っていたのです・・・
ところが、白人社会の異様さ、狂気は、中世から始まっていたようです。
産まれたばかりの乳幼児は実母の初乳も飲むこともできず、乳母に委ねられていたわけです。
驚くべきはさらに続き。なんと、貴族の若い奥様はその後も実の子を乳母に預けっぱなしで、夜会だのアフタヌーンティーだのといった。享楽的怠惰な貴族生活に明け暮れ。また、セックスにふけり、次の子を身ごもり、出産するとまた別の乳母に預ける。預けっぱなしで自分で教育することもしなかったようなのです。
貴族の子息子女たちは、社交界や食事のマナーなんかは乳母に教わってたんでしょうかね。
これは私の考えですが、乳母が大きくなって自分の子を貴族の奥方の子だと偽ってお城へ返しても誰もわからなかったんじゃない?と、まぁただ・・ほくろの位置とか、痣とかそういうので判断してたかもね。中にはそれでまんまと貴族入りした庶民の子もいたかもね。と思うww
乳母というのは実にいいパート職だったことでしょう。
そういうことで、本来、子どもへの愛情が薄いような白人達なんだけど、アメリカでは離婚したあと子供の親権をめぐって争うという社会現象はよく聞く、ドラマや映画の中で必ずと言っていいほど語られているから、自分たちは子供への愛情が深いんだという世界へのアピールなんじゃないかと、いわゆるプロパガンダかと思った。
アメリカ人たちは政治とか人心掌握を映画を使ってやるからね。
結局この映画見ていても、子どもへの愛情というよりも、自分の価値観を子育てにぶつけてるだけの勝手な白人アメリカ人としか映らんし・・・
まぁ日本人とは感覚がだいぶ違うよなぁとしか思えん・・
続きをこれからみようと思います。
ごめんなさい。
アメリカ嫌いがでちゃった。
アメリカ好きの日本人にはとっても胸が熱くなる作品でーーす。
まだ最後まで見とらんが・・たぶん・・・