自分の国は自分で守れ

Mikuのブログ

私は今も幸福の科学の信者です。これでも一応w

2022-02-10 13:06:08 | 日記

実名も明かさずに偉そうな事を書きますが、

これから書くことは、このブログの趣旨の一つである幸福の科学になんら資するものでない内容かもしれないけどこれまで振り返った過渡期の感想程度にまとめてみようと思う。

人はそれぞれ立場によって物事が様々な見え方をします。ある人にとって良いことがある人にとっては悪いことになるなんてのは日常茶飯事です。だから信仰によって神から見た見方にみんなで合わせることが、結局は自他を幸せにして、結果的に世界が良くなるというのだという考えは、持ってはいます。

 

最近、『名もなき生涯』という映画を観ました。

その最初にこういう文章が紹介されます。

 

“歴史に残らないような行為が世の中の善を作っていく”

“名もなき生涯を送り”

“今は訪れる人もない墓にて眠る人々のお陰で”

“物事がさほど悪くはならないのだ”

             ジョージ・エリオット

 

この映画はナチスドイツが台頭し始めた頃、それに反発して最終的に死刑になった農夫の生涯を実話を基に描いたものです。時にはその奥さんの視点になったりして、普通に正しく生きるという事が、この世界ではどうなるのかが、淡々と描かれていました。

どうやらいつの時代も、どのような場面においても、正しさを貫こうとするときは命を懸けることを覚悟しながら行うしかないようです。

例えば今で言うと、例えばワクチンを接種するかどうか、

幸い現在日本では強制されてはいません、だから持病を持つ人や体質的に不安を抱えて未だワクチンを打っていないという人は私の周りにも結構います。

私は、持病はありませんが打っていません。

それは政府やWHOへの反発心もあります。ワクチンは政府やWHOの主張するような安心安全で完璧なものではないからです。この主張は完全に間違っています。正しくはありません!

そして、そんな馬鹿な権力へ安易に巻かれることを繰り返す周りの人間達への反発もあります。

しかしこのワクチンへの反発はむしろ自分の命が大事だからやり易いのです。

とはいえワクチンを打たないということは周りの人間関係を悪くする可能性があり、特に職場では居づらい思いをすることもあるでしょう。悪辣な上司や会社であれば打たないなら辞めろと言われるかもしれません。こうなると食いぶちを失い、命に係わることにもなりかねません。やはり正しさを行うことはそう容易いことではないのです。

 

このジョージ・エリオットさんの言う通り本当に 物事はさほど悪くなっていないと言えるでしょうか?

歴史に残らないような命を懸けて正しさを主張する生涯を送る人々がこれまでの時代を作っていたとしても、毎度毎度同じ過ちを繰り返す人類にに押されて物事は緩やかに確実に下へ下へと降下しているのではないでしょうか?

この新型コロナ騒動をみてもさほど悪くなっていないようには到底思えないのです。

 

いつまで、人類は同じことを繰り返すのか。

イエスキリストの魂の分身である近現代に生を受けたその方も、酔狂な馬鹿に撃たれ短い人生を閉じました。しかしイエスさまよりは10年長く生きた・・

 

人が良い。

お人よし。

こうした人柄はどのように作られるのかと心理学などでは研究されているかもしれませんが、宗教では人間は神のエネルギーから分かれて作られたものだから当然神性が宿っている。その善なる性質は人間が神の子である証と言われています。

私はこの宗教観が結局は正しいと考えています。

科学で様々な“先生”がこれこそがそうであると捏ね繰り回してもピシっとした回答は得られないからです。

だから、ピュアな人を天然だとか馬鹿にする風潮もままありますが、ピュアということは神性が素直に表れているだけという人です。

お人よしが時に人をイラつかせるのは、そのせいで物事の判断が遅れることがあるからです。多くは悪魔的な悪意からではないのでしょう。イラつきをカラかいで終わらせておく位にして、もっと悪い状況を防ぐというのもある種の愛情かもしれません。

私は幸福の科学で活動する中で、この「人が良い」をいつの間にか行っていました。

その結果、時間と労力、お金を幸福の科学に注いでいました。

しかし、自分の人生を利していたのか‥と考えるとクエスチョンです。自分の思った通りにはなっていません。むしろ今の時点では逆行中?w

そして、では属する支部は発展したのかを見るに全く状況は変わっていません、とはいえ、会社などでもそうですが、現状維持ということは実は発展し続けさせなきゃならないものです。ですから発展はしているのでしょう。ただ、未だテナントを借りている支部であり、自分の置かれた状況などを鑑み、これからも自分の殆どの労力や時間を支部に注ぐのは厳しくなってきたというのが今の私の考えです。

余程、お金や時間がある“余裕”のある状態でなければ無理でしょう。

落ち着いて客観的に周りの信者さんを見て見れば、いつもいつも同じ方々が活動しており、そしてその方々の大半はどうやら経済的余裕のある方々だったのです・・・笑。それを私は経済的苦境なのは自分だけではないと勘違いしていました・・・笑

しかしもし私にもっと深い信仰心があれば、自分の老後や家族などどうであれ、命を懸け、自分は経済活動はせず、いや仕事をしながら支部でのボランティアにも時間を費やし、家の稼ぎの殆どを支部に注ぎ、伝道や政党の広報活動に勤しむでしょう。

 

限界だと思いに至ったには理由もあります。

前支部長になりますが、その年に行われる市議選に支部から立候補を立てる。そして当選する。支部を自前の建物(支部精舎)にする。という計画をタイムラインにした表を見せて、熱く語ってくれたのです。私は胸が躍る気持ちになり、何か自分にできないことはないかと思いましたが、そこではたと気づきました。

この支部長になってからそうした語り口調で、祈願や書籍などにお布施してきた。

いやなんなら歴代の支部長の中にこんな人はいた。

しかし幾度となく聞いたことのあるこうした計画が進まなかったのはなぜか?

現実にそれを推し進める人やお金はもっと必要であり、それをどう調達するつもりなのか?そこは今私には話さないだけで、実はそうした仕事は進めているのだろうか?いやそうは見えてこない。

結局は幸福の科学の教えであるThink Bigはこうした末端支部では得てしてただの誇大妄想になってしまっているだけなんじゃないか?

 

爆発的に人類が変わるには、いったいどうした条件が必要なんだろうと考えてみた。

幸福の科学は着々と発展しているのか?

幸福の科学の教えだけがこの地球を救うというのはこれは真実である。

私の中では幸福の科学が世界中に広まり日本のみならず各国のマスコミや権力者の口からも当たり前のように幸福の科学の名や書籍、総裁の名が肯定的に語られることが結果的に世界が正常化することであると考えている。

それは客観的にもその通りとは思うが、そうした方向に向かっているのか全く自分の目の前は開けてこない。

結局は信者やピュアな人が命を懸けて、間違った権力へNOを表明する場面に突き当たる生涯を、時代ごとに続けていかないと“物事をさほど悪くならないように”できないものなのだろうか。

 

今冷静に考えてみると

政党が国会入りするも当然日本を救うことになり引いては世界を救うでしょう。

自分の地域に支部精舎が建立されれば伝道が進み地域は天上界の光に満たされ守られ様々な奇跡も起きるかもしれない。

でも一番の目的は

そうした人間を育てることが幸福の科学という名の普遍的な宗教の基本的な事業なのだろう。

 

私は、活動を通しても、人生は負け犬から脱せず、それでも、死ねばある程度天国と言われる領域に行けるんじゃないかと頑張って人の良い振りをしてきました。

本当に人の良い人とはどんな状況でもそれが好きだからそうなってしまう人のことで、そういう人が神性を素直に表明できる人ってことなんですね。

 

私は、このままでは地獄に赴いてしまうのかもしれないけど、だからと無理して心の凸凹を修正する作業には少し疲れを感じています。

自然体で行こうと思う。

嫌いなものは嫌いだし。嫌いを好きになることはできない。

嫌いな今の状況を自分が呼び込んでいるんだろう。

負け犬根性は治らんw

 

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