韓国・巨済(コジェ)市 公式ブログ

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【韓国旅行/巨済】“大きく救う”という意味を持つ島・巨済の歴史に触れてみよう^^

2014年12月10日 |   L概要
皆さん、こんにちは!! 巨済ガールです。

大きく(巨)救う(済)という意味をもつ巨済(コジェ)歴史上では一体いつ頃から“巨済”という名前が使われてきたのでしょうか?

巨済という名前が歴史上に初めて登場したのは、757年でした。

新羅第35代の景徳王16年の記録に“巨済郡”という言葉が出てきます。

その後、周辺との統合で“固自縣(コジャヒョ)”という名前になったり、お隣の統営郡(トンヨングン)に統合されたりしながら、1953年ついに巨済郡の復郡へ向けての動きが加速します。

韓国旅行、巨済市


しかし、郡庁(郡役場)とどこにするかで地域間の葛藤が始まります。
特に朝鮮時代から郷校があるなど巨済の中心地的役割を果たしてきた巨済面(コジェミョン)と、近代文化の発生地であり釜山など陸地との行き来が便利な長承浦(チャンスンポ)地域が大きく争いました。
この2つの地域のいがみ合いが激しくなる中、意外な地域が漁夫の利で巨済郡庁の場所に決まったんです。

それは、現在も巨済市役所や巨済市外バスターミナルがある古県(コヒョン)地域です。

韓国旅行、巨済市

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古県には今もテーマパークとして残る捕虜収容所があったため、一時的に長承浦邑に郡庁を作って開庁式を行いました。

これに怒ったのは、巨済面です。訴訟を起こしますが、ソウル高等法院で棄却されてしまいました。

1956年、郡庁は予定通り古県に移されました。その後、1995年に巨済郡は巨済市になり、現在の形に落ち着きました。

様々な出来事を繰り返しながらも、“大きく救う”というすてきな意味をもつ地名が今も使われていることを嬉しく感じています。

これからもたくさんの人たちを救ってきた巨済の魅力をお届けしていきます!! お楽しみに~♪(写真引用:NAVER地図、巨済市庁ブログ)


※ソウルと釜山から古県市外バスターミナルまでのアクセスは以下の記事を参考にしてください↓

【巨済に行ってみたいと思ったら】
→ソウルから巨済へのアクセス方法は?
→釜山から巨済へのアクセス方法は?


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