「火事と喧嘩は江戸の華」――ノンベンダラリンと時間が動いていくような緊張感を失った社会では「火事や喧嘩」は退屈を紛らわしてくれる格好の娯楽であったのだろう。265年の長きにわたって地球の回転運動による時間経過以上の変化らしい変化の無かった世界では火事も喧嘩も大いに娯楽たり得たのであろうが・・・。
2~30年の日本は江戸時代並みの成長鈍化の時代にはまり込んでしまったのではないだろうか? 悪い意味でも、まして好い意味でも、いささかも見るべき「変化・変容」すらないように見える。いな、それ以上に退化がどんどん進む負の変化しか無いような歴史が刻まれているようにすら思えるのだが。
そんな中で、先週1週間は「火事と喧嘩は江戸の華」のような手に汗握る1週間だった。「放送法」に係る総務省内に残る公文書問題。立憲民主党の小西洋之参院議員が3月2日、記者会見で示した78ページにも及ぶ分厚い公文書、その真贋が問われたジャジャウマ問答こそ今どきの「火事と喧嘩」、あっという間に大いに派手に燃え上がったので実に退屈しのぎになった時事ネタであった。しかし――
「高市早苗経済安全保障担当相は10日の閣議後会見で、放送法の政治的公平性をめぐる総務省の行政文書について、『正確性が確認されていない文書が保存されていたことは大変残念』とした上で、当時の総務相として『総務省の行政全てに責任を持つ立場で責任を感じている。大変申し訳ないことだった』と陳謝した。(一部削除)「放送法が定める政治的公平性をめぐり、新たに『一つの番組のみでも、極端な場合は政治的公平を確保しているとは認められない』とする解釈が加えられた経緯に関し、高市氏は『(国会で)与党委員から質問をいただいたので、前の夜に答弁案に目を通し、疑問を感じたところは説明資料をもらい、自分で責任を持って判断して答弁した』と説明した」(2023/03/11朝日新聞)。
つまりこの度の彼女の「突沸」による噴気は収まったのであろうが、それよりもこういう独裁政治は許し難い。安倍晋三首相という「独裁者」の配下にあってのぼせ上がったのだろうが、この女史は民主主義を国是とするこの国の指導者として紛れなき失格政治家だ。自ら口外したようにしっかりと責任を取るよう期待する。
「独裁者」の後ろ盾を失って、「おごれる高市も久しからず」か、な?