日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

「極刑やむなし」とは言いながらも、なお・・・

2024年03月07日 07時17分33秒 | 政治
 山梨県甲府市で、一方的な恋慕を抱いた女性に失恋すると、彼女の両親を殺害し、妹に傷害を加え、挙句の果てに一家の住い火を放ってこれを全焼させて、逃走するという、前代未聞の大罪を犯した19歳の「特定少年」、その裁判員裁判の判決は「死刑」。裁判所に上告を告げた弁護人の意を否定してこれを棄却したため死刑が確定。「特定少年」に課せられた死刑確定の初のケースとなった。
筆者は、かりに判決を「与件」としつつも、本人または弁護士によって控訴によって上級審の法廷が続くに違いないと思っていたのだが、担当弁護士の控訴を被告当人がこれを取り下げる形で「死刑」が決定してしまった。おそらく、当人以外の周囲の大人たちの誰も予期しなかった結末に至ってしまったのではなかったか? 
過去に、「光市母子殺害事件(1999年)」や「石巻3人殺傷事件(2010年)」など「少年」に係る凶悪な前例があるが、いずれも上告や再審請求など「結末」には一定の法的かつ時間的距離がある。しかし、本件については未熟な人間によって、「短兵急?に」すべてが「決定」され、「確定」されてしまった? 果たしてこれがこのまま「合法的に」処理されてしまってもよいのであろうか? 未熟な若者が贖罪の意志を示すでもなく、まして苦しみを味わうこともなく刑場に消えていくとして、彼に殺害された両親は言うに及ばず残された一家・親族はただ悪夢を見続けるだけ?というパラドクスに陥るだけではないだろうか??
今後も「特定少年」の周辺で起こり得るであろう事態の、これが「先例」として許容されるのであろうか?。以上の経過は、法曹界のみならず広く世の中全体に対して、この未熟な若者が突き付ける「挑戦状」のように感じられるのだが。世に有る「悪霊」はこうして生まれるのではないかと恐れるのは筆者だけなのか??、とも。

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1 コメント

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Unknown (ewkefc)
2024-03-08 06:32:22
『「極刑やむなし」とは言いながらも、なお・・・』に対する意見https://blog.goo.ne.jp/genyoanki/e/bb7251e9fe6cba0eb32a5b43003b049f

>今後も「特定少年」の周辺で起こり得るであろう事態の、これが「先例」として許容されるのであろうか?

精神鑑定の結果、責任能力があると認められる。しかし、その判断には明確な境界線は無い。
完璧な人など存在せず、大半の人は程度の差こそあれど何らかの精神障害の特徴を持っている。
社会生活に支障がない場合は自覚もないし、周囲の人も気付かない。
しかし、中には生きづらさを感じながら社会生活を送っている人も多いのだ。
発達障害を持ちながら誰からも気付かれずに大人になり、社会に適応できずに犯罪に走ってしまう人もいれば、成長過程で犯罪を犯罪を犯してしまう人もいる。
障害の程度は数値で表すことが出来ず、よって鑑定した医師の判断に頼るしかない。
責任能力とは、実にいい加減な判断で決められているのだ。
誰にも人を殺す権利は無い。
人を殺すことを正当化すれば、人が自分を殺すことも正当化することになるからだ。
ルールある社会に生きる人が、例えばルールを破って人を殺してしたとしよう。
その場合はルールある社会から追放すれば良いのだ。
しかし、人を殺した人を無責任に国外追放すれば、他国から批判されてしまうだろう。
ならば、ルールを破って人を殺した人は一生ルールある社会に戻れないように隔離するしかないだろう。

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