日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

「悶え神」になれない二代目政治家

2024年05月14日 06時16分43秒 | 政治
 「水俣病の実態を世に知らせた『苦海浄土』を書いた石牟礼道子さんは、水俣には他人の苦しみをわがことのように受け止める<悶(もだ)え神さま>がいたと語っていた。よく口にした『悶えてなりとも加勢(かせ)せんば』とは、何もできないがせめて共に悶え、何とか力になりたいという切実な思いだ。そんな思いはみじんもなかったのだろうと想像がつく粗雑さに、あきれを通り越して怒りすら感じる。伊藤信太郎環境相と水俣病患者らの団体との懇談の場で、持ち時間を超えて発言する遺族のマイクの音を環境省職員が切った。話を聞いたという既成事実のための名ばかり懇談、と批判されても仕方のない失態である。公式確認から68年になる水俣病は国に補償を求める裁判が複数継続し、解決には至っていない。苦悶に寄り添い共に苦しむ「悶え神」が、被告側にいないからではないだろうか(2024/05/11産経新聞)。
「産経新聞」とも思えない好い「論調」である。上に言う「悶え神さま」の役目は環境大臣がやるべきであり、彼に仕える環境省の役人たちでもあるべきだったのだろうが、残念ながらお世辞にもその役目をつとめようという者はいなかったのであろう。
「マイク音遮断事件」を伝える報道が翌日の新聞各紙に一斉に掲載された5月2日の朝刊を見たか?、見ないか?、あの時「悶え神」であるべきだった伊藤信太朗環境大臣はその日に彼の選挙区の宮城県加美町に行ったという。衆院解散が取り沙汰される政局に不安を抱える昨今の情勢下、選挙区の培養が必要と考えた行動であったろうか?
長く衆議院議員をつとめた大物の父を持ち、東京で生まれ、そこで育ち、幼稚園から大学院修士課程修了までの幼・少・青年期を東京に住んで土地勘もない選挙区にあわてて行くのは、いつ来るか分からない衆院解散の恐怖が有ればこそだったのだろう。それゆえ前日の水俣での水俣病被害者と大臣の「懇談」も「上の空」、帰りの飛行機に間に合わせるには「悶え神」をやってるわけにはいかなかった。それをよく知る部下たち環境省役人らは「悶え神」どころか「邪神」となってマイクのスイッチを切ったのであろう。連休を終えて衆院環境委員会で、事の重大さを野党委員から指摘されてはじめてコトの重大性に気付いて狼狽する姿を見るにつけ、その如何にも「二代目」特有のボンボンぶりに、筆者は大いに納得したのである。
彼の父は東北大学を卒業し、読売新聞の気鋭の記者となり、その筆力を活かして平泉に黄金都市を造営した「北方の勇者」藤原氏三代の物語を書き、大いに大衆の耳目を集めて政界に進出、長期にわたって保守政界に君臨した。貯えた政治資源を息子にバトンをタッチ。その子息がしどろもどろの衆院環境委員会での答弁を見るかぎり、ここでも初代から3デシベル(dB)音質劣化の録音音源のようなものを感じさせられた。とても二代目が「悶え神」になれるような才覚の無いこと、ここでも同一選挙区でのお世継ぎ禁止令の必要性を思い知らされたのである。