日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

「王の死」 位人臣を極めたらしずかに引退すべきです

2021年12月07日 07時40分07秒 | 政治
 「自民党の菅義偉前首相は5日、自身を中心としたグループ結成に含みを持たせた。記者団から『菅グループ』創設の可能性を問われ、直接の言及は避けながらも、デジタル化推進などを挙げて『同志の皆さんと力を合わせて、こうした政策を実現したい』と述べた」(2021/12/05共同通信)。
 その予定される派閥集団には「ガネーシャの会」という名前までが用意されているというから本気らしい。大いに恐れ入ったる次第である。「ガネーシャ」とはヒンドゥー教の神々の一人で、「群衆の主」を意味すると筆者は初めて知ったのだが、菅氏はいささか思い上がってはいないだろうか??。失礼ながらよくよく鏡で自分の顔をご覧になっては如何かと申し上げたい。
 そもそも政治の場では、「王」となったものはその権力が衰微したときには「象徴として死ぬべきこと(王殺し)」と古来されている(ジェームズ・フレイザー(「金枝篇」(岩波文庫))。これは、人々が王の死を悲しみ悼むことと、彼の呪縛から解放されることで次の時代を創造できるからだ、というのである。つまり、王の死とは、象徴的な行為であって、必ずしも肉体の死である必要はない。ここでは政治権力から離れることが「死」となる。
 この意味ではいまこの国では、菅氏のほかに麻生太郎、安倍晋三、野田佳彦、菅直人各氏等々歴代の「王」がごろごろ存命している。こんなに王に跋扈されていては、現世とあの世が混在してしまって、新しい時代を創造することは叶わない。
 この国の低迷の最も大きな原因は自然で順調な「権力交代=王の死」の無いことである。まして、新たに派閥を作ってまた捲土重来などと言われては「革新」は起こらない。それが現代の停滞の主因なのである。時代が変わるには「死と再生」の循環が必要であることを真剣に受け入れることだ。それを当人が拒むときには、他者がそれを引きずり下ろすことが必要であり、近代以降はその合法的な手段として「選挙」というシステムを創造したのである。議席に有期の「任期」を付しているのもそのためだ。
 世の政治家諸君よ、自らと人民とが永遠に生き残るためにこそ己の去るべき秋(トキ)を知れと心から申し上げる。虎は死んで毛皮を残す、死ななければ毛皮は残らない。かれが着古し続けているから。派閥を立ち上げるなどとんでもない心得違いという以外に無い。
 


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