日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

神戸震災が開いた日本のIT時代、その功罪

2022年01月17日 07時52分10秒 | 政治
 今日1月17日は阪神・淡路大震災記念日。早いものであれから27年、ほぼ一世代を経過したことになる。未曽有の大事件であり、国民的痛恨の悲劇であったが、この大震災の渦中で誕生したものがあった。名にしおう日本の情報化時代(IT)の幕を開けたことだ。つまり、この大事件が焼け跡から「IT時代」を芽生えさせたのである。
 いま、IT時代を画する基本技術は何かと言えば圧倒的に通信プロトコルであり、その中核がTCP-IPと呼ばれる情報伝送に係る通信規約である。世界に唯一のIPという「番号」を付与することで情報の発信先を特定することで確実に情報を受け渡す仕組み、しかももし地震や嵐などの天災や核戦争などの人災が発生していても通信手段が一つでも生き残っていればそれを探して通信を確保するという命題に応えるシステムを作り出した。
 これを開発したのはアメリカのDARPA(アメリカ国防総省高等研究計画局Defense Advanced Research Projects Agency)の前身ARPA(アーパ)、核戦争によって通信回線が惨憺たる破壊を受けてもなお通信が確保できるにはどうすればよいか?という命題に応えるシステムとして開発したシステムであった。核大国でかつプラグマティズムの国アメリカらしい発想だが、これが原理として発表されたのは1969年。これをスイスにあるCERN(ヨーロッパ原子核研究機構)において実用技術に落とす開発を経て、実用化技術として広く世界に公開され、展開されたのが1988年だった。
 この頃、東大・東工大等国立大学と傾向大学を中心に科学技術計算用の大型計算センターと各大学を結ぶ学術ネットワークを結ぶ通信回線としてTCP/IPによる接続が模索され、これが学術ネットワーク(JUNET)として先進大学間で結ばれるようになってきた。それに協力したのが当時の電電公社NTTの電気通信研究所の研究者たちであった。
 こういう機運の中で1995年1月17日阪神・淡路大震災が勃発した。当時のコネクション型の有線ネットワークは全滅状況となり、震災地の惨状は外からは全く分からないという状況に陥っていた。そういう状況の中で立ち上がったのがNTT電気通信研究所のスタッフや関東地域のJUNETを推進していた大学関係者たちであった。彼らの獅子奮迅の活躍が大いに震災救援に、また直後の復興支援に貢献したかは知る人ぞ知る大きなものであった。
 あれから27年、有線通信のデジタル化は完了し、光ファイバは津々浦々に敷設され、モバイル通信端末は人口の1.5倍にも普及し、その効能を越えて弊害の問題こそがクローズアップされる状況にすらあるほどである。あの時遠くからではあったが、支援の活動にかかわっていた一人として、筆者は、歳歳年年技術の功罪ついて「否定」に陥っていくのではあるが、震災記念日が来るたびにあのころの「夢」を懐かしんでもいるのである。