「原理講論」の誤謬と正解

原理読みの原理知らずたちへ

「体恤」の間違い

2024年04月15日 | 検証・解説
 
▲「日・韓・米 原理講論対訳用語集」(光言社) P.63より
 
「たいじゅつ(体恤) experience, incarnation 체휼」 ← 間違い!
 
「たいじゅつ(体恤) compassion 체휼」 ← これが本当の意味!
 
「体恤」の英訳は「compassion(憐れむこと。「苦難を共に」が原義)」。
聖書に登場し、説教の題目としてもよく使われるキリスト教用語。
下記の「神の心情を体恤する」という使い方は完全な間違い。
 

■ 原理講論 第一章 創造原理 に登場する「体恤」
_________________
第一章 創造原理 第三節 創造目的(二)神の喜びのための善の対象 P.66
「神を中心として心と体とが創造本然の四位基台を完成した人間は、神の宮となって(コリントⅠ三・16)、神と一体となるので(ヨハネ一四・20)、神性をもつようになり、神の心情を体恤することによって神のみ旨を知り、そのみ旨に従って生活をするようになる。」

第一章 創造原理 第四節 創造本然の価値(三)愛と美… P.73
「創造本然の三対象の愛を体恤することによってのみ、三対象目的を完成し、四位基台を完成した存在として、人間創造の目的を完成するようになる。」

「四位基台は神の愛を完全に受けて、これを体恤できる完全な美の対象であり、また、完全な喜びの対象であるから、創造目的を完成した善の根本的な基台なのである。」

第一章 創造原理 第六節 (三)(2)霊人体の構成とその機能 P.86
「神の愛を完全に体恤して初めて、肉身を脱いだのちのその霊人体も神の愛を完全に体恤することができるようになるのである。」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 
■ 聖書に於ける「あわれみ」の韓国語訳

聖書には「あわれみ」と言う言葉が頻繁に登場する。その韓国語訳は、
「휼(恤)」(節数215箇所)
その中に、
「긍휼(矜恤)」(節数168箇所)
「연휼(憐恤)」(節数2箇所)
「체휼(体恤)」(節数4箇所)
が含まれまれる。更に、
「자비(慈悲)」(節数46箇所)
 

●「体恤(體恤)」の原義(中国語・韓国語・日本語)

(A)中国語大辞典(角川書店)
 「その身になって情けをかける。親身になって人のためを思い、同情や世話をする。」

(B)大漢韓辞典(省文社・韓国)
 「上位にいる者が下位の者の困難な事情を理解して面倒をみてやり助けてやること」。

(C)大漢和辞典(大修館書店・日本)
 「己の身を其の人の境遇に置いて察しあわれむ。」

(D)日本国語大辞典(小学館・日本)
 「その人の身になってあわれみの気持ちを示すこと。」

「体恤」が単なる「同情」、「あわれみ」と違うところは「体」の部分、即ち
「己の身を其の人の境遇に置いて」という意味が加わり、更に韓国語では
「面倒をみてやり助けてやること」となっている。
 
●「体恤(體恤)」の英訳 →「体恤の正しい英訳」
「compassion」:
_________________
-[名][U] (切実な)同情(心), 哀れみ 《[類語] ⇒pity》〔on, upon, for〕
:have [take] ~ on [upon, for]… …に同情を寄せる.
【ラテン語「共に苦しむ」の意 (com-+pat~i 「苦しむ, 耐える」)】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■韓国語・中国語・英語・日本語聖書に登場する「体恤(體恤)」

詩篇 69篇 20節
_________________
훼방이 내 마음을 상하여 근심이 충만하니 긍휼히 여길 자를 바라나 없고 안위할 자를 바라나 찾지 못하였나이다
辱罵傷破了我的心.我又滿了憂愁.我指望有人體恤、卻沒有一個.我指望有人安慰、卻找不著一個。
Insult has broken my heart, and I despair; I looked for compassion, but there was none, for comforters, but found none.
そしりがわたしの心を砕いたので、わたしは望みを失いました。わたしは同情する者を求めたけれども、ひとりもなく、慰める者を求めたけれども、ひとりも見ませんでした。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

へブル人への手紙 4:15
_________________
우리에게 있는 대제사장은 우리 연약함을 체휼하지 아니하는 자가 아니요 모든 일에 우리와 한결같이 시험을 받은 자로되 죄는 없으시니라 ! 
因我們的大祭司並非不能體恤我們的軟弱。他也曾凡事受過試探,與我們一樣,只是他沒有犯罪。
For we have not a high priest, who can not have compassion on our infirmities: but one tempted in all things like as we are, without sin. 
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

へブル人への手紙 10:34
_________________
너희가 갇힌 자를 동정하고 너희 산업을 빼앗기는 것도 기쁘게 당한 것은 더 낫고 영구한 산업이 있는 줄 앎이라
因為你們體恤了那些被捆鎖的人,並且你們的家業被人搶去,也甘心忍受,知道自己有更美長存的家業。
For we have not a high priest, who can not have compassion on our infirmities: but one tempted in all things like as we are, without sin.
さらに獄に入れられた人々を思いやり、また、もっとまさった永遠の宝を持っていることを知って、自分の財産が奪われても喜んでそれを忍んだ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

1ペテロ 3:8
_________________
마지막으로 말하노니 너희가 다 마음을 같이하여 체휼하며 형제를 사랑하며 불쌍히 여기며 겸손하며
總而言之,你們都要同心,彼此體恤,相愛如弟兄,存慈憐謙卑的心。
Finally, be ye all of one mind, having compassion one of another, love as brethren, be pitiful, be courteous:
最後に言う。あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

            【INDEX】 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭平和協会へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合 批判・告発へ  にほんブログ村