Wikipedia - 世界平和統一家庭連合-教典 より
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『原理講論』は、文鮮明の高弟である劉孝元(教会長、1970年死去)が、文鮮明の『原理原本』を増補し、彼の説教を整理したものである。『原理原本』(1952年発行)は、韓国の神秘主義的キリスト教改革運動の流れを汲む「イスラエル修道院」の金百文(キム・ベンムン。キリストの親臨を主張した、柳明花の信奉者のひとり白南柱の弟子)の著作『基督教根本原理』(1946年3月2日起草、1958年3月2日発行)の執筆中に文鮮明が盗作したという証言がある。
「文鮮明は金百文が1952年釜山東来で避難中に執筆した原稿『堕落、復帰原理』を見て『原稿校正を見て差し上げる』と持って行って6ヶ月以上持って来ない騒動を起こした」(교회와신앙-이스라엘 수도원)。
それに対し統一教会側は「金百文の著作が世に出る前に、『原理原本』そして『原理解説』(1957年発行)が作成された」と主張している。
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■ 盗用を証言する임남순(林南淑)女史
「교회와신앙 amennews.com」
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한국 개신교계 신종교의 윤리성에 대한 비판적 접근(3)
신천지 증거 장막성전을 중심으로
2008년 07월 07일 (월) 00:00:00
교회와신앙 webmaster@amennews.com
본 글은 임웅기 전도사(한국기독교이단상담소 광주지부)가 전남대학교대학원 윤리학과 석사과정을 밟으며 금년 2월 논문으로 제출한 ‘한국 개신교계 신종교의 윤리성에 대한 비판적 접근 - 신천지 증거 장막성전을 중심으로 -’을 저자의 허락에 의해 요약 정리한 것입니다. - 편집자 주-
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2. 새 예루살렘 순례단, 이스라엘 수도원, 삼각산 기도원
2) 이스라엘 수도원
그리고 성령의 인격화에 대해서도 기술하고 있다. 또한 이 책에서 언급한 기독교삼원리서(基督敎三原理書)와 인류타락의 근본적인 원인을 기초하여 흥미로운 사실 하나를 추론할 수 있다. 그것은 ‘스승 김백문의 사상을 통일교 문선명이 자신의 계시로 도용하여 사용하고 있다는 주장’에 대해 뒷받침할 수 있는 근거이다. 그리고 박정화는 『야록 통일교회사』에서 ‘김백문의 이스라엘 수도원에 최선길과 함께 다니던 문선명이 김백문의 논리를 그대로 도용했으며, 유효민이 도용한 것을 논리적으로 정리해 주었다’고 한다.
수도원을 시작한 지 2개월 쯤 되었을 때 문용명(현 문선명으로 개명함)이라는 20대 중반(25세)의 한 청년이 찾아왔다. 상도동 집회소가 생겼는데 간판은 ‘야소교(耶蘇敎) 이스라엘 수도원 서울교회’로 달았고, 문선명이 자신의 집에서 신혼살림을 했다고 말하는 임남순 여인에 의하면 그때 자신의 나이가 16살이었다. 상도동 집회소에는 40~50명 정도가 모였는데, 문선명은 집회 기간 중 발길로 성전 벽을 걷어차고서 아프다고 울고 불며 뒹굴고 소란을 피우니 초원 김백문이 다가가 ‘성령감화를 인격적으로 받아 자신을 다스려야지 제 몸 하나 주체하지 못하고 타인을 괴롭게 하는 것은 참신도가 아니며 참 신앙자가 될 수 없다’고 책망을 했다. 또한 문선명은 김백문이 1952년 부산 동래에서 피난 중 집필하던 원고 『타락, 복귀원리』를 보고 원고교정을 봐 드리겠다고 가지고 가서 6개월 이상 가져오지 않는 소동을 일으키기도 하였다.
(ほぼ機械訳)
「教会と信仰 amennews.com」
韓国プロテスタント新宗教の倫理性への批判的アプローチ(3)
新天地証拠の幕屋神殿を中心に
2008年07月07日(月) 00:00:00
教会と信仰 webmaster@amennews.com
本文は、イム・ウンギ伝道師(韓国キリスト教異端相談所光州支部)が全南大学大学院倫理学科の修士課程を踏んで今年2月に論文で提出した「韓国プロテスタント新宗教の倫理性に対する批判的アプローチ - 新天地証拠長幕聖典」を中心 作者の許可によって要約されたものです。 -編集者注-
前の記事を見る①②
2. 新しいエルサレム巡礼団、イスラエル修道院、三角山祈祷院
2) イスラエル修道院
そして聖霊の人格化についても説明している。また、この本で述べた基督敎三原理書と人類堕落の根本的な原因に基づいて、興味深い事実一つを推論することができる。それは「師匠金百文の思想を統一教の文鮮明が自分の啓示として盗用して使用しているという主張」について裏付けられる根拠だ。そして朴正華は『野録統一教会』で「金百文のイスラエル修道院に崔先吉と共に通っていた文鮮明が金百文の論理をそのまま盗用し、劉孝元が盗用したことを論理的に整理してくれた」という。
修道院を始めて2カ月ほどになった時、文龍名(現文鮮明で改名する)という20代半ば(25歳)のある青年が訪れた。サンドドン集会所ができたが、看板は「耶蘇敎イスラエル修道院ソウル教会」につけ、文鮮明が自分の家で新婚生活をしたと言うイムナムスン女性によると、その時、自分の年齢が16歳だった。
サンドドン集会所には40〜50人ほどが集まったが、文鮮明は集会期間中に足を踏み入れて神殿の壁を蹴って痛いと泣いて吹き飛ばして騒ぎを起こすと、
「自分の体一つ主管することが出来ず他人に迷惑をかけることは真の信徒ではなく、真の信仰者になることはできない」
と戒めた。また、文鮮明は金百文が1952年釜山東来で避難中執筆していた原稿『堕落、復帰原理』を見て「原稿を校正して差し上げる」と持ち帰り6ヶ月以上返さない騒動を起こした。
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武田吉郎著「再臨主の証明」(賢仁舎)には、上の資料に出てくるイムナムスン(林南淑)女史は、下宿の大屋である李奇鳳(イキボン)さんの三女のことで、この『再臨主の証明』にも文青年や文夫人(崔先吉)がイスラエル修道院ソウル教会でどのようなようすだったのか、彼女の証言が出てくる。
上道一洞(サンドイルドン)に1992年当時残っていたイスラエル修道院ソウル教会の建物と場所を見つけたのも、李奇鳳さんの下宿を出て上道一洞で文青年や文夫人(崔先吉)が新婚生活を送っていた家屋の建物と場所を見つけたのも武田氏。同書にも写真が載っている。
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