「原理講論」の誤解と正解

「原理読み」の「原理知らず」

ユダヤ教徒との質疑応答 001 ~産めよ~

2024年10月16日 | 資料

質問:「ペルー」(創世記1/28)の意味は?
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ヘブライ語聖書の中で神が人間に対して最初に発した命令は創世記1章28節の「ペルー」ですが、一般に英語では「Be fruitful」、日本語では「産めよ」と訳されておりますが、ヘブライ語では 「実を結べ」であります。

これを「(人間として)成熟せよ」と解釈することは、ヘブライ語では可能なのでしょうか?
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※ユダヤ教徒に対しては「旧約聖書」と言う表現をしてはいけない。彼らへの礼儀として「ヘブライ語聖書」と言うこと。

 

ユダヤ教正統派信者からの回答
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ヘブライ語「プルー」(命令形)は直訳すると「自分自身フルーツのようになりなさい」、即ち「フルーツのように実り多く増えなさい」という意味です。
「成熟せよ」という解釈があるとすれば、ユダヤ教の解釈じゃないですね。

ユダヤ教のトーラ(フマッシュ)の英語版(ストーン版)の解説は、「・・・神の御意志に従って、世界に人間が増えることになる。これを怠る者は肯定的(ポジティブな)戒律を無効にするということで大きな罰を受ける。

その行為(子供を故意に持たないということ)は世界に人間を増やすという神の御意志に従いたくないという気持ちの表れだからである」とあります。

ユダヤ教ではトーラの内容は書いてある通り理解しなければならず、個人による意味の解釈は禁止されています。

解釈の違いによって宗派が続々誕生したキリスト教との違い、ユダヤ教は「トーラの内容は付け加えても削ってもならない」という原則のもと5000年以上分裂せずに存続し続けているわけです。
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[資料] 初圓・金百文著「基督教根本原理 三大原理(全巻)」

2024年10月16日 | 資料

「統一原理盗作疑惑」

 


初圓・金百文著「基督教根本原理 三大原理(全巻)」
<目次>
序解
 本書の使命と沿革
 本書の神学上の位置と特徴
 本書の注解と留意
総論序
 第一篇 創造原理
 第二篇 堕落原理
 第三篇 復帰原理
第一篇 創造原理
 本論序
 第一章 創造起源論(創造前神観)
       序
   第一節 創造起源と神学上の研究問題
       1 創造起因と意義
       2 創造起源と太初論
   第二節 創世前神論
       1 創世前神の実在性
       2 創世前神の世界相
       3 創世前神の三位神性
 第二章 創造原理論(創始期神観)
       序
   第一節 創造道理論
       1 創造神の人格的現顕道理
           『言』の創造道理
       2 造(万)物の現象道理
           『光』の創造道理
       3 創造の実現(完成)道理
           『生命』の創造道理
   第二節 創造理致論
          造成理致と神性役割の合理性
       1 『光』と時間創造
           時の理致と時間創造
       2 『御言葉』の空間創造
           中間理致(役割)と空間創造
       3 『生命』の人間創造
           分間(生命)理致と人間創造
   第三節 創造真理論
          生存原理と神性関係
       1 生存原因と主管関係
           時の理致と生存真理
       2 生存生理と本分関係
           中間理致と生存真理
       3 生存原則と秩序関係
           分間理致と生存真理
   第四節 創造と三位神論
          三位一体神の定義
       総論(三位一体神の略図)
       1 第一位論
           父位神性
       2 第二位論
           子位神性
       3 第三位論
           聖神神性
       結論(小論文)
           三位神の実在的時代性とその役事性の歴史的考察
 第三章 創造世界論(被造世界の神観)
       序
   第一節 創造人間論
       1 神霊的本質問題
           基本人権
       2 人格的本性問題
           基本人格
   第二節 創造人間と根本倫理
          基督教根本倫理問題
       1 生存倫理と定命問題 (※定命=寿命)
           善悪果の定命
       2 生活倫理と使命問題
           祝福と使命
       3 秩序倫理と誡命問題 (※誡命=戒律)
           安息日と誡命
   第三節 創造世界と天理法則
          生存環境と自然法則
       1 昼夜の輪廻法則
          生存持続の永遠法則
       2 善悪の相対法則
          生存法則の長成発達
       3 天地(陰陽)の相応法則
          生存現実の結果法則
第二篇 堕落原理
 本論序
 第一章 悪の起源論
       序
   第一節 悪の根本定義
       1 悪の根本的起因性
       2 悪の形而上学的実相性
       3 悪の性(心)理的発生源相
          天使の心理と悪の性理学的源相
   第二節 天使堕落論
          天使論 魔鬼論
       1 堕落の原因(悪性)
           天使堕落と悪性起源
       2 堕落天使(悪霊)
           悪霊の由来
       3 悪霊の世界性
           悪の実相的世界相
 第二章 堕落原理論
       序 堕落の定義
   第一節 悪霊の三位一体論 (悪霊三位一体略図)
       1 三位の対象品性
       2 三位の役割本姓
       3 悪霊の三位三格
   第二節 エデンの堕落史
          人類堕落の起源
       1 エデンの三権分立
          神、人、魔
       2 善悪果の正体定義
          善悪果の定義的弁明 (※弁明=善悪解明)
       3 善悪果の犯行
          古蛇とエバ
   第三節 太初人間の定罪史(定罪起源)
          堕落の宗教的意義
       1 背神問題
           定命天倫から
       2 犯神問題
           秩序関係から
       3 離神問題
           使命本分から
   第四節 堕落の法理的段階
          堕落の過程論
       1 神霊的堕落問題
           アダムの生霊堕落
       2 人格的堕落問題
           カインの人格堕落
       3 肉体的堕落問題
           その子孫達の堕落と肉性根本問題
 第三章 堕落の世界論
       序
   第一節 肉体論
          宗教的において本肉体の価値
       1 信仰の機会
           無知の期間において
       2 所望の機物
           努力の対象において
       3 永生の媒物
           神の子女において
   第二節 罪の定義論
       1 罪の正体定義
       2 罪の定罪定義
           定罪の原因原理
           定罪の法理的段階
   第三節 死の定義論
       1 死の現実性
       2 死の起源と意義
       3 霊的死と救霊意義
   第四節 審判の定義論
       1 審判の対象と起因
       2 審判の原則的方法
       3 審判と報償
第三篇 復帰原理
       本論序
 第一章 基督観
       序 インマヌエル宗教定義
   第一節 成肉論
       1 聖神懐胎の意義
       2 『言』の成肉意義
       3 独生子の名義
   第二節 キリストの職性論
          インマヌエルの意義
       1 神霊的職性問題
          キリストの神性役割
       2 人格的職性問題
          キリストと十字架
   第三節 十字架論
       1 十字架の歴史的意義
       2 十字架の現実的意義
           代贖の関係
       3 聖体論
           十字架の効験論
 第二章 基督教教理原論
       序
   第一節 信仰論
       1 信仰の歴史的由来(意義)
           信仰の発生と由来
       2 信仰の現実的意義
           信仰の定義的過程
       3 基督教信仰対象
           信仰の体系
       4 信仰人格論
           信仰の本質
       5 信仰教理の根本対象
           信仰の帰納
   第二節 救贖論
       1 代贖の(赦罪)原理
          定罪と赦罪
       2 救霊の原理
          永生の原理
 第三章 復帰原理論(復帰の意義)
       序
   第一節 復帰弁証
       1 神霊的弁証問題
           インマヌエルの宗教定義
       2 人格的弁証問題
           基督教教理問題
   第二節 復帰世界
       1 神霊的復帰問題
           復帰の神観
       2 人格的復帰問題
           復帰の人生観
       3 復帰の世界観
           新天新地の基本問題
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          【INDEX】 

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金百文著「信仰人格論」

2024年10月16日 | 資料

金百文著「信仰人格論」(1970年10月3日発行) 目次



総論
 1.基督教信仰観の歴史的考察
 2.信仰観の概念的類型
 3.信仰の実在性と価値性
本論
第一章 信仰本質論と行為論
 1.信仰 本質論
   A.創造主と信仰問題(命令と従順)
   B.キリスト観と信仰問題(聖霊孕胎と成肉信仰の原理)
   C.救贖と信仰問題(十字架の意義)
   D.永生観と信仰問題(永生原理と信仰関係)
 2.信仰 行為論
   A.信仰の認識論(信仰の実在行為)
   B.信仰の実践論(信仰の実践行為)
第二章 信仰人格論と成長論
 1.信仰 人格論
   A.霊肉統一と人間本性(霊肉戦・善の本質と定義)
   B.神人一体と人間完成(人類救済の最後的目的と神の摂理)
 2.信仰 成長論
   A.恩恵期(信仰<恩恵>の極致と救援の次元)
   B.修練期
   C.使命期
第三章 基督教神秘論と異端論
       ~宗教と神秘~
 1.基督教 神秘論
    ~定義的 解説~
   A.基督教と神秘問題
    (1)神の自体啓示 (2)御言葉の現在啓示
    (3)救援の天国啓示
   B.神と神秘問題
    (1)神秘的役事の宗教性と人格性
    (2)神秘と自然法則(奇跡の蓋然性)
   C.信仰と神秘問題
    (1)内観の神秘 (2)直観の神秘 (3)啓示の神秘
 2.基督教 異端論
   A.教理的異端問題
    (1)キリスト成肉の否定 (2)十字架と復活の不信
    (3)三位神性と其の他の問題
   B.信仰的 異端問題
    (1)信仰と迷信性 (2)信仰と背信排他性
結論
 ~主後二千年を望む信仰世界の展望~
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            【INDEX】


金百文著「基督教根本原理」第三篇 第二章 第二節 救贖論

2024年10月16日 | 資料

金百文著「基督教根本原理」
 第三篇 復帰原理
  第二章 基督教教理原論
   第二節 救贖論      … 750


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          【INDEX】 

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[資料] 金百文著「聖神神学」(堕落原理)

2024年10月16日 | 資料

■ 金百文著「聖神神学」

P.126
「神の聖三位の中で、旧約は父性時代であり、その時代の律法宗教においては『割礼』が、その時代とその宗教の内容的象徴であったように、新約の『洗礼』は三位の内、子性時代の救贖宗教の象徴的な聖体であった。このように三位に時代的区分を行う時、しからば最後の聖神時代に至って聖神が示し給える儀式的問題がなければならない。」

P.128
「アダムの堕落内容とは、すなわちエバとの夫婦間の性的交際をさしておいて、エバが蛇と姦通したという問題からおきた犯罪であった。キリスト人を、聖神が最後的には聖化するものではあるが、救いの再創造的人格問題とは、今も述べた堕落の根本問題となる肉的性欲を、神が太初に創造し給うた時にもっていた本性、本質に聖化し、復帰させるというのがキリスト人の最後の聖化問題であり、これが聖神の歴史的役事となるものである。この事実がキリスト教の最終末と個人の信仰の最高にして最後の聖化問題となるであろう。ゆえに必然的にこの問題に対し、宗教的信仰運動の教義的条件のように信仰の全幅的な力を注ぐ時期が来るであろうし、これを割礼や洗礼のような宗教儀式的問題の端緒としたいというのが、本論の主題である。」

P.128~129
「誰でも、キリスト教信仰人格を受霊した後、本格的聖化段階に進もうとする時、この問題(夫婦性交)が何かわけの分からない不潔不快感を呼び起こすとともに、神霊生活にも障害となるため、人によってはこの問題をあれこれ考えて苦悶する向きもあるが、これに対する原理的神意を発見し得ず、また根本的解決を見ることも出来ないままに中絶状態で関心すら向けずに終わってしまうという事実がある。」

P.132~133
「従って、今や聖神の主導的役事とともに最高かつ最後的に聖化されるべき人間の情欲問題を、エデンにおける人間本姓である愛の本能的に回復することによって人間の情欲を聖化させるのである。そして聖化されたその人格は愛の化身となるのである。この愛は、十字架上で示し給うたその愛の起因する愛ではあるが、キリスト時代の贖罪問題をめぐって感じる愛とは異なった原始的本能の問題である。従って、即ちキリスト教時代の十字架の愛は洗礼的贖罪の恩寵に報いる程度の感じしか与えない」

P.132~133
「聖神時代のこの愛とは、その愛が次第に成長して人格的復活において抱かせるエデンの愛である。故にキリスト人が新生した後に復活的信仰をもつようになると聖神と一体となって体恤させることによって人格的復帰をみると同時に情欲を聖化する愛であるから、今や聖神の時代となると、この愛を聖神がキリストの前で新生した人に対し、人格的現実において、人と人の世界において直接的に体験させるものである。」
「この体験をもった者こそ、キリスト時代の洗礼を受けた者が贖罪を公認されるように、聖神時代の最後的復帰役事によって公認される信仰人格者となるのである。」「従って今や実際的問題となるのは、その愛を現実的に体験することによって、その愛を原動力として人間の情欲を聖化する上において、情欲世界の性欲問題を愛の世界では、先ず最初にキリストと、ついで人と人との一体的統一性をもつ聖化人格の内質に化せしめるのである」
「『遊女につく者はそれと一つの体になるように、主につく者は、主と一つの霊になるのである』(コリントⅠ・6章)という御言葉通り、キリストと一体となり、キリスト人同士一体となって統一する一体の原理を性欲によるものとばかり思っていた人間が、永遠の真の世界の原理による聖化、即ちその原動力となった愛を体験することによって情欲は聖化され、人格は統一をもつようになる。聖神はこの事実を宗教運動として、洗礼の儀式的条件のように待たせ給うたのである。」

P.134
「故に、今やこれに対する儀式的名詞を、父性時代の『割礼』、子性時代の『洗礼』のように、聖神時代の役事を定義するならばこれは『体礼』と称するのが最もその内容に合致したものとなる。」
「これは即ち、人格的体験として、聖神がなし給うと同時に、その体験をもつことによって聖神の役事がかなった者であることを儀礼として認定せしめるのである」。

「この聖体の血と肉を食うことによって新生するとともにキリストの血統で新生し、キリストとの血統的生命関係を結ぶように」

P.348~349
「けっして観念的でも、理解して意識する問題として解決される事実ではなく、どこまでも実在的内容性を見出し体験的な得る実際的事実である」

P.356
「キリストの血肉は、食べる前はキリストの聖体であり、食べたあとはその者の生命であることを教えることである。ここにおいて、食べるということは、いまや彼と一体となる事実を意味するものとなるとき、キリストと人との一体的意義は、食物と肉体とのように生命一体をいうものである。即ち肉体の生命は食物に依存していることをじきじきに教え給うように人間性名は血肉に依存しなければならないことを知らせ給うたのである」

P.356~357
「この食するということの事実的問題は、いま、血、肉が物体として存在するということではない。といって象徴的な、なんらかの葡萄酒のたぐいで代用することもできない。あくまで意義的であると同時に象徴的な理解とは異なった事実的内容性がなけらばならない問題だというのである」

P.362
「エデンの園で善悪の実を蛇がエバに食べさせたということは、それが植物性の果実を意味するものではなく、エバの肉体上の貞操を蛇に奪われたということを意味し、人類は(カイン)以来蛇の血統を受け継いでおり、カインは蛇の子孫だというのである。」

P.362~363
「エバ自身、肉体上の血統に影響をおよぼす直接的な罪を犯したために、彼らは罪を犯したあと、ただちに人間の性的行動に対する良心的な呵責としての恥ずかしさを感じて、それを示したことなども確実な証明問題となる」

P.414
「ここにおいて、植物の問題として解説するようになったこの問題においては、そこに真液的生命連絡が実在することによって所期の結果を実現するように、キリストの愛のみが樹木の真液のように信仰的結果の主管的現実内容としてキリストとの生命関係となった本体と枝において連絡をたもつということである」

P.415
「(この生命真液であるキリストの聖愛とは、)神にあっては神の属性であり、人にあっては生命の本性(である。)」

P.415
「(太初の人間はこの愛を本性としてつくられたにも関わらず堕落によってこの本性を失ってしまった。それによって)人間は、この愛の本質でない情欲という肉性の異性的な悪の質をもつようになり、人が手にする収穫の一切を愛に結実できず、情欲としてもたらされるようになった」
「(これを本来の神の聖愛が満ち溢れる状態に帰すためには)人をして常にその生命の本性となるこの愛の性能に従い、またその生涯を神の帰属的目的によって生きるようにすることである。これによって愛の本体は神であり、その本体を人間の本性とし、人をして神との生命連絡をなすには帰属のみならず、帰来的に人間本性をして神との性的統一性をなさしめることである」

P.416
「堕落した今日の人間は、肉体的異性である男女の肉的結合のみが瞬間的でかつ影像的なものと感じている。人間の肉的愛が、男女間の異性の肉的結合を目的とし、その瞬間に二体一心の一体的境地を感じる事実、ならびに男女が互いに愛する相手の性品を理解しようとしてその性格に合わせようとする愛の本能を感じる事実、これら全ての事実は、太初に行われた神の愛の名残であり、その影響なのである。」

P.415~416
「(神との)性的統一性をなすことによって人は常に愛の帰属、帰来的性格によって神の性品を本性にもつようになる」
「太初のこのような愛が、人間をして常に神を知り、その性品との性的統一体として生命の結実をみた」

P.418
「神人一体」

P.454
「(聖神との一体化によって)合神一体となった聖化人格なる霊肉統一した現実的神通性をみるようになる」
P.455
「(同時にこれによって)人間の肉体機能まで聖化される霊統性の統一(を実現できる)」
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            【INDEX】 

 

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