「原理講論」の誤謬と正解

原理読みの原理知らずたちへ

未定義の原理用語:「和動」

2021年07月22日 | 検証・解説

[105] 和動

定義不明の用語。全ての御言葉を調べても「和動」の定義について語られたものはない。
   ・韓国語版、日本語版 原理講論   :  未定義
   ・英語版(DivinePrinciple)の英訳:「 harmony of the universe(宇宙の調和)」

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            【INDEX】


「原理講論に書かれていない」と言われた御言葉(2)

2021年07月20日 | 資料

(ファミリー’87 5月号より)

御言葉「責任分担完成と神の愛」1987年2月4日 ベルベディア①

蕩減条件の成立

今回新たに州の責任者が変わり、私たちは新しい体制を中心とする新しい方向の新しい活動をしなければなりません。これが先生の考え方です。なぜそうしなければならないかというと、これまでの州の責任者たちは、統一教会の責任者としてのはっりした観が確立されていなかったからです。州の責任者は父母の立場を代身したものですから、自分の下にいるすべてのメンバーを子女として育てなければなりません。そのように思った時、誰が最も努力しなければならないのかというと、父母の立場において子女を育てていくすべての生活は父母が責任をもち、活動の先頭にも父母が立っていかねばなりません。そして子女がその父母の伝統を受け継いで平行的基盤を設定できる時までは、全責任を父母がもつのです。

そのような立場から見た時、これまでの州の責任者であった人々はそのような責任を果たし得たのだろうかといえば、八〇パーセント以上大部分の人々が責任を果たせていないのです。皆さんが復帰摂理の基盤を築いていく中で、統一教会を中心として見た時に、それは蕩減復帰の路程を経てこそ基盤がつくれるのであって、そのままでは基盤はつくれません。ではその蕩減という条件は何をもって立てるのですか? 蕩減条件を立てて何をしますか、何をしようとするのですか? それがはっきりしていなかったのです。蕩減という言葉はありますが、蕩減条件を立てて何をしようとするのかという目的がはっきりしていなかったのです。蕩減する目的は何ですか? これをはっきり知らなければなりません。

復帰路程において、個人復帰、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙復帰、神の愛の復帰までの八段階を経ていくということは、もしアダム・エバが堕落していなかったならば、そのまま完成するはずだったのですが、歴史時代を見ると、それが僕の僕にまで落ちてしまったのです。そこで、一度に上がってくることができず、段階を開拓しながら連結してくるこの過程において、必ず蕩減条件が必要となったのです。蕩減条件を立てることによって何が起きたのかといえば、サタンが分立されたのです。ですからサタンのゆえに蕩減条件を必要とするのであって、もしサタンがいなかったならば蕩減条件も必要ないのです。これが分かりますか? (はい)。

では、これまでの歴史を誰が動かしてきたのかというと、サタンが動かしてきました。そのサタンを分別しなければなりません。まずサタンを除去しなければ神は入ってくることができないのです。神の領土がないのです。サタンの領土からサタンを追放することのできる蕩減条件を立てなければ、神の領土が拡大されず、神が活動できる基盤がつくられないのです。分別してサタンを追放しなければなりません。それでサタンが決定的に侵入するようになったのはなぜでしょうか? アダム・エバが堕落することによりカインがアベルを殺してしまったという、この二つの条件のためです。この二つの条件のゆえに、完全に縦的な支配と横的な支配を受けるようになったのです。霊界までもサタンが支配しているのです。

蕩減条件を立てるためには、まずアダム的な代身存在がなければなりません。これは何の蕩減かというと、アダム代身存在を通して蕩減するということは、アダムが堕落した縦的基盤を蕩減復帰しなければならないからです。アダムの立場を復帰できる立場に立って、次にカイン・アベルを復帰しなければなりません。カインがアベルを屈服させたので反対にアベルがカインを屈服させるためには、アダム自身がこれを代身しなければならないのです。二つの使命を果たさなければならないのです。それでは、アダムがなぜ堕落したかという問題ですが、これは自らの責任分担を果たすことができず、神との愛の関係が切れてしまったからです。

ではサタンをどのようにして分切するのかというと、蕩減条件を立てる立場においては、アダム代身の存在となって、堕落したアダムではなく、アダムが失ったサタン圏的愛でなく、蕩減した神圏的愛をもったアダム代身存在の立場においてサタンと対決して、サタンを分別しなければなりません。そのように責任分担を完遂した立場に立って、神の愛の圏内を占領するのです。サタンは責任分担未完成と、サタン圏的愛の基盤を中心としての世界を占領する版図になっているのです。これを本然の基準における神を中心とする、責任分担を完成した実力をもった資格者として、責任分担を完成したアダムの立場においての結果主管圏と直接主管圏の愛の基盤を中心として、サタン側の愛を中心とする人々よりも、自分が神側の愛に立ったという条件を立てることによって分別が始まるのです。ここにおいて蕩減条件が成立されるのです。


責任分担完遂の実力と神を愛する力

ですから、サタンは自分の支配している環境でのあらゆる謀略、あらゆる中傷手段を使ってこれを切ってしまおうとするのです。しかしその環境を克服して、人間が責任分担を果たすためにはどれほどの困難があろうとも、神を代身する、アダムが失った責任分担を捜し出さねばならないということは間違いのないことです。これは永遠なるものです。そして、神を愛することにおいては誰が何と言っても神を愛し貫くという基準を立てなければ蕩減が始まらないのです。何の話か分かりますか? (はい)。

それだからアダムの責任者の立場に立ったならば、私は責任分担を絶対に完遂するという、いかなる誘惑にあっても、いかなることがあっても微動だにしない神の息子としての権威をもって、サタン圏内の愛を中心として情的にいくら誘惑してきても、いかなる力をもって反対してきたとしても神を愛することにおいては不動であり、絶対的であらねばなりません。このようにして迫害を一度、二度、三度と受けながら峠を越えていけば、反対をした後には必ず、そこから二つに分かれてしまうのです。

皆さんがまずアベルの側に立てるようになり、その環境を勝利することによってのみ蕩減条件を立てることができ、その環境から反対するサタンを分別することができるのです。サタン分別をしなければなりません。それで蕩減条件を立てサタンを分別させるためには何が必要かというと、それは責任分担完遂の実力と神を愛する力です。このためにはサタンが迫害し、いかに自分を攻撃してきてもそれを除去しなければなりません。そして動揺しない時、サタンがいかに打ってきても不動なる時には、サタン自らが離れなければなりません。このようにしてサタンを分別するのです。

これが決定されていないと、カイン・アベルを蕩減する道がないのです。まずアダムの立場が設定されて、その責任分担を完成し、神の愛の圏基盤を中心としたそこに連結された横的基盤を受け継いでこそ、カイン・アベルの問題が解決されるのです。カイン・アベルが横的蕩減路程であり、これが縦的蕩減路程です。これをはっきり知らなければなりません。そこから横的な面におけるカイン・アベルを中心としての蕩減復帰がなされるのです。中心が立っていないのに父母のアダムの立場がないのに子女が出てくることはできません。ですから、これを完全に立てることによって、その基盤のもとでカイン・アベルの蕩減路程が始まるのです。


アダムの立場

それで、教会がアダムの立場になる時、教会内には必ずカイン・アベルが入ってくるのです。それで両者が、父母の前に近づこうとして争うのです。それは村においても同じです。自分がアダムの立場として決定されれば、神側のアダムになるので、村全体がサタン側のアダムになるのです。また内部に対して自分が縦的な立場に立っていれば、外部のサタン側に対しては自分が内的なアベルの立場として環境を吸収することができなければなりません。克服することができなければなりません。このようにして村に影響を及ぼし、自分がアベル的な伝統を受け継いでこのような実力をもつようになれば、全部がアベルの代わりの基盤となり、教会に入ってくる人もそれと同様なことが起こるのです。教会に入ってくる人もすべてが二つの派に分かれるのです。

では、サタンを縦、横に分別するのはなぜかといえば、内的な縦的蕩減条件と外的な蕩減条件を立てるためです。外的な蕩減条件とはカイン・アベルの蕩減条件であり、内的な蕩減条件とは責任分担を中心とする神の人を中心として、迫害を受けているすべての環境のサタン圏支配圏と、サタンの情的環境を完全に克服してそれを除去できるようになることです。その時、神側の出発ができるのです。これが原則です。
皆さんが、もし勝利した基盤をもって村に行くならば、サタンが反対してきても克服させることができ、そして食口ができれば、アベル的存在としてアダムの父母の立場に立って、両者を合同させて影響を及ぼすことができれば環境が早く分別されるのです。それは内的基準はいつでもついてくるからです。内的基準は勝利と共についてくるのです。ですからアダム的な責任を果たした人は、どこにおいても先頭に立って開拓の使命者として根を下ろすことができるのです。
その環境を早く開拓できるのです。何の話か分かりますか?

もし、アベル的な存在を攻撃したとしても、父母の立場を勝利した縦的基盤を中心として、父母と相談するならば、すべての環境がきれいに整備されるのです。これが原則です。これが蕩減復帰の原則なのです。サタン分別、発展の原則なのです。分かりますか、何の話か分かりましたか? 今までこのことが混乱していたのです。内的蕩減条件を立てなければ、サタンを分別できるアダム生立場を復帰することはできません。外的蕩減条件を立てなければ、外的カイン・アベルを侵犯した環境を分別することができません。これさえ分別すれば、神のみ旨は成就されるのです。今や、サタン支配圏内が完全に神の圏内に入ってきたので、何でもできます。


先生の立場

このことのために、全世界のキリスト教文化圏を中心に神が2000年分立してきたのです。個人、家庭、氏族と分立しながら、カインとアベルが父母を知らなかったため、イエス様を父母の立場においてカイン・アベルを分立して、世界的版図としてつくってきたのが今の現世界です。そこで父母が来られて、その父母を中心として一つの勝利圏をつくり、アベル圏を連結すれば、カイン圏は自動的に分立されるのです。ですから問題はありません。

それで再臨主が来られることを願うのです。再臨主が来られてすべてが成就されるのです。では再臨主は何の権威をもって来られるのかというと、神の間接主管と直接主管を連結することのできる、愛を中心とした世界的な責任分担の完成者として来られるのです。責任分担を遂行した完成者として来られるので。責任分担を成した父母の立場として来られ、アベルと一つになってカイン世界を動かすことにより問題は収拾されるのです。これが原理であり公式なのです。分かりますか?これまで、この公式がはっきりしていなかったのです。

このようにして、父母の立場に立ったならば、アダムの立場を蕩減復帰して縦的な基盤をつくり、カイン・アベルを分別するために、アベルの側に立って道を整えてあげるのです。これが原則です。原理観なのです。これが今までできなかったのです。分かりますか?ですから、あなた方が州の責任者であるならば、州における父の立場になるのです。それはアダムの立場です。ではどのようなアダムの立場かといえば、責任分担を果たして、神の愛を連結して、サタン世界を分別した父の代身の立場であるということをしらなければなりません。そして、サタン圏をどんどん分別していかなければなりません。完全にアダムが主管することができてこそ、アダム圏が完成するのです。でなければアダム圏が完成できません。

このように食口が増えれば、カイン・アベルの外的世界に自分の立場を定めて、アベルを中心として一つとなって、カイン・アベルの争いの舞台で原則を適用しつつ、分別させていくようになっているのです。ただでできるものではありません。これはサタン世界の底辺にあるので、一度に引き上げることができないのです。一段階、一段階、個人復帰から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神復帰までの八段階を上がっていくのです。個人を縦的に見ると、僕の僕、僕、養子、庶子、実子、母、父、神までの八段階です。内的蕩減条件、外的蕩減条件は同じなのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙・・・、これらは外的蕩減分別の環境なのです。それから僕の僕、僕、養子、庶子、実子、母、父・・・、これは内的蕩減分別路程です。分かりましたか?これは何かというと、そのような縦的蕩減条件をサタン世界に全部立てたので、サタンがいくら攻撃しようとしても攻撃できない条件なのです。


内的蕩減条件と外的蕩減条件

先生自身が僕の僕から、僕、養子の扱いを受け、庶子の扱いを受け、実子の扱いを受けながら蕩減復帰してきたのです。さらには母の復帰をしなければならないし、アダム(父)の復帰をしなければなりませんでした。男性として最高の立場に、また女性としての最高の立場になったという、サタン世界の条件がなければ、父母の立場に上がってくることはできないのです。ただで上がってこれるのではありません。

はっきり分かりましたか?なんの蕩減条件と言いましたか?内的蕩減条件です。これから講義する時には、このことをはっきりと教えてあげてください。

内的蕩減条件とは、責任分担と真の愛(完成)です。そのようになって初めてサタンが分別されるというのです。外的蕩減条件とは父母と一体化した、神と一体化した立場であります。アダムの立場において勝利の蕩減条件を立てたその人は父母の立場であり、神の立場であります。完全に一つになったその息子は、アベルの立場になるのです。そのアベルに対して、絶対に服従できる人は神の主管を受けるのです。

そのように服従できる人を立てて、カインを収拾していくのです。ですから、ここでまた反対が起こってくるのです。それは個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的な反対です。これを収拾していかねばなりません。しかし、それは簡単なことです。内容的にも簡単なことです。それでアベルと一体となったアベル圏によって、カインを収拾するのです。父母が決定されているので、サタン世界が一度だけ反対することはあっても、歴史的には反対できないのです。全部が後退するようになっているのです。州の責任者たちはこのことをはっきりと知って、今までやってきたのですか。どうですか?蕩減復帰としてのカイン・アベルの話をしてきた結果が、今どうなったのですか?それだからいまだに伝統が立っていないのです。しかし、伝統の確立のためにこれらのことをやってきたので、あなた方伝統が確立できなくても、今や世界の蕩減復帰まで上がってきているのです。

このような父母の伝統の下で、僕の僕から、僕、養子、庶子・・・と。八段階のこの縦的なサタン分別の責任分担圏を完全に掌握して、神の愛の不動姿勢をもって立っているのです。サタンはどうすることもできないのです。サタンは打てば打つほど問題が起きてくるのです。打てば打つほどサタンが損害賠償を支払わなければなりません。そのように、先生を中心として、子女を中心として、個人的に、家庭的分野、氏族的分野を復帰してきたのです。皆さんもそうでしょう?個人の伝道期間、家庭を動員した伝道期間、それから勝共運動を中心としての国家を代表できるカイン・アベル圏です。統一教会をアベルとして、勝共運動がカインとなって、これらを一つにすることによって、カイン圏がアベル圏に屈服したという立場を立てたのです。そして現在、国家をカイン圏に立てて吸収するということをやっているのです。これが最期です。カイン・アベルが一つのアベル圏となったので、兄弟が一つのアベル圏となったので国家を動かせるのです。ですから、打たれれば打たれるほどもっと発展していくのです。

あなた方も知っているように、先生がアメリカの基盤をつくって、世界の基盤をつくって、アメリカを中心とする攻撃に受けて立ったのです。「攻撃しなさい」と。彼らは攻撃してありとあらゆることをやって、最期には先生を牢獄にまで入れたのですが、最終的には完全に自分の立場を譲らなければならなくなり、アメリカ自体が屈服する段階にまで入ってきたのです。

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「原理講論に書かれていない」と言われた御言葉(3)

2021年07月20日 | 資料

(ファミリー’87 5月号より)

御言葉「責任分担完成と神の愛」1987年2月4日 ベルベディア②

統一教会の現在の立場

それでは統一教会は現在、完全にアベルの立場で、カインの立場の国を完全に一つにする組織編成をして、すべての国の野党、与党に影響を及ぼすことのできる働きをもたらさなければなりません。それが原理観です。アメリカも民主党と共和党が争っていますが、これはとんでもないことです。彼らは国家がどうなっても争っているのですが、私たちは一つとなって指導するのです。私たちは彼らに勝つことができますか、それとも負けるようになっているのですか? 私たちは勝つようになっているのです。ではどうして勝てるのでしょうか? 原理がそうなっているからです。この原則はサタンが離れるようになっているのです。サタンが後退せざるを得ないようになているのです。

そのようにしてカイン世界に影響を与えていくのです。攻撃されれば、それが得になるのです。そのような時が来たので争いもスムーズにやれるのです。一千万名のカウサ会員、これが中間団体です。統一教会に対してのカインである一千万会員をつくっておいたのです。「打ってみなさい。戦いにおいて、打ってみなさい」。先生はすべてに打たれたので、もはや打つ人がいないのです。先生を打って戦いが起これば、自分たちが損害を被るだけです。ですから、これらを一つにして政府を押せば全てが終わるのです。これは原理的ですか、非原理的ですか?(原理的です)。あなた方はこのようなことを知っていましたか?

これまではみんながでたらめだったので、今回全部を分けてしまったのです。そしてあなた方は二番目の者です。これから、あなた方を通して伝統を立てるのです。早く伝統を確立しなければ大変なことになります。では今後どのように動いたらいいのか分かりましたか? 今までのように自分たちは座ったままで、お金だけ使っていいのですか?(いいえ)。父母の立場においての公的な蕩減を果たさなければなりません。そうしようと思えば、先ず僕の僕から、僕、養子、庶子・・・。このような段階を経て上がっていかなければなりません。これは公式です。先生の話ではありません。先生自身もこの公式に従ってきたのです。誰もこの公式を飛び越えることはできません。一段階、一段階と上がっていかなければなりません。これが原理の道なのです。これをはっきり知らなければなりません。(はい)。これを通過しないとあなた方は先生に属することはできません。それまでは中間位置です。時にはサタン側、時には先生の側にもなります。分かりましたか?


責任分担完成と絶対的なる神に対する愛

縦的な蕩減条件。、まずこれを知らなければなりません。それから横的な蕩減条件です。この二つの条件を成立できなければ、環境的にサタンを分立することができません。これが原理です。皆さん分かりましたか?36家庭もみんな悔い改めなければなりません。先生はこのことをはっきり教えることのできる日を待っていたのです。今日、アメリカにおいてカインのグループをつくって立たせたので、アベルを引っ張っていけるようなカインをつくって立てたので安心しました。ですから今これを教えてあげれるのです。

先に出かけたカインの群れの活動はアベルに協助するようになっていますか、それともアベルに反対するようになっていますか?あなた方は、これから任地に戻ってから「あなたはカインで、私はアベルである」ということを言ってはいけません。彼らよりも熱心に活動し、彼らから尊敬を受けるようになってから言えることなのです。その時になって、初めて「自分がアベルである」と言えるのです。これではっきり分かりましたか?

縦的な蕩減条件は何と何でしたか?何を立てなければなりませんでしたか?責任分担完成と絶対的なる神に対する愛です。この二つの条件があるのです。このような基準があったのでイエス様が「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」と言ったことも、みんなこの原則から出たものです。こうして聖書がみんな解けていくのです。これと同じことです。あなた方は先生をそのよに思っていますか?

はっきり分かりましたか?これまではぼんやりしていたことでしょう。蕩減条件という話は壇上での話として教えてきたが、それが現実どのように適用されるかは知らないで今までやっていたのですね。先生がいればこそ今日までどうにかなってきたのであって、もし先生がいなかったらみんなサタン世界になってしまったことでしょう。分かりましたか?この中の韓国の群れ!内的蕩減条件は何と言いましたか?

それで何をするのですか?「サタン世界よ迫害してみなさい」「打ってみなさい」もし打てば私があなたを占領します。それは何でもってかというと、愛の力でです。神の真なる能力でもって、神が共に成してくださるのです。

ここは、神が共に成してくださっているのです。「やってみなさい」本当に神が共に成してくださるのかどうか。先生は獄中で拷問を受ける立場においても、このことを忘れることなく戦ってきたのです。そうすることによって分別されていったのです。これは理論的なことです。他に方法はないのです。内的な八段階と外的な八段階、内的蕩減条件と外的蕩減条件。あなた方はこのことをはっきり知らなければなりません!

外的蕩減条件はどのように立てればいいと言いましたか?アベル1人を送るほうがいいですか、それとも自分が食口を代身して、また父母の立場にいる人が共に行って、両者が合わさって開拓したほうがいいですか?では誰が先に行かなければならないでしょうか。カインが先に行った方がいいですか?責任者が先にいかなければなりません。それだから責任者である先生が先にアメリカに来たのです。


統一教会の開拓精神

統一教会の開拓は神が先にやりましたか?先生が原理をもってやったのです。ですからこのようになってきたのです。先生が祝福を受けたのは洗礼ヨハネがイエス様から祝福を受けたのと同じです。(※注:ヨハネとイエスが逆に書かれている?)ある霊通人を通して「あなたはこの世において一番びりの僕の僕である」と言われて、そこから僕へと上がっていったのです。そのようにして祝福を復帰したのです。そして霊界から「レバレント・ムーンは僕ではなく養子である」さらに「養子ではなく庶子である」と言うのです。また「庶子ではなく直系の子女である」と言うのです。そのことを女性がするのです。それでその女性が「レバレント・ムーン直系の子女ではなく、父親になる。そして私は母親になる」と言うのです。

父の前に、母の立場に立とうとすれば韓国では絶対に服従なのです。それで服従しないというのです。それは先生がやってきたようにです。僕の僕から僕、養子と、悔しい思いをしたように、代わりにあなたがその環境を受けなさいというのです。もし先生のようにして従順にできなかったなら、それがサタンとなるのです。このような戦いを経てきたのです。

それで霊界と肉界が一つになる過程を経て、最期には「神の国の総理大臣となる」さらには「天上の総理大臣にまでなる」と言うのです。それはイエス様よりも高いという立場になっているのです。それから「神と一体である」その時になることを知って訪ねていくのです。地上の世界を手中に入れていくのです。このような道が復帰の道なのに、再臨主に自分がなれるというのでしょうか?先生は洗礼ヨハネで自分が再臨主だというのですか。それでは「成れるものならなってみなさい」と言うのです。ただでサタン世界が退くとでも思っているのですか。ただ天と地を占領すればサタンが譲るとでも思うのですか。どうすることもできない原理、原則にぶつかったために、サタンは退くのです。何の話か分かりますか?

あなた方もこれを見習いなさい。これからは、もし誰かの霊通した人の話を聞いてもそれに耳をかさずに退けなさい。それは過去を繰り返しているだけなのです。ここが春であればあちら側は冬か、秋か、夏かです。そのように変わるのです。すべて従ってくるようになっているのです。先生は既に春、夏、秋、冬の季節をすべて経てきたのです。それで先に進むため、あちら側が夏になったり秋になったりして従ってくるのです。レバレント・ムーンはそれらをすべて経てきたのです。分かりましたか?私達は霊通人など恐れる必要はありません。こちらで主管すれば手中に入るようになってきます。金栄輝分かりましたか?注意しなさい。彼らは情的蕩減をもっていないのです。それは、先生と統一教会のみにあるのです。

あなた方も分かりましたか?ここにいる皆さんがアベルですか?アベルとは父母と一つになって、父母の心と生活に通じていなければならないのです。あなた方はそのようなアベルですか?言葉も自動的に受け入れるようになるべきなのに今のあなた方は何ですか。言葉が分からなければ、これから90年度に入ってからは絶対に会議に参席することが難しくなります。

では、蕩減条件がなぜ必要なのか、サタン分別するのになぜ蕩減条件が必要なのかということがはっきり分かりましたか?もう一度聞いてみますよ。蕩減条件がなぜ絶対必要なのですか、それとも無くてもいいものですか?ではこの道のとおりに歩みなさい。この道のとおりに行けば、教会はここから発展するのです。これからは統一教会に反対する人はいなくなるでしょう。今はすべてが熟してきているので、収穫さえすればいいのです。収穫さえすればいいのですが、それもやりたくないというのですか?もしそうであれば冬には飢えて死んでしまうでしょう。それは間違いなく地獄のそこに行くのです。

このように見る時、これから既成教会は救援を受けることができるでしょうか、どうですか?私たちを通さなければ救援の道はありません。それでレバレント・ムーンは、彼らを生かしてあげるために、アメリカの牧師たちを韓国に連れていくことによって、レバレント・ムーンの前に従順になれる道をつくっているのです。すべてがアメリカを生かしてあげるためにです。今年でもう六〇〇〇名です。それを知っていましたか。それをやりますか、やりませんか?(はい、やります)。


これが原理の骨子

これであなた方もすっきりしたことでしょう。ではあなた方責任者たちが行くべき道は、僕の僕、養子、庶子、実子、父母の代わりのできる道です。あなた方はすべてこれらの道を経なければなりません。そのような蕩減条件を経て、どのようなことも成就させなければなりません。どのような道であっても感謝しなければなりません。不平を言ってはなりません。では、もうはっきり分かりましたね?(はい)
これ以上先生が話さなくともみんな分かったでしょう。これがすべてです。これが原理の骨子です。これでも不平を言うことができますか? 「神よ、お腹が空いたからご飯を下さい」と言いますか?「この者よ! 自分で稼いでご飯を食べなさい。蕩減の時代なのです。サタンが讒訴します。

まだ、「ご飯を下さい」と言うのですか、「困っている」と言うのですか、「私を救ってください」と言うのですか。「まず蕩減条件を立てるべきことは何でしたか?」このように、サタンの嘲弄を受ける祈祷をこの世の牧師たちはやっているのですね。何の話か分かりましたか? では、これからは不平を言いますか、言いませんか?(言いません)。「あ! あ! このアメリカの法では、時間労働であり、八時間働いて生活する」。そういうことを言いますか、言いませんか?(言いません)。私たちには時間が不足しているのです。二十四時間が五十八時間になればどれほどいいでしょうか。夜が怨讐です。ご飯を食べることがもったいないほどです。

この道は生きている間に行かなければ大変なことになります。どこで堕落したのかというと、地上で堕落したのです。ですから復帰完成はどこでしなければならないかというと、それは地上なのです。ですからこのように先生は忙しいのです。では、先生はどこまで蕩減したのですか、アメリカの自由世界にまで全部蕩減条件を立てたのでしょう?(はい)。ダンベリーを通過して立てたのです。アメリカは先生にひざまずかなければなりません。これは原理観です。先生の観ではありません。これが間違いだと思う人は手を挙げてください。
もうはっきり分かったでしょう?(はい)。先生が座れば、きょうの話は終わりです。座りましょうか。座ってもいいと思う人は手を挙げてください。(挙手)(拍手)あなた方もすっきりしたでしょう。これまで統一教会に重い暗雲が覆っていたのです。ですから不足なる者たちが多かったのです。

あなた方の州は五十州の中で最後になりたいですか、それとも一番になりたいですか? 一番になりたい人は手を挙げてください。ではやりましょう。全部が五十州の中で一番になれば、そのメンバーを一か国ずつ配置すれば五十か国が復帰されるのです。そうでないでしょうか? それを二度行えば世界の数百の国々が二度で復帰されるのです。ですから世界復帰は簡単です。日本のメンバーも今度帰ったならばはっきり兄弟に教えてあげなさい。これからはもう話しても忘れてしまいます。もっと語れば混乱を起こすのみです。これで終わりにしましょう。

  ・「原理講論に書かれていない」と言われた御言葉(2)
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「蕩減(マタイ伝18章21~35節)の解釈」 韓国キリスト教

2021年07月08日 | 資料

 「蕩減(マタイ伝18章21~35節)の解釈」

 

2012 . 10 . 06 15 : 04 : 26
韓国キリスト教系NEWSサイト「NEWS & JOY」より
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<蕩減の比喩について>

私たちが最初に赦された者だから(マ18:21〜35)
ペテロが赦しについて尋ねたとき、イエス様は七度だけではなく、七回ずつ七十回でも赦しなさいと蕩減の比喩を語られた。

1. 蕩減の比喩は何か

罪の赦しの比喩であるが、人間は死刑宣告を受けた罪人であることが聖書の証だ(ローマ1:32)。アダムの堕落に彼の子孫である人間は神の前に出ることができない罪の負債を追った存在だった。律法でも義とされることがない無気力な僕、罪の奴隷であった。

蕩減とは返済できない借金を全部削除してあげることを意味する。傷も垢も無いイエス様の十字架の事件は蕩減の証であり赦しのしるしであり、神様の何の条件もない愛であった。

この真理(イエス•キリスト)に目覚め信じる者が律法の僕、罪の奴隷から解放され真に自由である神の息子として保証の救いを受けた者である(ローマ8:15〜17)。

2. 十字架の蕩減原理はどのような負債をも赦す力がある

何をもっても赦されない罪の負債を蕩減された感激があり、私たちが赦せない罪は無いということだ。神様が私に施して下さるその愛を考えれば七回ではなく、七十回赦しなさいというイエス様の教訓は、真理の名言である。

しかし、神様に赦された私たちが兄弟の罪を赦せない愚かさを犯している。私が犯した罪に対しては、神様に寛容を祈り他人が私に犯した罪に対しては、度量に狭い心で復讐心に燃える利己的な私たちの心構えをイエス様は当時、律法信仰(歯には歯を、この目には目)を、蕩減の例えをもって叱咤改革した。現代でもイエス様の十字架の血の恵みを知らずに他人の罪ばかりを非難する恩知らずな者に呵責を与える赦しの言葉である。

3. イエス•キリストの蕩減の比喩は愛の戒めだった

愛は多くの過ちを遮ってくれる。(箴言10:12)。愛は恐れを追い出し(ヨハネの手紙第一4:8)神様は愛である(ヨハネの手紙第一4:16)。神様の子どもであるなら愛の化身になれるよう努力しなければならない。

子は父の形状に似て、その血脈を継承する。私たちが神の子どもとなったなら、当然、神様の形状になければならないし神の温血を受け継いで、私たちの心にイエス•キリストの愛の暖かい血が流れなければならない。

結語

信じなさいと言いながら兄弟を赦せなければ、彼は冷血漢として蛇の末裔である殺人者カインの血代を継承した者であるにちがいない。ヘビは冷血である。兄弟を憎み複数の冷血が心臓に流れたなら神の種子ではなく、ヘビの種子である(マタイ23:33、ヨハネ8:44)。

主の祈りにも私たちが私たちに罪を犯した者を赦した如く、私たちの罪を赦し給え(マタイ6:12)の条件を掛けている。ゆえに私たちが神様から罪の赦しを受けた者であることが確実であれば、何としてでも兄弟の罪を赦さなければならいのが神の愛の法則なのである。
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★キリスト教統一の出発点「マタイ伝18章21~35節」の解釈

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「蕩減(マタイ伝18章21~35節)の解釈」プロテスタント

2021年07月08日 | 資料

 「蕩減(マタイ伝18章21~35節)の解釈」


 
 
■説教題「キリストと同じように」ヨハネⅠ3/7~12 安食弘幸牧師
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 神から生まれた者

「ある債務多重者の人がいるとします。あっちでもこっちでも借金をして首が回りません。取り立てが厳しくて暴力団も絡んで命も危ない時に、一人の紳士が現れて彼の借金を全部肩代わりしてくれたとします。

 その時の喜びや解放感を想像してみて下さい。彼は毎朝新しい喜びをもって起きあがることが出来る筈です。このようにイエス・キリストを信じることによって毎朝神の前に借金のない者として起き上がることが出来るのです。

『この喜びを知っている人は感謝の内に感謝の故に罪の内を歩みません。罪と共に生活をしません。』とヨハネは言うのです。」
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■中川健一牧師著「聖書流・生き方指南」から
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 聖書は赦しについてこう教えています。

 「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。」※
 これは、人を赦すことが天の父から赦されるための条件であると教えているのではありません。

事実はその逆です。自分が天の父からどれほど多くの罪を赦されたかを知っているなら、人を赦すことができるはずだ、というのがその意味です。
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 ※ マタイ伝18章21~35節


★どうして素直に「それが赦しの条件だ」と言わず、このような特殊な思考をするのでしょう?  
 それはパウロの影響なのです。

コロサイ2/13
「神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして下さった。」

ローマ4/2
「主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。」

「人間のすべての罪が、罪の全くないイエスの代贖によってあがなわれ、そのイエスの義が、イエスを主と信じるだけですべての人間に無償で与えられるという罪と義の両面の二重のすり替えの論理」(野村健二著「イエスの福音とパウロの福音」) 
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