第二章 第二節 モーセを中心とする復帰摂理 (一)(1)① P.352
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「モーセは、生まれたときは、パロ王の手によって殺されるよりほかはない立場にあったのであるが、
その母親が彼を隠して育てあげたのち、パロの宮中に入り、敵の懐の中で、
[203] 怨讐を越えて安全に成長したのであった。」
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この部分の韓国語版とその直訳が下記。
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모세는 출생시부터 바로왕의 손에 죽을 수밖에 없는 입장에 있었으므로,
그 모친이 그를 숨겨서 키운 후에야 바로궁중에 들어가 원수들
가운데서 안전하게 성장하였던 것이다.
モーセは出生時からすぐに王の手に死ぬしかない立場にあったので、
その母親が彼を隠して育てた後にすぐに宮中に入り、敵の中から
安全に成長したのだ。
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「怨讐を越えて」などどこにも書いてない。しかも誤字で意味が通じない。
「おんしゅうをこえて」の場合は「恩讐を越えて」と書く。よく似ているが全く違う意味の言葉。
菊池寛の「恩讐の彼方に」に影響を受けたらしく妙にこの字に拘る人が多い。
問題は昔から日本の信者達が頻繁にこの二つを混同すること。
「怨讐」は「敵」より強い意味の「怨敵」と同義語。「敵を愛せ」が韓国語聖書では「怨讐を愛せ」になっている。
このキリスト教精神を代表する言葉を「恩讐を愛せ」などと平気で使うのが日本の信者達。しかも会長はじめとして。
初めから「怨讐を愛す」精神がないということだ。せめて会長はと思い御指摘すると「問題ない!」とのこと。
「この教会にキリスト教精神はありません」と代表者が宣言しているようなものだ。
■ 韓国語教育の第一人者と言われている金〇〇教授(文学博士。NHKハングル講座元講師)との質疑応答。
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質問者:日本語聖書で「汝の敵を愛せ」の「敵」が韓国語聖書では「怨讐」となっております。
金教授:「怨讐」は「仇」です。「敵」と言うのは戦争によって国と国との憎しみ、そういうような広くて大きい意味。とにかく個人ではない。「怨讐」は個人的な憎しみ、そういうときに使います。
質問者:いわゆる「親の仇」のような?
金教授:そうです。
質問者:「おんしゅう」と言うと日本では「恩讐」という字が有名です。これは全く違う意味ですよね。
金教授:違います。これは「恩及び讐」と言う意味。
質問者:日本に於いて「怨讐」という言葉を余り使わないため、間違って「恩讐」と言う字を使ってしまうことがあります。
金教授:これは意味が全然違う。
質問者:「汝の恩讐を愛せ」と言ったら通じませんよね。
金教授:通じない。先ず韓国語にはこういう単語(恩讐)はない。あるとすれば漢文的に「恩及び讐」という意味。
質問者:「恩とうらみ」と言う意味ですね。
金教授:そうそう。