弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

福島第1原発2号機から高濃度の放射性物質を含む汚染水が流出していた

2011年04月04日 | 日記

福島原発の2号機が一番心配なのではと、私は最初から申し上げていましたが、
やはりそのようです。

海水に直接、高濃度の放射線物質を含む汚染水が流れ込んでいたことがわかり
ました。
汚染水の発生源はまだ特定できていないということですが、写真を見る限り、かなりな
勢いで太平洋に流れ出ているようです。
水を吸収する特殊な樹脂を流し込んでも、全然変わらないということです。

本当に心配です。

原発の件は、勿論人災です。
特に、災害発生後の危機管理は全くなかったといってよく、ここまで拡大させた責任
は極めて重大です。

ところで、地震そしてその後の津波について想定外だったという声がほとんどです。
確かに地震の発生メカニズムなどはそうかもしれません。
しかし、この地域の問題は、地震というよりその後に起こる津波です。

ウィキベディアで調べてみると、三陸沖では大きな地震があったようです。

869年7月9日(貞観11年5月26日) 貞観地震 震央8.3~8.6   死者約1,000人

1611年12月2日14時頃(慶長16年10月28日)慶長三陸地震 震央8.1  20m? 
                              死者2000~5000人

1896年6月15日19時32分(明治29年)明治三陸地震 震央8.2~8.5 震3 
                         津波38.2m  死者・行方不明者21,959人
                 家屋流失:9878戸、家屋全壊:1844戸、船舶流失:6930隻

1933年3月3日2時30分(昭和8年)昭和三陸地震 震央8.1 震度5 
                         津波28.7m 
             死者1522名行方不明者1542名負傷者12053名
             家屋全壊7009戸、流出4885戸、浸水4147戸、焼失294戸

すくなくとも最後の2回についてはまだ記憶にあるはずです。津波の高さは30m、40m 
です。被害もものすごいものがあります。

そうすると、津波予防のための堤防もせいぜい10m程度の想定だったとすると、
到底安全だったということはないわけです。

町づくりにあたって、この災害の歴史がどのように考慮されてきたのでしょうか。

これからの復興計画にあたっては、20m、30mの津波があるとの前提で進めなくては
ならないではないでしょうか。

次に、この3週間を振り返る必要があると思います。
原発も含めて、実際には何が、どのように展開していったか、
それに対して、政府の対応はどうだったかを検証することです。
時系列的にひとつひとつ検証することが大事なのです。
そうすることで、何が読めて、何が読めなかったかが明確になってきます。
こういう大災害の場合、いかに予見できるかが大事なのです。
きちんとできていればOKですが、まったく予見できない、あるいは見当違いばかり
であったとしたら、そういう人たちを我々の代表に持つということは悲劇以外の
なにものでもありません。

アメリカのことについてもいえます。
民主党のこれまでのスタンスがいかに国益を無視したものかはっきりしました。
自衛隊についても同じです。
人の命の大切さについても、言ってることとしていることが全く逆です。

民主党ではロゴマーク入りの防災服を作るなどという計画があるようですが、
そういうことよりもまずしなければならないことがあるはずです。

もちろんパフォーマンスは必要ですが、まず中味があってのことです。

少しずつ落ち着き始めて世界の目も厳しくなっています。
東電に対してはもとより、総理に対する指導力の欠如に厳しい批判が出ています。
政治家は国民の代表であり、税金で生活しているわけですから、
私たちは、政治家にはもっと厳しくして当然です。

こういう地道な作業が一番重要です。

最近、司法の分野で警鐘をならす本を出版しましたが、
どうやら日本全体がアラームを鳴らしています。
それなのに、みんな気がつかないのでしょうか?
三度目の奇跡が起こせるかどうかは、国民が覚醒できるかどうかによります。

もう一度、原点に返って見直しをするところからしか、新しい出発はありえません。