「八紘一宇 はっこういちう」とは!?
この頃、「八紘一宇」という言葉が気になっておりました。
ときどき頭の隅に入ってきたり書物や、ネットの中にも対談の中に出てきたりします。
知っていた言葉ではありますが深く知ろうとしていませんでした。
一般的には、第2次世界大戦中に軍部がその精神を利用したスローガンとしか
思っていませんでした。しかし、今現在の日本国、および世界全体の危機的状況を
知るにつけ、この言葉の重要性を知る必要があると思いました。
これまで歪められた意味として使われた言葉の数々を、日本人として
正しく理解することが大切だと思います。
「八紘一宇」という言葉の意味もネットで事典を調べてみても各社違いがありました。
一応そのまま一部を乗せておきます。
それでも、そういうことだったかと、理解したところです。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
八紘一宇
はっこういちう
世界を一つの家にする」を意味するスローガン。第2次世界大戦中に日本の中国,東南アジアへの侵略を正当化するためのスローガンとして用いられた。
『日本書紀』のなかにみえる大和橿原に都を定めたときの神武天皇の詔勅に「兼六合以開都,掩八紘而為宇」 (六合〈くにのうち〉を兼ねてもって都を開き,八紘〈あめのした〉をおおいて宇〈いえ〉となす) とあることを根拠に,田中智学が日本的な世界統一の原理として 1903年に造語したもの。 40年第2次近衛文麿内閣が「基本国策要綱」で東亜新秩序の建設を掲げるにあたり,「皇国の国是は八紘一宇とする肇国の大精神に基づく」と述べ,以後東亜新秩序の思想的根拠として広く唱えられた。
出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報
概要[編集]
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』、『大辞泉』、『大辞林』は、「八紘一宇」とは第二次世界大戦中、日本の中国・東南アジアへの侵略を正当化するスローガンとして用いられた[5][6][7]と記す。一方でこの語については侵略思想を示すものではなく人道の普遍的思想を示すものにすぎないとの論がある[8]。『日本書紀』には、大和橿原に都を定めた時の神武天皇の詔勅に「兼六合以開都,掩八紘而為宇」(六合〈くにのうち〉を兼ねてもって都を開き、八紘〈あめのした〉をおおいて宇〈いえ〉となす)との記述があり、これをもとに田中智学が日本的な世界統一の原理として1903年に造語した[5]とされる。このように日本書紀の記述は「八紘為宇(掩八紘而為宇)」であるが、1940年(昭和15年)8月、第二次近衛内閣が基本国策要綱で大東亜新秩序を掲げた際、「皇国の国是は八紘を一宇とする肇国(ちょうこく、新しく国を建てること)の大精神に基」づくと述べ[1]、これが「八紘一宇」の文字が公式に使われた最初となった[1]。以来、教学刷新評議会の「国体観念をあきらかにする教育」を論ずるなかなどで頻繁に使用され[1]、大東亜共栄圏の建設、ひいては世界万国を日本天皇の御稜威(みいづ)の下に統合し、おのおのの国をしてそのところを得しめようとする理想[1]を表明するものとして引用使用された。
清水芳太郎による研究[編集]
昭和初期に活躍したジャーナリストである清水芳太郎は、世界大恐慌の中、主要国がこぞってブロック経済の構築を進めていた国際情勢に対抗するために、八紘一宇の理念を提唱すべきであると主張した[22]。清水はブロック経済の中で大国が行っていることは弱者に対する搾取であると批判した。そして日本は八紘一宇の精神を想起し、弱肉強食を前提とした搾取の構造に加わることなく、むしろ敵を拝んで仲間とし、平和を達成すべきであるとした[23]。
更に八紘一宇といふ事は、世界が一家族の如く睦み合ふことである。
これは國際秩序の根本原則を御示しになつたものであらうか。現在までの國際秩序は弱肉強食である。強い國が弱い國を搾取するのである。所が、一宇即ち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一案強い者が弱い者のために働いてやる制度が家だ。世界中で一番強い國が弱い國、弱い民族達のために働いてやる制度が出来た時、初めて世界は平和になる。日本は一番強くなつて、そして天地の萬物を生じた心に合一し、弱い民族達のために働いてやらねばならぬぞと仰せられたのであらう。何といふ雄渾なことであらう。日本の國民は振ひ起たねばならぬではないか。強國はびこつて弱い民族をしいたげている。
— 『建國』(1938年)、58頁
日本書紀における出典[編集]
この言葉が日本でよく知られるようになったのは『日本書紀』巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」(いわゆる橿原奠都の詔)である[9]。
「上則答乾霊授国之徳、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎」
(上は則ち乾霊の国を授けたまいし徳に答え、下は則ち皇孫の正を養うの心を弘め、然る後、六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩いて宇と為さん事、亦可からずや。)— 日本書紀巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」
この意味について、記紀において初代天皇とされている神武天皇を祀っている橿原神宮は以下のように説明をしている[10]。
神武天皇の「八紘一宇」の御勅令の真の意味は、天地四方八方の果てにいたるまで、この地球上に生存する全ての民族が、あたかも一軒の家に住むように仲良く暮らすこと、つまり世界平和の理想を掲げたものなのです。昭和天皇が歌に「天地の神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」とお詠みになっていますが、この御心も「八紘一宇」の精神であります。
- 橿原神宮(神武天皇を祭神とする神社)『御神徳 - 世界平和』
「神武天皇の「八紘一宇」の御勅令の真の意味は、天地四方八方の果てにいたるまで、この地球上に生存する全ての民族が、あたかも一軒の家に住むように仲良く暮らすこと、つまり世界平和の理想を掲げたものなのです。昭和天皇が歌に「天地の神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」とお詠みになっていますが、この御心も「八紘一宇」の精神であります。」
わが国の建国の理念である「八紘一宇」とは、
「それぞれの世界の人々が自分の生き方を守って、世界という屋根の下で
幸せに暮らしましょう」という意味です。
だから「みんなが一緒になる」ということではなく、
「それぞれの国がそれぞれの独自性を発揮して、全体として調和が取れる」
という発想なのです。
”世界平和の思想“です。
これまでの世界を一つにして各国の仕切りをなくし、個性を無くすと言うような
一律な思想ではないのです。
今、グローバリズムとナショナリズムの戦いが世界的規模で進行中です。
この二つの架け橋となる思想が「八紘一宇」の精神ではないかと思います。
これからは、日本の役割が大変重要になってきています。
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