現代文化の快楽

60年代に東大の文系・理系の大学院生がコラボして、他大学にも声を掛けて、横断的に作っていた現代文化研究会へのオマージュ

戦争への疑問(二)   悲惨さを訴えるだけが正しいのか  ‥

2014年09月02日 | 随想録

前回、竹槍本土決戦作戦を東条に帰すのが正しいかどうかは知らぬがと書きましたが、ネット上で他生の、或は多少の、縁が有った東条擁護派、一億国民総責任論者との曽ての論争が頭を過ったもので、全く鈍な断りを入れたものでございました。

事実は、多くの国民には常識になって居た筈の、つまり愚も不確かになってはならぬ「竹槍事件」は、東条の昭和一九年二月の声明に毎日新聞の新名記者が反論し、殺されかけた事件でした。(安易なれど比較的中立なWIKIにリンク)

さて、愚は軍隊は、他国や異民族を侵略したり征服したりする意図の無い真の文明国やその市民にとっては「悪」ではありませうが、それは少なくとも今世紀中は必要な存在―陳腐な表現では「必要悪」―だと思いまする。

軍隊の廃止は、死刑の廃止より数段階非現実的な物。狂気の主張としては、集団自殺を是とすることに近い。

これは誇張に過ぎるとは愚も思う。東条の「竹槍防衛」は、事実上は「万歳突撃」と変わらず、しかも彼女等を海岸部に配置して、軍幹部及び基幹部は「玉」を松代に奉じて(ホンネは幽閉監禁)、内陸に下げる計画だったのだから、更に悪質卑怯の極みでは有ったから。「自決失敗」も一貫して居ることだ。

昭和天皇が、靖国に東条が祀られた後、絶対に参拝しなくなったのは、彼の正体を骨身に沁みて知ったからであろう。もしかしたら、これだけは現天皇に遺言して居たかもしれない。

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所詮内務官僚上がりの東京帝大教授、それも警保局というから今の警察庁か公安調査庁を兼ねたような組織の一員でキリスト教徒だった南原繁が、敗戦直後総長になり、日本を「国連」の庇護の下の一大非武装国家にすることを説いたのは、これこそは紛れも無く東条の犯罪だった「学徒出陣と、それに引き続くイスラムの自爆テロよりも劣悪な大量戦死―事実上は文系学生の大量殺戮だったとも見られる。―に協力してしまったことへの強い悔恨と、国連やキリスト教に対する、夢想や幻想と言うのが酷であれば、宗教的な期待だったろう。

愚にもさしたる理由も無く南原への尊敬の心が出来たのは(単純に当時の少年が湯川秀樹を尊敬したのと同様な次元に過ぎず)、兄が学生だった以後の筈だから戦後も相当に経って居て、総長もとうに矢内原になって居たわけだが、その頃、恐らく60台後半だった南原がそれによって「民族が滅びてもよいのではないか。」とまで新聞に書いたのは余りに荒唐無稽な意見だと、当時少年だった愚も読んで、強く疑問に思ったものだった。

しかしながら、今思うと、あれ程多くの人が、日本のスターリニズムへの隷属を希求して居たことに比べれば、戦後の思想的ヒステリー現象としては未だ弊害が少なかったほうだと言うべきだろう。

ただし、現在に残る「空想的平和主義」は、南原に象徴されるものが有り、宗教的夢想かドグマの域を超えず、滑稽にも「科学的社会主義」と名乗ったイデオロギーに基づくスターリニズムの失敗が、漸く多くの日本人にも事実として承認された現在、「別の」麻薬の如き亡国の思想としては、悪影響が最も大きいものやも知れませぬ。

[この稿続く。元々は海自苛め自殺事件を取り上げるつもりでございました。上坂冬子の「証言」も。]